
絵を間違えて貼り付けてしまったが、マァええかぁ〜コレで本ブログも最期となるやも。
モノクロ画像は半世紀以上も前の確か‘68だったか~私らマダ高校生の頃にザ・ビートルズが初来日した写真。
世界中を席巻したかに人気絶頂となったイギリスのロックグループ、その4人の若者に多くの又我が国の若者たちも絶叫して虜となったらしい。
らしい、ってのは帝都は東京から遠く離れた南冥の文明果つる辺境の地、まだ文化文明も未開のジャングル地帯!ナドとは言わんがしかし、マァ似たようなもので男女7歳にして席を同じうせず〜wナ野蛮人の土人国みたいなド田舎であったのだ。
TVらじおや新聞に週刊誌など情報源もマダマダ遅れてたが、かすかにその熱狂振りにはチト心踊らされたものはあった。けども遠い東京の空の下の出来事、歌の文句じゃないがナンデそんなにトーキョーがエエんジャロ〜と僻みじみた反発もあったのも事実。



マダ初初しき少年だったソンナ田舎の私らには、若者たちの熱狂振りにも参加は出来なくて、しかもコンナ商業的なキャンペーンすらにもタッチ出来ずに〜知らず、タダ雑音だらけのラジオの電波から漏れ出る新しい歌に驚いてはいたものだった。

こんなチケットに接したのはヤハリホンの一部の同年代だったろう、ホントに偶然だが齢50を過ぎてから知り合った都会は神奈川の川崎在の当時あどけないJK氏が、ヤハリ今でも、押し入れ?の中に大事に仕舞ってる〜と嬉しそうに得意気に喋ってくれて、その憎たらしいコト限りなし!
クレって言ってもアンタでもダメヨ!って邪険に断られたのが又また恨めしい〜マァね、別に強いてセシメ取ろう訳でもない。彼女の、後生大事にお嫁に行ってもその公演のチケ半券をも捨てずに持ってて、また別れて娘と二人でヒッソリと暮らして来た人生の証メイタ記憶のパスポート。
福祉住環境の専門学校で知り合った数人と〜稀有な仲間内の中の、明るく賢明な異性にチョットお節介ついでに〜と脅迫?してみたが流石にダメヨ駄目だめ〜!とノロケ混じり(笑)
セーラー服は捨ててもビートルズの武道館ライブに高校授業を生理痛が酷くッテと嘘付きサボってまでして参列した想い出の証の品。
都会っ子はホントに凄いナと素直に感心したもの。まあねぇ、呉れなきゃモオ今後は遊んでヤラナイ等と笑って突き放したら、イイんダもん〜と猫なで声ばかり(笑) 敵はサル者引っ掻かないがアタマ良しで悪知恵も働くモノで直ぐにお酒奢る〜やらご飯一緒に食べよか〜とかビンボー男の急所を知ってる〜w
その彼女とはマダ今でも年賀状のヤリトリは続いてるし、関東の仲間たちとも連絡は途絶えなくて偶に音信もあるのだが、又いつか会いまみえる時が来ようか。ヤハリ元気な内に上京したちものだが。
うん?ビートルズの話だった、しまったシマッタ島倉千代子さん、ウッカリ信兵衛?だったか〜忘れるのは年寄の特権、上京して学生の頃は悪ブッテこのビートルズよりもストーンズ!ってローリング・ストーンズにのめりこんだものだが、でも矢張り良いものはヨイでヨイショこら〜一枚のレコード、有名なアビーロード一枚が年老いた私にゃ残った!勿論ストーンズもライブ盤だが1枚ドッコイショ!
ちゃんと大事に数多くのLPを買っとけば〜とも思うが又別にンナもん嵩張るだけとも〜どっちもどっち、でもドラえもんノどこでもドア〜でヤッパリ音楽ってイイもんだ。
何でもこのロクガツには久々に、山下達郎がレコード発売した!とかでラジオからはズット例の日曜午後のラジオ番組はかりかFMからは達郎節オンリーユウ!
ビートルズ忘れっちまった位、アノ甲高い独特の声音である。僕らはアトムの子っ!てね〜♪
あ、マダ横道へと〜
ホントはしっぽりとバラードに酔い痴れたい阿呆、孤独な殺し屋レオンのテーマ曲を歌うスティングの心意気が良いなぁ〜笑
映画は又ぞろトップ・ガンが好成績を納めてるらしいが、前の作品のテーマがどうもマドンナ達のララバイにソックリだなんて今更ながら知ってあ然としたものだつたが、確かに似てる〜カドカワだった?かなぁ〜
あの角川春樹じゃない、村上春樹か村上龍?ドッチだっけ〜彼らだって九州は北部のマァ大都会に限りなく近い県立高校生、でもカゴッマの片田舎の鈍臭い同じ高校生とは比べ物に成らんスマートさを誇った様で、コレ又シット嫉妬の嵐三昧〜ヤァ!やぁ!ヤァ!
ま、過ぎてしまったからにはモオ捨て置け〜ンナ下らん想い出、
兎に角も老いてもマダ記憶が有る内に、ハハハ〜
バラード、そうさナァ〜癌に倒れてしまった惜しい才能に、RCサクセッションの楽曲がある。またそのうちにオン・ザ・ロック〜グラス傾けながら聴いていたいナ

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