▼矢口高雄さん死去、81歳「釣りキチ三平」
〜〜12年間の銀行員生活を経て、漫画家に転身した。1970年「鮎(あゆ)」でプロデビューし、漫画原作者の梶原一騎の提案でペンネームを矢口高雄に。73年「幻の怪蛇バチヘビ」がヒットし、ツチノコブームを起こした。同年連載が始まった「釣りキチ三平」は、魚釣りが大好きな少年が国内外の自然豊かな環境で釣りに挑む物語で、テレビアニメ化や映画化もされた。74年「幻の怪蛇バチヘビ」「釣りキチ三平」で講談社出版文化賞(児童まんが部門)、76年「マタギ」で日本漫画家協会賞大賞を受賞。95年、秋田県横手市の「横手市増田まんが美術館」の名誉館長に就いた。
釣り師ならぬ、釣りブームも子供から大人まで1つの趣味兼魚好きの食道楽も兼ねたオカズ採りめいた感じもあって、そこそこ人気もあるものだが、マァ殆んどが男子たる者の行い。それでもソコソコ若い女性らも居ない事が昔から有ったものだが、大っぴらに出現したはヤハリ戦後の女子亡国論じゃ無いが、ナイロンの靴下同様に子作りをしなくなった烈女の出現〜と言えばセクハラパワハラにも女性蔑視にも見られ様が、兎に角、男もすなる釣りチウものを同様にオミナ婦女子の連中も又いまは舟を漕ぎ出でな〜と堂々と垣間見えし出した。
ヤハリそれは戦後経済の高度成長期でもあろうし、現に私らが学生の頃には既に女船頭なる職業婦人さえ出現したのも何も歌謡曲のせいばかりじゃない。
無論、太平洋戦争中は銃後の国民の中核として肝っ玉母さんどころか見目麗しき女子挺身隊だとか花も番茶も出花の女子中高生等がお国を守ったのだ〜から、魚取りならぬ釣りなんざテグスと釣り針さえ有ればオンナ子供の朝飯前〜
何も男だけの釣りでは無かったのは当然、それでも趣味道楽としての釣りとしてはヤハリ戦前から極近年までも、男のロマンなどとホザいてたもの。
漫画の世界で一躍少年漫画誌で登場したのが、東北は秋田県出身のこの矢口高雄、テッキリ釣りキチ三平が本名かとも思ってた。後年に自伝的小説?「僕の学校は山と川」など公教育のきょうかしょにと採用される程にもなった。
秋田の現横手市出身とかで、マタギの世界や他野山や山村の風物詩だけでなく暮らしや生活そのものを凝視める視点が、高度成長の自然破壊への警鐘とも目されて人気を漫画ファンや釣り好き以外にも広げた。
私も後年に鮒釣りからヘラ釣り、そして食える魚釣りとして川から海へ、堤防や護岸から磯へ、磯からボート釣り、手漕ぎボートからモーターボート、そして本格的に沖釣りの遊漁船へと突き進んだもの、のめり込んだ。
こんな事なら若い頃からズッとヤッておけば良かったなどと後の祭り〜始めたのが2度目の結婚後なのだ。
釣りが面白かったのは、偶々学生時代からの旧友が埼玉は浦和の近くに住んでいて、1時間も自転車で走れば会える距離〜その彼がまたクソ真面目ながらもロック〜殊にエルヴィス好き、そうあのロカビリー、ロックの殿堂入りした巨星エルヴィス・プレスリーの基地外チャウ吉!兎に角ブルースロックを深く愛してて貴重な初期の頃のLPアルバムさえ所持してたほど、それを彼の部屋で聴かせて貰いながら男2人で2時間も3時間も或いは半日以上も聴きながら話し込んだ頃もあった。勿論、他の本や政治情勢など他の話題も豊富に盛り込みながら、結局は音楽ともう一つは趣味道楽の世界として釣りの世界〜実は彼は自称ヘラ鮒釣り師、そう琵琶湖原産の源五郎ブナから全国に広まったヘラ鮒の釣りキチ。釣り針に普通は必ず有るカエシと言う爪がない独特の釣り針で、ヘラ鮒を釣り挙げ仕舞いは元の水に返す〜釣り遊び。
僅か2〜3ミリの長く軽い棒ウキのアタリをキャッチして魚と格闘する神経戦らしき〜
エルヴィスの他に、釣りの本やらを紐解いたりしながらサカナ談義が盛んだった。実際にも一緒に浦和の郊外の見沼田んぼ用水縁りに釣行したり、越ヶ谷近くの釣り堀など出掛けたもの。無論後には車を使ってだが。
だからもうそんな頃には釣りキチ三平の話は持ち出す事も無くなった。だが三平が海釣りー磯釣りまでも行ってると見たら、ヤッパリ良い漫画を描いてくれてるなぁ〜と思った。それに深山の湖の主釣りとか北海道の怪魚釣りなど、ヤハリ同じく釣りのお師匠として慕ってた開高健のミニ版めいて、本当にこの御仁も釣りが好きだったんだなぁと感心〜イヤそれは又ごく普通の田舎育ちの人としては当たり前の感性も持ち合わせていたのだろう。
もう少し頑張って生きて欲しかったけれども、膵臓がんと言うのは進行が発見されてからは早いらしく、残念しごく。数少ない私の東京育ちの友人も先年〜もう2年になるかな?同じく膵臓をやられて呆気なくあの世へ黙って逝ってしまった。

釣り師は履いて捨てるほど居る、釣り文学なるものを挙げるとしたら先ずは、明治の文豪〜幸田露先生が真っ先に登場するのはツトに知られたこと。
その孫娘だったかな?朝子さんも又名にし負う名人らしかったが、その本は置いといて〜そうそう、戦後はアノ井伏鱒二も名著『釣り師、川釣り』だったかな?〜岩波新書を買込み読み耽ったもの。露伴大センセーは『幻談』テ古き良き時代の江戸の釣り師などの怪談バナシ。
〜一日幸福でいたかったら、床屋へ行きなさい。1週間幸福でいたかったら、結婚しなさい。1ヶ月幸福でいたかったら、良い馬を買いなさい。一年幸福でいたかったら、新しい家を建てなさい。
もし、一生幸福でいたかったら釣りを覚えなさい。
確か開高健も紹介してたし、ひょっとしたらそれは『釣りの科学』作者で『釣魚大全』の翻訳者の森秀人の文章だったか〜でも、この精力的な小説家の夢枕獏なるエンタテナーバリの釣り師も又ここに巻頭に掲げた!
そして必ず前のお二方同様にご注進申し上げてもいる。
〜釣りをはじめて幸福になることができるのは、はじめた本人だけであり、〜〜幸福なのは釣れた本人だけであり、釣れなかった釣り人は、不幸のどん底にあるといっていい。
〜釣り人は、せこくて哀しく、滑稽で、それ故に愛しくて可愛い。
兎に角も釣りなる趣味道楽は、愛と哀しみが同居して止まないしそれが人生模様、人生劇場とも言われる所以でもある。
けれども生業としての釣りは又別なのだ。釣り師とはあくまでも趣味であり精神的な道楽なのだ。だから釣れなくとも楽しみを愉しむココロイキで臨む様になって初めて「釣りを愉しむ」と言えようか。
だから釣れなかったらボウズだったと頭を下げてカクか、近所の魚屋さんでホントに鮮魚を買い込んで妻と楽しむしかない。花を買って帰るように〜
そして又、次の日曜日にサラリーマンは勇んで釣りに出掛けるのだ。
そんか時代もこのクマにも有ったっけ〜^_^

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