
昨日は雨が台風の余波で降ったり止んだり、久し振りに先の梅雨の激雨に比べればお湿り程度だったけれども殆ど家でゴロゴロ〜それで思い付いてギャオ‼っとばかりに動画検索〜
▼ 『この世界の片隅に』(このせかいのかたすみに)は、こうの史代の同名漫画を原作とする、片渕須直監督・脚本、MAPPA制作の長編アニメーション映画。2016年公開。昭和19年(1944年)に広島市江波から呉に18歳で嫁いだ主人公すずが、戦時下の困難の中にあっても工夫を凝らして豊かに生きる姿を描く。
何の気は無しに、確かに話題になってタイトルだけはコレでもかーとばかりに見覚えがあったアニメ映画、「この世の終わり」みたいに思ったがちゃんと「この世の片隅に」と言うタイトル。観る機会もなく何かジブリみたいな作品が又出て来たなぁ等とは思ってたが、その内容やストーリーはヤハリジブリ作品に似通ってはいたが、似て非なる物語か。ナント原爆を体験するストーリーだった。
そのコンテンツ、高い思想や精神哲学があるのだが、まぁ全ての子供たちが理解するとは思えない風俗や習俗に世相、寧ろ私らジジババ連中がこそ、観るべき内容とメッセージ性があろうか。でも又何やらアノサヨクっぽい進歩的文化人等が思考の匂いもその台詞せりふには感じられたのだが、穿ち過ぎか?〜^_^
ま、でもかなり丁寧に描かれた当時の事実らしき細かい描写には感心させられたし、何よりも主人公の少女がかなりドライで明る目に演出されて、暗さが力説され気味な厭戦思想や反戦意識に突き進んでない点が、かなり高い評価点にもなったか〜キネマ旬報のベスト1位とか、アニメ部門の最高賞も映画祭で勝ち得たらしい。
終わりの出演者(声優など)やアニメ作画に関わった人々の名前の多さにも圧倒された。
監督か演出家か脚本家の指示なのか、殆どのシーンでも説明や背景などテロップででと流してくれたら、もっと解り易い映画の内容や背景が幼少の観客にも受けたろうに、とは余計なお世話なのか。
何はともあれ、久々の長辺アニメを観たなぁと感心しきり。この8月〜戦争の忌まわしさも含めて〜にはお似合いの作品には違いない。
しかし、絵を描く少女の物語など戦後75年だが、今頃になって登場とはねぇ。実話を原作としてるから、ご本人の生の声も又新聞で先頃聞けたのだが、反原発運動の怒号の中に埋もれ掛けていたようだ。
そうした取り組みも又有りだが、国のスタンスが日米安保同盟の核の傘に守られてる以上、永久に日本政府の反核条約批准などは起こり得ない。それが絶望的などとは言えない。姿勢だけでも安倍晋三総理大臣が平和式典へこのクソ暑い中に参列してる、それが選挙目当てだろうが何だろうが兎に角も、平和への意思表示としては一致して行動している、と。
まやかし? そう、例えそうだとしても被爆者への償いだけは保障されるべき点では、何もしないよりか増し!である。
先にも書いたが、例えばこの映画の中身が我がニッポンの歴史の1コマであり、人々がかく在った、という悲しくて大変だったけども皆んな同じ様に体験した事実を確かめ合う点で、非日常の意味、戦争を経験した日本国民としても、世界の中の1存在であり、全世界の人々が同じ様に体験すべきエピソードでもある。立場はどうにでも変わり得るし、また実際には戦争というのはかくも無残なむごたらしい事実、1人の人間の命を簡単に奪い去るものなのだ。
全世界の為政者たちがこぞって、こんな惨たらしさを同時体験して貰えたらとバカな考えも浮かぶのだが、実際の国家間の緊張関係なぞはそうした感情論には触れてこない。
だがしかし希望の光は絶やさない方向で、核兵器廃絶の叫びも絶やさないで欲しい。
世界の平和、そんな夢物語が実現するとは考えられない、けれどもホントは実現可能なのだが、その為には民族間の憎しみや確執に偏見や対立、それに宗教観の相違なども複雑に絡まるも、為政者が努力次第では実現可能と幼稚にも考える、まぁそれも絵空事、単なる理想論でしかないけど。
それにしても、このアニメ映画化の中に多くの若者が製作に関わった事実も見逃せない。
あの狂気の最中に起こされた京都のアニメーションスタジオ会社での放火殺人事件、たった1人の犯行ではあるが、あれもまた平和の中の被曝めいた〜殺人事件としても考えさせられる、たった1人の憎悪と狂気がアレだけの多数の死亡者や被害者を産み出す惨状を目の当たりにした私たち日本人、ヤハリ何かおかしい、同じ日本人同士で理解し得ない感情や意識があるのだ、と言う認識も必要でもある。
また感情的にも右往左往〜袋小路みたいな発案ともなったが、横道に入り込むようでこの辺で打ち切って置こう、それくらい少しく珍しく一考させられた作品ではあったのだ。
画はアメリカのマテル社の「ホットウィール」と呼ぶブランド、今月の発売の中の1つで、MAD PROPZ と命名されたヒコーキシリーズの最新作。戦争の兵器の戦闘機も又空の競走劇を演じる民間機にも変貌する。エア・レーサーと言う壮大なスポーツもあるのをテレビでも放映してたからご存知の向きもあろうが、そうしたジャンルも戦後に連綿と繰り広げられてはいた。
空のレーシングマシンのモデル化である。

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