
クイーンがデビューしたのは1973年、私が中学2年生の時です。
クイーンのメンバー(右から)
フレディ・マーキュリー(v.key)
ジョン・ディーコン(b)
ブライアン・メイ(g)
ロジャー・テイラー(d)
当時一番人気があったのはルックス的にはロジャーでした。
ジョンはオーディションで選ばれた最後のメンバーで当初はディーコン・ジョンと誤って表示されていました。また、髪を短くした頃は久米宏に似ているとよく言われていました。
当初はミュージックライフ誌(以下ML誌)のグラビアでも同じ時期にデビューしたバッド・カンパニーの方が大々的に取り上げられていたように思います。
バッド・カンパニーは元フリーのポール・ロジャース(v)とサイモン・カーク(d)、元キング・クリムゾンのボズ・バレル(b)、元モット・ザ・フープルからミック・ラルフス(g)とそのメンバーから大物バンドとして注目を浴びていました。
クイーンは最初はあまり注目されていなかったような気がします。
しかし、ML誌はクイーンの記事を毎月のように載せバックアップ。
日本のリスナーもクイーンの音楽に徐々に魅せられ、クイーンの人気は日本から火がつき世界的なバンドへと成長していったのでした。
この頃のML誌はまるで、ミル・マスカラスの特集を何十回も組んで日本でのマスカラス人気を爆発させ、ゴングのマスカラスかマスカラスのゴングかといわれたゴング誌のようでした。
写真は初期のクイーンを紹介するML誌のグラビア。「躍進」の2文字がなんとも初々しい感じ。
クイーンの音楽はその当時のディープ・パープルやレッド・ツェッペリンといったハードロックバンドとは明らかに違っていたように思います。
なんというか、派手でカッコイイのです。クイーンファンに怒られるかもしれませんが、1枚目を聞いたとき、まるで歌謡曲のような感じがすると思った時期がありました。それは魅力的なフレーズをたたみかけるブライアンのギターとフレディのボーカルの艶やかさはもちろんのこと、短い曲の中に色々な要素が凝縮した曲ばかりだったからだと思います。

ファーストアルバム「戦慄の王女」(写真右)はデビューシングルの「炎のロックンロール」に代表されるようにブリティッシュハードの要素を残しながらもカッコイイ曲が揃っていました。しかし、サウンド面においての多重録音の多用などメディアからは酷評されたようです。
二枚目の「クイーンU」はホワイトクイーンとブラッククイーンの啓示というプログレッシヴ・ロックバンドのような構成のアルバムでこれも賛否両論。
私は1枚目の方が好きでしたが、プログレ好きの友人はこちらの方がいいといっていました。

このアルバムの中ジャケットでは彼らは化粧をしてジャケットに収まっていました。
これも賛否両論、化粧するのはグラム・ロックとかパンクでは?彼らは何者?(苦笑)
三枚目の「シアー・ハート・アタック」(写真左)は2枚目からすぐに発売されたような気がします。
1枚目の流れを感じさせるこのアルバムからは「キラー・クイーン」が世界的な大ヒットとなりますが、仲間内やML誌ではあまり評価がよくなかったような気がします。クイーンへの期待は既に強大なものになっていたことと、ロックにしてはあまりにも綺麗過ぎるという印象だったのです。

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