2009/12/15  22:21

鶴田最強説  ライフスタイル

最近はK1や総合格闘技に押されっぱなしですが、僕らの中学時代には初代タイガーマスク(佐山サトル)が登場、一大プロレスブームがありました。

多くの友人はアントニオ猪木率いる新日本プロレスファン。その中にあって僕はジャイアント馬場の全日本プロレスを応援していました。

http://www.youtube.com/watch?v=8E0e9RgVNvI

陰りが見え始めた馬場が、久しぶりに32文ロケット砲を繰り出したスタン・ハンセンとの初顔合わせには、ファンとして溜飲を下げました。

馬場の一番弟子であり、中央大学から「全日本プロレスに就職します」と言って入団したジャンボ鶴田は「善戦マン」の欲しくない称号を与えられていました。

しかし、長州力らジャパンプロレスが全日本のリングにあがり始めた頃から、その無尽蔵なスタミナと運動能力が見直されました。いつしか「鶴田最強説」を唱えるファンが増え、かく言う僕もその一人でした。

米テキサス州アマリロのファンク道場で習得した4種類のスープレックスに加え、ドロップキック、ルー・テーズ直伝のバックドロップの切れは、今見ても素晴らしい。

そんな彼ですが、病魔(肝炎)には勝てずに40代で引退し、移植手術も上手くいかず帰らぬ人になってしまいました。

http://www.youtube.com/watch?v=oW1WeLenxeo&feature=rec-fresh+div-f-4-HM

師匠の馬場、後輩の三沢光晴も今は天国にいます。プロレスは八百長と言われますが、プロとして身体を酷使してきたことが、悲しいことに亡くなることで、そのすごさが認識されるとは皮肉なものです。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ