近畿車輛が製造したバスと言えば何と言ってもビスタコーチであるが、こんなバスも製造されていた。近畿日本鉄道の昭和41年式日野RC100PTで、当時丸型のモノコックが当たり前であったが、まるでスケルトンバスの様なスタイルである。
昭和41年式3台、42年式2台のみ製造されたらしい。
防長交通には昭和47年に移籍したそうで、平成9年に初めてこれを見た時に残っていた定期点検ステッカーによると昭和54年頃廃車になった模様。
山口県の日本海側のとある港に置かれているのだが、もう6〜7年は行っていなかったのでもう無いであろうと思っていたらまだあったので驚いた次第。何しろ海のそばで、発見当初から相当痛んでいたのである。
近鉄時代は貸切だが防長移籍後は路線転用されていた模様。方向幕は無く、バンパーの上にサボが設けられていた。
リアも独特。サブエンジン冷房車で、リアガラス上の出っ張りも冷房機器の一部では?以前はすぐ後に木があって後部は見る事が不可能であった。
屋根は結構深いのだが天井はフラットに近い。その間に風洞があり中央のルーバーが冷気吹出口ではないかと思われる。ガラスが割られたおかげでよく見える様に…。
サッシレスウインドゥで、金産製BM320のイメージがある。
近畿車輛製である証しは今も残る。
隣には明かり窓に「京都近鉄観光」の表記が残る金産製のRC100Pがある。これも昭和41〜42年式である。路線転用でライト間に方向幕が設置されていた跡が残る。
参考文献:日本バス研究会「バスファン No.228」
防長の廃車体つながりでついでに。てつまろさまから紹介されるまで存在を知らなかったのだが、行ってびっくり屋根付きで極上の廃車体である。これも40年代前半の金産ボディ製で日野RB10PかRC120Pであろう。
やまぐち号の追っ掛けをする人には有名かも。

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