「勘違い 2 幻想を捨て悲しみの中から立ち上がろう」
オカヤドカリ残酷物語 Japan
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このところ嫌がらせが酷くなってきた。どうしてそんな時間があるのだろう。(笑)
他所で書いたものだが、少し意を補ってここにも貼っておいてあげよう。
> そうですよね。「自分に迷惑をかけない」ですね。
> 世界の役人は大抵同じなものだもんだ。
役人だけでなく、私達もそうではないでしょうか。
例えば、実態調査報告書の話が別掲示板で出たけど、こういった本を所持し読んでいる人達などは、ヤドカリの保護の為には何もしていないし、その気すらない。他のことには際限もなく時間を費やせるのに、こういった話題については一言もない。あるのは己の名誉欲と自己弁護の為にする他人の誹謗中傷だけ。
現代は財産を持っている人、収入や社会的地位のある人ほど、公共の財産について関心がないようです。
義務もないのに何でそんなことやらねば(言われなければ)ならないの、自分の時給はあなた方の倍、私の時間は皆さんの倍の価値、常に忙しく、他の人や物の為に費せる時間は一切ない、と、まあそんな感じでしょうか。
でも、希少生物は絶滅してから後悔しても手遅れです。一部の人らにとってはネタとして利用する為の生物でしかないとしても、私達にとっては、生まれ住み埋まっていく日本という国の環境・文化、そして将来の子孫らへ残すべき『財産』なんです。自分のお気に入りのおもちゃ、お友達集めの為のお人形さんとは違います。
私達、『公』という概念を持つ日本人というグループには、自分のうちで飼っている生物の個体そのもの、それにどんなおもちゃ・餌を与えるかといった問題よりも、自然に生息する種を生存させ続けること、自然と命と人の心(道徳)といったものを保存することの方が、より一層大事なんですね。その辺のところ、業者と共存共栄、ブームの継続を願ってる愛好家の方、どうでしょう。賛同いただけますか。
幸せな飼い@と幸せな飼い主を、情報交換しましょう、などと言って掲示板やブログなどで交流を深めておられる方々がいます。そのこと自体は良いこと、便利な時代になったなと思うのですが、そういった方面の、何か自分に負担のかかりそうな話題が出るや、一斉に誰も何も書かなくなってしまいます。それは一体何故なのでしょう。
つたない個人の経験から、一つ分かったことがあります。良識家を気取る人達は、世間体の為にだけ動くのです。世間が世論が沸き起こってなければ、決して動きません。逆に、必要がなくても、自分の世間体に影響あると思えば、即座に、際限もなく時間も手練手管も投入します。
今出て来ない、あまっさえ反対のポーズさえ取っているのは、まだ機が熟していない、その為には今後まだまだ相当の努力(自己犠牲)が必要と本能的に知っているからなんですね。考え方の違いなんてない。エゴか公か、戦闘中戦うか、それとも穴に隠れていて、終わるやナイフを取り出し敵兵の死体を捜すか、そういった『生き方』の違いでしかありません。
もし運動が成果を上げそう、この辺で役所が何らかの措置を取りそうと踏めば、さも初めからやっていたかのように颯爽と小躍りして飛び出て来るでしょう。どうか早くそんな局面が来るよう、皆さんそれぞれの場で問題の存在をアピールしてください。
先般(この書き直し稿は、それからかなり経ってますが)リークされた某事件の顛末を巡り、今度という今度は私も骨身に沁みて分かりました。
今後私達、何かを改善したい、他の人や生物、社会に貢献したいと願う者は、自分に出来ることを自分一人だけで、のみならず、本来仲間である筈の者らからの完全非協力、そればかりか誹謗中傷、妨害さえも予期し、やっていく覚悟が必要ですね。
ムラ社会から冷たいスルー、村八分の目に遭っては耐えられない人も多いでしょう。表向き手を繋ぐことは出来ませんが、お互い頑張りましょう!
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。日本は、むしろ大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。(明治18年3月16日)
isa訳 脱亜論(
http://www.chukai.ne.jp/~masago/isa_datuaron.html)より
12/10/06 手直し 旧記事は保存済み。なかったことにする気はありません。

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