それとも、自分は詳しいことを知っている、だから有難く拝聴しろ、だがお前ら何をするか分らんので、微妙な問題は教えない。こう言ってるだけ?学芸会じゃあるまいし、誰がどっちがどれだけ知っていても良いんですよ。肝心なのはネタにされてるオカヤドカリの命でしょ。助けること。
人に、よく知っててすげー、立派なことおっしゃってるー、なんて尊敬されたって仕方ないの。助ける気もない、自分に出来る範囲内でと言う(当たり前だ、私だって出来ないことを出来るとは言えない。)人、未来永劫そんな時間は捻出出来ない人は、学芸会レベルの薀蓄披露合戦やら、私生活の自慢やら、オフミ仲間の募集にいそしんでて良いんです。でも仮にも改善を目指し言葉に出す人が、そんな人達と同じじゃまずいでしょ。
ついでに言っておけば、普段は平気で見ていて、オカヤドカリを死なすことをそれほどかわいそうとも思ってない人が、今更殻を無理矢理替えさせる程度のことを「虐待」、「残酷で真似してはいけない」と言う方がおかしいと思います。*
よく言われる「自己満足」、「自己満足(趣味)の為の運動」、それはこういった時にこそ使われる言葉だと思うのですよ。何か変ですかね、私の感じ方。
批判ではありませんよ。何もしないよりはずっと立派です。でも毎年毎年、言うだけの”季節行事”にしていて良いものでしょうか。けど何かやってるから立派だとか、誰もがこれこれこうするべきだとは私は思ってないです。ブラックプロパガンダにはよく使われてますけど。
*注記しておきますが、どんな方法にしろ無理矢理殻替えさせるのはオカヤドカリにストレスを与え、良い影響を与えませんよ。商品として売ることだけが目的の商人以外の人、特にかわいいと思ってこの生物を飼う気になった人は、どうしてもという緊急の要のない限り絶対にやってはいけません。
−つづく−

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