久々に
国会図書館を利用した。もしかしたら3年ぶりくらいかもしれない。
館内の佇まいは、私が足繁く利用していた10年ほど前からほとんど変わっていない。とはいえ、使い勝手は全く様変わり。
かつてはコリコリ手書きした入館申込書を受付に出して通り過ぎた後で、さらに閲覧カウンター前に置かれた大仰な「閲覧申請用紙発行機」のボタンを押して「ウイーン・ガチャ!」と一枚一枚打ち出される用紙に、これまた手書きでコリコリ書き込んでいた。で、それをカウンターに提出してから現物が出てくるまでの所要時間が40〜50分。その間に6階の食堂までいって腹ごしらえ……というのが利用時の決まった段取りだった。
ところが今では入館申し込みも受け付け前のタッチパネル。そこで発行されたICカードでゲートをくぐり、すぐ脇のレファランス用PCで検索→申請すれば、20分も掛からずカウンターで資料にお目にかかれる。ずいぶん変わったものだと思う。
そんな国会図書館で、古巣の雑誌を申請してみた。かつて私が大学を出てすぐに就職した業界専門誌(
ここなど参照ください)は、書店では売られていないが、国会図書館には納品されている。その業界誌時代に調べ物で通った図書館で、今はその業界誌を閲覧するのも何やら妙な気分ではある。
カウンターで久々(6〜7年ぶりくらい?)にその雑誌を手にとった瞬間、思わず息を呑んだ。
いや、「変わっていない!」と……。版型もロゴタイトルも誌面のレイアウトも、私がいた頃のまま。何せ会員購読社の中には、私が在籍していた十数年前から同じ広告原稿をそのまま出しているところもあってビックリ(汗)。
ただ、さすがに印刷は今や写植に切り替えられていた。というか、私が退社した16年前の時点で、この雑誌がまだ活版印刷されていたことを思うに、全く隔世の感がある。
今の30歳代以下の人にはピンと来ないかもしれないけど、その頃(1990年前後)の雑誌作りの世界では「原稿用紙に手書きされた原稿を編集者が印刷所まで持ち込み、それを見ながら職工さんが一文字ずつピンセットで活字を拾い上げながら版を組んで刷る」という世界が、何のかんのでまだ現役として残っていた。だって、まだインターネットどころか「パソコン通信」すらごく一部の人たちの利用に限られ、ワープロですらそんなに普及していなかった時代だ。
だから当時は、原稿用紙十数枚に鉛筆で手書きした原稿が何本か揃った時点で、赤坂の事務所から文京区春日の印刷所まで下っ端の私が持っていくということをやっていた(蛇足ながら当時はまだ都内の地下鉄網も半蔵門線や南北線が全通していなかったために、わざわざ赤坂から大手町まわりの乗換えで行ったものだったな)。
で、新規原稿を渡すのと引き換えに、その前に渡していた原稿のゲラを持ち帰ることになるわけだが、もとよりその行き帰りの電車の中でものんびりしていられるわけがなく、さらにまだ残っている原稿を電車の中で紙に向かってコリコリ書き続けたりする日々だった。
ひどい時には取材先へのインタビュー直後、帰社途中の電車内で座れず立ったまま、カセットテープの音声をイヤホンで再生しつつ、吊革を掴んだ左手の肘を台座に鉛筆で書き込むという荒業をやったこともある。ちなみに当時まだ銀座線を走っていた旧型の車輌に乗り合わせると、ポイント通過時に電源が切れて車内の照明も真っ暗になったりしたため、原稿を書きながら結構ギョッとしたこともあった。
そんなこんなの最中に原稿を持ち込んでいた文京区内のその印刷所も、さながら海賊船の中のような空間だった。狭い玄関から入った1階には、ずしりと活字を入れ込んだ木箱が床から天井まで積み上げられ、「かっこんかっこんかっこんかっこん!」というけたたましい機械音の中で十数人のベテラン職工さんたちがインクにまみれながら作業をしていた。2階の事務所に上がると「海賊船の女棟梁」の如き社長の奥さんが、私が来るなり「アンタちょっと! そんなギリギリに持ち込まれたって、ウチは新聞社じゃないのよ!」とか説教してくれたものであったが、一方の社長は机でゆうゆうと新聞を広げていたり……。
……だったなあ、などと思い返す国会図書館の雑誌閲覧室は20年前と今なお変わらぬ雰囲気だったものの、20年前にそんな感じで印刷していた雑誌も今や印刷方式は写植に切り替わり(上記の活版印刷会社も既に店じまいしたらしい)、国会図書館の閲覧方式も様変わりし、20代の若手業界誌記者だった私も、40代のポンコツ級フリーライターになった。
あの頃に私をシゴいてくれた上司は今も社にとどまり、編集作業をリードしていた。文章も相変らず骨っぽさを感じさせたが、雑誌そのものは私がいた頃に比べてずいぶん薄く(ページ数が少なく)なっていた。まあ、当時ですら印刷所への出張校正に上司と私の2人だけで行ったこともあるくらいだったから、マンパワー的にはますます大変になってきているのだろう。
あと、社長は……体調を崩し、病いと闘い続けているようだった。かれこれ80歳近くになるはずだから無理もないが、誌面に毎号掲載されているエッセイからは、いろいろ大変そうな様子が伝わってきた。
若い頃から世話になってきた上の年代の人たちを見ていると、えてして「自分も年々齢をとっていくんだ」という意識から放免されるものらしい。ところが、いざそういう人たちの老いや衰えやリタイヤや、あるいは普段の利用空間の中でのさりげない変異を見せつけられると、やっぱり「俺もロートルになっちゃったんだなあ」と思わされますね。まあ、近頃あちこちのメディアで威勢のいい20〜30代の人たちのインタビューとかを見るに「そろそろ俺も引退しなきゃ」と思ったり(とはいえ、それなら引退後の生活をどーすんだっていう命題にも必然的に直面するのだけれども)。
さてさて当面、次にまた国会図書館へ行く時までは元気でいないと。

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