同じ素材(熊本県の検証会議が発表した「最終報告」)をめぐっても、報道する側の着眼点によって、見出しはこんな具合(↓)に違ってくる。
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赤ちゃんポストに51人「匿名は倫理低下の恐れ」
(読売新聞 11月26日21:39)
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赤ちゃんポスト、2年半で51人 「国の母子支援必要」
(朝日新聞 11月26日19:04)
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赤ちゃんポストに51人=「相談との一体運用で意義」−県検証会議が最終報告・熊本
(時事通信社 11月26日15:22)
ただ、それぞれのメディアの思想的スタンス以前に「それだけ見方の分かれるテーマなんだろうな、これは」と思わされる。
というのも、この「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」について地元の民放テレビ局(熊本県民テレビ)が一昨年から継続的に取材・制作したドキュメンタリー番組を、たまさか私は昨年まで2年連続で見る機会があったからだ。
とりわけ昨年見た2回目のインパクトは大きかった。一つには何より実際に「自分が産んだ我が子を手放した」母親たち(もちろん顔や実名は伏せていた)が登場し、自らの苦悩を肉声で語っていたことだ。
もっとも、見ていた私がさらに深く考えさせられたのは、例えば次のような人たちも登場のうえ証言していたことだ。かつて自分が出生後すぐに親から捨てられたことへの悲痛を胸に抱えながら今や自らも子供を持つ母親となった女性。あるいは不妊治療に悩んだ末に、「こうのとりのゆりかご」を運営する慈恵病院から生後1ヶ月の子を養子に迎え入れ、幸せそうな表情で語る夫婦――。
こうした“赤ちゃんポスト”とも呼ばれる施設が、あるいはこれから増えていくのだろうか……といった社会の側の懸念に対して
「
私は、日本ではまだこうした施設は増えないと思います」
と、慈恵病院で看護士を務める田尻由貴子さんが決然と、達観したかのように語るシーンが番組の中に出てくる。この社会にはまだそうした素地が無いと見る田尻さんは、続けて言う。
「
授かった命を個人で育てられないなら、社会で育てられるようになってほしい」
「
命というものは、救われてこそ様々な権利が生じるのです」
と、慈恵病院院長の蓮田太一氏は言った。
「
これを使ってほしくはないが、実際にはそうした現実がある」
「
こうした問題について総合的に相談できる窓口がないと、これからも不幸な子を育ててしまう」
と指摘するのは、里親として病院から子供を引き取った前記の夫婦。しかし2人はこうも言う。
「
自分で産んだか否かは親子の絆に関係ない。尊い命を授かり、誰よりも幸せです」
出産直後に我が子を手放したという41歳の女性は言った。
「
やっと『産んでよかった』と思えるようになった。別のところですくすくと育っているんだなと思うと」
番組の冒頭とエンディングには、慈恵医大での出産シーンが描かれる。最後の場面、長時間の陣痛に耐えた後で生まれたばかりの我が子を初めて抱き寄せた母親がむせび泣くように言う。
「
すっごい幸せと思う……」
そんなわけで個人的に、このテーマになると正直深く考えさせられる一方で、自分自身は何と言ったらいいのか、私には未だにわからない。

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