師走の街の風景がよく似合う駅だなあ。
東武伊勢崎線と地下鉄銀座線のターミナル。もっとも、両線を日頃利用する人でも、この浅草駅までやってくるのは年末年始も含めてほんの時々というケースが多いんではなかろうか。
戦後、東京の都心が新宿や池袋などの西側へとシフトしていく中で、かつては都内一のターミナル繁華街だった浅草は地盤沈下した。もちろん相変らず観光客は多いけど、日常の通勤客の利用は、もはや他の首都圏大手私鉄やJRの都心駅に比ぶるべきもない。
象徴的なのが、上の東武浅草駅だ。ここを起点とする東武伊勢崎線は首都圏でも屈指の通勤路線で、毎朝8〜10両編成の電車が、北の埼玉方面からの通勤客を満載して都心方面へとびゅんびゅんやってくる。ところがそうしたハードな通勤電車群は浅草よりも手前の北千住や曳舟から地下鉄に乗り入れて銀座や大手町まで直通してしまい、浅草駅まではやってこない。
というよりこの駅、構造的にもそうした長大編成の通勤電車には対応できない。浅草がまだ隆盛を誇っていた昭和初期、首都圏の人口規模が今よりずっと小さかった時代に造られたターミナル駅ゆえ、キャパシティが足りないのだ。
実際、それは訪ねてみれば(別に「鉄」でなくても)一目瞭然だ。国道4号線と6号線の間に三角形に挟まれた松屋デパート浅草店の真下にあり、駅の切符売り場やコンコースは至って狭め。なおかつ線路も駅を出たとたんに東へほぼ90度カーブして隅田川を渡る鉄橋にかかるというロケーション。
出入りする列車の長さが2〜4両だった時代はそれでも何とかなったのだろうが、今となっては精一杯ホームを延伸したものの、3本あるホームのうちの2本は6両編成までしか停まれない(残り1本も8両がやっと)。しかもそのホームたるや下記のような窮屈さ。先端はほとんど下手に斜めに切ったケーキか羊羹かという感じで、なおかつカーブゆえにあまりにホームと車両との間が空きすぎるため、特急の乗降口にはわざわざ駅員が板を敷いて対応している。凄まじい。
そんなわけでこの浅草駅には普段、日光鬼怒川や赤城方面へ向かう特急ロマンスカー(6両編成)と、北千住など比較的近場までの各駅停車や区間準急が発着するのみ。東武という大手私鉄の東京側ターミナル駅とは思えない、どこかのどかな雰囲気すら漂っている。
もっとも、この駅から北に20分ばかり先まで乗ると、今度は地下鉄からの直通電車が頻繁に行き交う堂々とした複々線(上下2線ずつ)に変わり、とりわけ埼玉県内に入った草加や越谷あたりでは沿線に高層マンションが立ち並ぶ中を新幹線みたいにがっちりと真新しい高架線がまっすぐに延びる大都市通勤路線の容貌へと一変する。この浅草駅から初めて東武電車に乗った人は、その後の車窓の急激な移り変わりに驚くに違いない。
駅のすぐ隣りは隅田川。お馴染みの対岸風景の中ににょきにょきと伸び始めた「東京スカイツリー」は、浅草駅から一つ隣りの業平橋が最寄りだ。完成すればそちらは見物客で賑わうだろうが、この浅草駅はますます路線の「外れ」にある「都心のローカル駅」みたいな存在になっていくのかもしれない。

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