ありがたいことに、西村新人類さんが相変わらず「仕方なく」私のブログを読んでくれているらしい。いや、マジ嬉しいですよぉ〜、これ。ほんとにこのブログって「本当に見る人いるの? せいぜい一日2〜3人じゃないのか」と思いながら始めた経緯があるだけに(笑)。
おかげさまで何時の間にやら総アクセス数も1万を超えたみたいで感謝感謝であります。
んで、私が「現場周辺は騒然とした空気に包まれています症候群」とかいうのを書いたのに対応してくれたのかどうか、「オウマー日記」(
http://www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/nikki.htm)で「〇〇社は取材に来なかった症候群」というのを2回シリーズでやってくれた(笑)となれば、私としてもお答えしないわけにはいきませんよ。だって、
> これは別に「誰」と言う訳でもないのだけど、いくらマスコミを批判
>しても、いざ自分がイベント開く段になると「メディアは注目てくれ
>ない」じゃあ、「あんたが馬鹿にしているメディアに無視されたんだろ?
>大喜びの筈じゃん」と突っ込みたくなる。
とか書いてくれてるんですからね。「『誰』と言う訳でもない」ったって、「そういうあんたの言うことに、いったい俺以外に何人返答してきたかい?」との再突っ込みをしたうえで、以下お返事。
「大喜び」はその通りなんですよ。何しろ『週刊新潮』の記者ですら「オウム信者とフリーライターに人権はない」って答えたって無視して書いてくれないんですから。
まあでも、そんなこと言ってたらこっちが「伝えてもらいたい」情報を発信しても「メディアは注目してくれない」になるのは確かに当たり前。でも、じゃあこっちが世の中に情報をアウトプットしていこうと思う時に、そんな『週刊新潮』その他のメディアごときが生殺与奪の権利を握るのがおこがましいと言ってるわけですよ。だって、それを知りたいと思う人がいるっていうのは体験的にこっちはわかるわけで、既存マスメディアごときがしゃしゃり出て邪魔するならば「すっこんでろ馬鹿」と言いたくなる。
まあ西村さんや、西村さんが大好きな「アカ」の人たちは、メディア批評をする際に「今のマスメディアを何とか良くしたい」と思ってるのかなって気がするんだけど、はっきり言って私は逆ですから。「俺たちの邪魔になるんならNHKも朝日新聞もとっとと滅びてしまえ」と思うし。
ただ、そんなガラクタどもでも「リサイクル」流行りの今日では有効活用の方法があるわけでね。「リソース」としては今後も便利に使わせていただきましょう。ただ、ガラクタごときが「我々にも人権を」って言ったら「ガラクタに人権はない」って言ってやるかな(笑)。
> 結局、メディア批判が好きな人の言う「メディアの最大の問題点」
>って、自分(達)に発言の機会がない事や、自分(達)に都合の良い報道を
>しない事なのではないだろうか。
まさにそういうことです。要するにメディアをできるだけ「自分たちに都合よく使えるものにしたい」と思っているわけでね。
こう言うと「それは危険だ!」という人が出てくるかもしれないけど、私に言わせれば「ひと握りの人間しかメディアを使うことができない」という今の状況のほうがずっと危険だと思うしね。
> 面白いことに、森ブタつやも滝本自由法曹団もいわたろちゃも、表現
>は違えども、「メディアは黙殺した」「〇〇社は取材に来なかった」
>みたいな事を頻繁に言ったり書いたりしますよね。メディアとやらには、
>オウム問題があると、特定の文化人を回る義務があるのでしょうか?
>大体、言ってる人間だってメディアそのものじゃん。
そうです。私はすでに「メディア」ですね。
> 自分の印象だと、どっかマスコミ批判の人って、「〇〇社は取材に
>来なかった症候群」にかかっているような気がする。
まあ、これは単なる「ひがみ」の部分が大きいってことは認めます(笑)。
>いざ自分が出られれば自分に異を唱える奴なんて仕事の邪魔だから
>2ちゃんねるにでも行ってくれ。異を唱えるのが自分である事が重要
>なのであって、自分が権力の側に回れば、自分に異を唱える雑魚なんて
>勿論黙殺。それが本音ではないだろうか。
これもまったく同感。
> 無論、誰だってそういう部分はあるだろう。大きなメディアにチヤホヤ
>されるのは楽しいから。だったら「今のオウム問題の最大の問題点は、
>自分を使わない事にある」って正直に言えば良いのに。
自分どころか、ほかにももっと「使える」人は大勢いるのに何で使おうとしないんだろう。もったいない−−というところかな。そこは「単なるひがみ」ばかりで言っているというわけでもない。
> 何て言うのか、世の中の「黙殺症候群」「〇〇社は取材に来なかった
>症候群」の患者の多くって、カンダダの蜘蛛の糸みたいなもので、マス
>=メディアの恩恵にあずかる蜘蛛の糸は、自分の足の下で切れて欲しいと
>思ってるような気がして仕方がないのである。
ここも同感なんだが、
> もしそうならば、である。
> 要するに、発言したい人や公表されたがっている情報の数に、現在の
>メディア産業言論のシステムがつりあっていないのが問題点なのだから、
>情報生産力にそぐわない現在の情報生産様式・情報生産手段は、科学的
>ほりえもん革命で新聞もテレビも殺してしまった方が、「黙殺症候群」
>「取材に来なかった症候群」よりも、はるか人民民主主義的で人民大衆
>の利益にかなっているではないか。
> 蜘蛛の糸を光ファイバーに張り替えた方が、どれだけ地獄の住民の
>利益になる(←5字密かに尊師用語)だろうか。
これは変化として現実にすでに起こりつつある。将来的にどの程度まで進むかはわからないが。
> 考えてみれば、ほりえもんの「新聞・テレビを殺す」旨の発想って、
>今から10年弱前に、ネットに熱中した多くの人が多かれ少なかれ思った
>事である。
> 例えば、誰でもが「本当に」情報を発信できるようになったら、
>「本当に」メディア産業の情報は質的に有料たりうるものだったのか、
>そして、「本当に」知識人には非知識人よりも将来を見据える力が
>あったのか。言い換えれば、本当に市民記者は情報のプロを超えられ
>ないのか。そもそも、情報は有料たるべきなのか。インターネットを
>まさぐってみれば、どう考えても有料が相応しいソフトウエアの世界
>ですら、ギブアンドテイクの精神でフリーウエアが流通している。
>英知の集積たるプログラムが無料で、普通に生活していれば何だかの
>価値あるものが収集できる情報が有料である理由はどこにあるのか。
> まあ、当時、自分は、既存メディアは既存メディアとして残ると
>思っていたけど、ほりえもんという人は、あの当時の熱気を持ち続けた
>人なのだろうし、ほりえもん思想の中核たるそこを見落として
>ほりえもんを批判しても、何の説得力もないと思う。
> ま、もっとも、ほりえもんって、自分にとっては単なる暇つぶしの
>道具だけど。
今にして思えば、ほりえもんは真っ正直に正面から喧嘩を売りすぎたと思う。市場外取引でニッポン放送の株を買い占めたあたりまではゲリラ的でなかなかしたたかだなと思ったし、言ってることは基本的に今でも間違ってないとは思うのだが、逆に相手の土俵に乗っかっちゃった分、底が露呈しちゃったという印象がぬぐえないんだよな……。
とりあえず、そんなお返事まで。これからも「メディア」としての岩本太郎を暖かく見守ってやってくださいませ♪

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