「あんた、どんなの書いてる?」と、その作業服を着た50〜60歳くらいの男性は言った。
「オウム(真理教:現「アーレフ」)のこととかを書いてる」と私は答えた。
「オウムのことをどんなふうに書いてる?」
「オウムは間違ってるが、周りが『反対反対』っていうのもどうかと思うって書いてる」
「『どうか』っていうのは?」
「たとえば行政の住民票不受理なんてのはおかしいってことですよ。オウムに反対するのはいいにしても、奴らの言い分ぐらいは聞くべきだ、と」
「本とか書いたのある?」
「本っていうか、雑誌ならある」
と言いながら私は名刺を彼に差し出した。名前と連絡先と「フリーランスライター」という肩書き(?)しか入っていない、殺風景な名刺だ。
「ああ・・・・・・だったらちょっと話してみてもいいかもしれない」と彼は名刺を眺めながら言った。「何て雑誌?」
「『創』って月刊誌」と私は答える。「今日は5月5日だから、記事が出るとしたら6月7日に出る7月号だね」
と、言ったとたんに彼は落胆したようだった。“なんだよぉ〜”とでも言わんばかりに表情を曇らせた彼は言う。「あ〜・・・・・・それじゃ、もう遅い」
「それは・・・・・・例の5月15日とかの話があるから?」と私はおずおず聞く。
「もう何日か遅れるけどね」と彼は平然と答える。「地球がなくなるから」
前にも書いたが「千乃正法」と、その傘下にある例の白装束集団「パナウェーブ研究所」は、来たる5月中旬に太陽系の第十惑星「ニビル」が接近することにより、人類はおろか地球そのものが滅亡すると主張していた。
「いや、だから」と、内心メゲそうになるものを覚えながら私は聞いた。「もしそれが本当なら、今頃専門家とかが大騒ぎしてるんじゃないかと思うんだけど」
「アメリカはもう知ってる」と彼は言った。「NASAはもうつかんでるんだよ」
「知ってて黙ってる、と?」
「そう、だからこないだ戦争(イラク戦争)やったでしょ? あれはそのカモフラージュだったんだよ」
黄昏時、あたりにはほとんど人影も見当たらない、高原地帯の白樺林の一角でそんな会話を続けながら、ふと何かでこういうシーンを見たことがあるなと思う。あれは子供の頃に見たNHKの少年ドラマシリーズのSFものだったか。派手な特撮などもないかわりに、登場人物たちのセリフを通して語られる世界は実に不条理に満ちている、あの世界にいきなり自分も紛れ込んだような、そんな錯覚が脳裏をよぎった。それにしても、標高1000mの別荘地帯の山林で大の大人2人が交わす会話とは、常識的に見てもとても思えない。
「でもさ、だとしたらここでこんなことやってるより、もっときちんと世の中に伝わるように言ったほうがいいと思うんだけど」と私は食い下がった。
「言ってるよ! でも、どこも取り上げてくれないし、気狂い集団とか言うばかりじゃない? みんなそうやって神の言うことを信じないんだから、信じないものは救われないのは仕方がない」
「そんなこといったって私は専門家じゃないんだからわかるわけがない」
「だめだよ! 書くんだったらそのくらい調べて書きなよ。調べないでデタラメとか何とか・・・・・・」
「デタラメだなんて言ってない」
「あんたは言ってないが、みんなそう書いてる」
「だからちゃんと言うべきは言って、違う意見とも比較したうえでみんなで判断すればいいじゃないか」
「だめだって! これが正しいのに、正しいことを書かないんだったら、あなたとは話しても無駄だ。意味がない」
と言いながらも、会話はその後もしばらく続いた。タマちゃんの件についてはアザラシの生態についてのかなり専門的な知識も持ち出してきたうえで「だから北の海に返すのが一番いい方法でしょ?」と譲らない。「こないだも九州のほうで子供が行方不明になった時に親が捜したでしょ? それが良くて、タマちゃんを元の海に戻すのがなぜいけないんだ」と、かなり強引な論理展開も持ち出すのだが、もうじき地球が滅びるという段になってそんなことをやっている意味があるのかという点については聞きそびれた。ともあれ、改めてここの代表者であるM氏あてに見本誌と手紙を送ったうえで、改めて正式取材の段取りをするとの話は最後に何とか取り付けた。
「これはカルトだとかデタラメだとか言わないんだったら、話してもいいと思う」と最後には彼も結構柔軟になった。「別に味方してくれなくてもいいから」
「味方にはならないと思うよ」と私が言うと、彼は再び身をのけぞらせ苦笑した。
駅までの帰り道、先刻の会話を反芻しながら「しかしたまげたな・・・・・・」としみじみ思った。記者仕事を既に十数年もやっていて、その間にはずいぶんいろんな人たちに会ってきたつもりだった。取材を断られるケースにしても、たとえば広告業界誌時代には企業の宣伝部の人から「月刊誌の取材ですか? ああ、発売日がその頃だと、もうキャンペーンが終わっちゃってて、こちらとしてもお受けしてもあんまり意味がないんですよねえ」なんていうことが別に珍しくもなく、何度もあったものだ。
とはいえ「発売日までに地球がなくなる」から遅すぎるとの理由で取材に難色を示されたケースというのは、さすがに私も今回が初めての経験だった。これだから何年やっても物書きの仕事はやめられないっていうか、冥利に尽きるよなあ−−と思ううち、行く手に見えてきた駅のホームに、本数の限られた小海線のディーゼル列車がちょうど滑り込んで来たので、慌てて改札口へ駆け込んだ。
編集部からM氏あてに送ってもらった見本誌と手紙は、数日後に返送されてきてしまった。前記の男性は「私はまだここにきたばかりで正確な番地を知らないんで、村の郵便局どめで送ってくれれば取りに行く」といっていたのだが、結局彼は郵便局まで受け取りに来なかったらしい.
そんなわけで「結局だめか・・・・・・」と一旦は取材を諦めかけたところだったのが、しかし最初の訪問から数週間後、「地球滅亡予定日」も過ぎた頃になって、突如私は前記ドーム別荘内での「千乃正法」ナンバー2・M氏への単独取材に臨むこととなったのである。
(つづく)

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