思った以上に降ったみたいですね、雪。
朝のうちにだいたい峠は越すのかなと思いきや、午後になっても東京にしては結構気合いの入った降り方で、うちの近所の公園でもさっそく誰かが雪だるまをこさえてました。例によって電車はあちこちで運休や遅れが続出。新宿駅南口の改札前にはテレビ局の取材クルーがズラリ(台風とか大雨・大雪の際には定番の中継ポイント)。
まあでも北国に住んでる方々からすればテレビを見ながら「これでニュースになっちゃうの?」ってなもんでしかないんでしょうけど、基本的に東京の人間は「東京のニュース=全国ニュース」「東京の価値観=全国共通のスタンダード」だと信じて疑わないところがあるので(ほんと、田舎から出てきた私などには常にそのへんの違和感が拭えない)とりあえず許してやってくださいな。こないだの羽越本線の脱線事故にしても「そんな強風や雪の日に列車を走らすなんて!」といった捉え方が東京発の報道からはぷんぷん匂ってくるのだけれど、日本海側の地方では冬場だって少々の風や雪ぐらいでは交通機関を含めた社会インフラも普段通り動いているのが当たり前なんです(もとより、あの事故での自己でJRの責任はきっちり厳しく問われるべきだとは思っていますが)。
もちろん、いま私は「北国」で一括りにしたけど、北国にしたって少し場所が違うだけで、冬場の雪に対する対処の仕方もまるで違ったりする。
大学時代、当時住んでいた盛岡から秋田まで冬に行った時などは「へえ〜」と思うことが結構あった。緯度としてはほぼ同じ北緯40度前後にある岩手県と秋田県だが、雪への対処法はかなり違っているように見えた。
というのは、秋田の雪は日本海を渡ってくる風が運んでくるだけあって水気が多く、ふわふわしている。だから本来なら積もりにくいのだが、何しろ降る量が半端じゃないからたちまち屋根の上にぎっちり積み重なるし、しかも重いだけに雪下ろしが急務となる。ただ、気温はそんなに低くないので少し晴れ間が覗くと溶け出すし、道路にも融雪用の散水設備が整っているので冬場でも結構クルマは街中をすいすい走っていたりする。
一方で盛岡あたりは降雪量はそれほどでもないが、とにかく寒い。だから一旦まとまった雪が降ってしまうとなかなか溶けない。何しろ今頃なら明け方に市内でもマイナス10度くらいまで行ったりするのだ。
大学受験で初めて盛岡に行った時だったか、駅前広場の路面のアスファルトがどうしてこんなにデコボコなんだ? と訝しんだ覚えがある。しかし実際は私が「アスファルト」だと取り違えたのは、降り積もった後に凍結し、なおかつ固く踏みつけられ真っ黒に変色した雪の地層だった(後日、叩き割った黒い雪の地層の厚さが20cmぐらいあったのを見せられた時には心底驚いた)。
そういう状況なので、当然秋田や新潟にあるような道路上の融雪装置はない。そんなものを設けたら、逆に水道管の凍結やら破損といった事態を引き起こしてしまうからだ。だからこの地方の場合は、とにかく暖かくなるまで待ちましょうというのが雪への対処法だった。だからその間3ヶ月ぐらいは私も愛用のバイクはおろか自転車にも乗れなかったし(そもそもバイクや自転車の置き場が完全に雪没していて近寄れなかった)市内をゆくバス路線などは完全に無ダイヤ状態。住んでいた寮から駅まで通常なら20分以内の道程(約5km)に1時間もかかるという有り様だった(正直、歩くのと変わりなかった)。そうした環境にいたらばこそ、たかだか10cm程度の雪で電車が遅れたの止ったのを一大事のごとくに全国ニュースで流して恥じない東京のメディアに「ばかじゃん、お前」とか言いたくなる。
そういえば以前、東京新聞の吉岡逸夫さんが書いた『イスラム銭湯記』(
http://202.33.140.26/genjin/search.cgi?mode=detail&bnum=10020)という本を楽しく読ませていただいたことがある。吉岡さんはもともとコテコテの報道部記者ではなくて、芸能やメディア関係の話題を扱ってきた方だ。
吉岡さんはアフガンやイラクの現地取材で、当地の銭湯を訪ね歩いて「こんなのがあるんですよ」と臨場感や好奇心の溢れるルポを本社あてに送ったという。けれどもその多くは却下された。なぜなら、東京の本社で現地の状況もわからぬまま明日の見出しを気にするデスクは「銭湯記」じゃなくて「戦闘記」(つまり現地ではドンパチバンバンをやってるのだ! というネタ)を送ってこいと彼に命じたのだ。
こんな話を聞いたこともある。カンボジアで長らく続いた混乱がどうにか集結した1990年代前半、PKOに参加した日本が現地で何をやってるかというんで、日本のメディアが大挙してカンボジア入りした時期のことだ。あるPKOだったか日本政府だったか――とにかく誰かが「赤痢」で体調を崩したらしい。したら各メディアの東京本社は「現地で日本人が赤痢になった!」とかいうんで一斉にネタ取りを命じたんだとか。アホか。カンボジアあたりじゃ誰だって赤痢ぐらいにはなるんだよ。
もっとも私は赤痢にならずに済んでいた。そう、1993年7月、私はカンボジアにいた。日本で報道(その春から日本人2人が相次いでカンボジアで殺されて話題になっていた)を見ていた家族からは国際電話で「絶対行かないで!」と言われていたのだが、隣りのベトナムで在住日本人の人たちに聞いたら「いや〜、別に何ともないみたいだよ」と聞かされ、陸路カンボジアに入ったのだ。実際、滞在中は別に危険を感じることもそんなになかった。
(ただ、泊まっていたプノンペンのゲストハウスでは夜間に外出するなと言われたし――2週間前に宿泊者が夜中に路上に出て頭を打たれて死んだという――、アンコール・ワットから空港への帰りの道端にはポル・ポト派の兵士がいたんでビビッたりもしたのだけど、でもこういうのがどこまで危険か否かというのは、実際に現地まで行こうともしない人たちにはわからない話だ)
って、何だか話が全然ずれていったけど、要するにメディアで伝えられる報道とは即ち
「現場で何が起こっているかを、不特定多数へ正確に伝える」
よりも
「現場で起こっているものの中から、現場以外にいる不特定多数にウケるものを伝える」
という方向に行かざるを得ないということですね。
だって大雪のニュースにしたって、新潟で3メートル雪が積もって90歳とかのお年寄りが落ちた屋根の下敷きになってるよりは、東京近辺のの10cmの積雪で何人転んで骨折したかとかいうほうがニュースバリューは絶対あるんですから。
マスメディアなんてのは所詮そんなもんです。だとすれば、そいつらをいかに騙して上手く使う一方、そいつらをに頼らない効果的な情報発信の方法をみんなで考えていったほうが良いんではないかと。
――って、全然別のことを書こうとしたのに、また話が逸れてしまいました……。

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