昨日は夕刻に新宿で晩飯を済ませ、そのまま帰ろうとしていたところにタミヲさんから「いま新宿で平野パパと飲んでるの〜」と携帯に連絡。他に誰か一緒なんですかと聞いたら「いや〜、二人だけだと変な噂が立っちゃうから、それでみんなを呼んでるの」というんで(笑)、新大久保の韓国焼肉屋へと直行。既に来ていた「りえぞう」さんや、少し遅れてやってきた初対面の若手写真家「louie」さんと遅くまでわいわい。
「平野パパ」とは、言うまでもなく新宿「
ロフト」の総帥・平野悠さんである。確かもう還暦を迎えたはずなのだが、相変らず歌舞伎町の熟女クラブに遊んでは「がははははは!」と笑ったり、かと思えばいきなり四国八十八箇所まわりのお遍路さんに行って「がははははは!」と笑ったり、先月だったかは沖縄本島一周のママチャリ旅行に出ては土地の人と遊んだり喧嘩したりしながら「がははははは!」と笑ったり、そして今現在は下北沢駅前の周辺整備問題に関連して、世田谷区側が下北沢タウンホールで開いた説明会の壇上に躍り上がって、ビデオ上映を実力で阻止して「がははははは!」と笑ったり――という具合に、とにかく元気な人なのである。というか、どう考えても行動パターンが年々若返ってるようにしか見えない(汗)。
「それがさあ、一緒にやってる連中に『行政のビデオ止めるかわりにエロビデオ流そうぜ! そしたら東京スポーツにもでーっかく書かれるんだからさあ』って言ったんだけど却下されたんだよお」とさらに笑いながら言う。そりゃそうだろうね。もっとも、60〜70年代の政治の季節がもはや完全に歴史上の物語になりつつある今、行政担当者の側にもこういうアナーキーな人物に対応できる免疫やノウハウが既になくなっているようで、エロビデオはともかく、区側が用意したビデオの上映阻止は見事成功。会場は大混乱に陥ったらしい(そういった諸々の報告については御本人が順次
こちらでしてくれているので、どうか御覧あれ)。
louieさんはその日、タウンホールへカメラを持って取材に行ったんだそうだ。もっとも、まだ20代の若さで全共闘運動など直接に知る由もない彼女も、いい齢こいたおっさんたちが行政担当者を相手に壇上で大暴れする様子にはさすがにびっくらこいたようだ。「お前さあ! だからああいう時はもっとどんどん前に飛び込んできて撮らなきゃだめだよお!」と平野さんに説教されていた。
で、私も説教される。「いわもと〜ぉ、お前さぁ! 武富士から金ふんだくれないからダメなんだよ〜。がはははははは!」などなど。しかしそう言われてもなぁ……(苦笑)。
でも、平野さんはとことん義理堅い人だ。かつての「個人情報保護法反対! 共同アピールの会」には精力的に参加した際、会の一角をなしていた宮崎学さん(『突破者』などの著者。グリコ森永事件の「キツネ目の男」?)が公安調査庁への活動協力疑惑をきっかけに会の主要メンバーたちから実質的に断絶されてしまって以降も宮崎さんとは交流を保ち続けている。他にも奥崎謙三や見沢知廉、沢口友美といった、その鮮烈な生き様のはてに世を去っていった人たちとも最後まで親交を暖め続けたし、あの元赤軍派議長・塩見孝也さんがどんなに大コケ(なんせトークライブへの襲撃予告に怯えて公安警察をプラスワンに呼んじゃったこともあった)を続けたとしても、きちんと友人関係を保っている。
ちなみに何でこの日はタミヲさんと飲んでいたのかというと、何でも『週刊金曜日』の取材で憲法について平野さんにインタビューしたついでなんだとか。「思いがけずマトモなことをしゃべってくれたんでビックリした」とタミヲさんがマジで驚きながら言う。
先日にはなんと『TIME』の記者までがインタビューに来たそうだ。「日本におけるトークライブハウスの先駆者」といったようなテーマだったらしい。「その号で日本から登場したのは俺だけなんだって」と言うのだが、この人のこういうキャラクターやロフトプラスワンという場所の性格について、はたして『TIME』の記者にはどこまで理解することができたのであろうか?
「うん、ここは俺が払う! また飲もうなあ」と言い、平野さんは夜闇の中を自転車で去っていった。しかしあのモーターつき自転車、試しに乗せてもらってアクセル回したら結構トルクがあったのにビックリ。そのくせハンドルは不安定で、それもしこたま酒飲んだ後にノーヘルで、大丈夫かな……という心配をヨソに、たぶんこの人はこれからもどんどん若返っていくのである。

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