また1週間ばかり空けてしまいました。すみません。何だかんだで気忙しくて……。
そうそう、先週は23日(木・祝)に結婚式に行ってきたんですよ。妹が結婚したもので。
以前にも書いたが、私には7歳下に双子の妹たちがいる。1人(一応「長女」)は故郷・静岡の高校を卒業後に絵描きを志して上京。美大進学のための浪人生活を4年ほど送ったものの夢は適わず、建築方面へと路線変更。現在は二級建築士の資格を持つ会社員として働きながら一級昇格を目指している。もう1人(一応「次女」)は高卒後も静岡にとどまり、現役で地元国立大学の教育学部に合格。4年で無事卒業のうえ地方公務員となり、6年前に結婚。ちなみに旦那はこのブログを作ってくれたU助くんである。
(もう一つちなみに、岩本家は上記の双子の姉妹と、私より3歳下の弟を含めた4人兄弟。弟は私とはまるで対照的な理系人間で、地元の工業高校を卒業後、今日まで県内にある電気メーカー工場に勤務。クルマや競馬や釣りが好きで、私とはまったく趣味が合わず、今だ独身であるところだけが共通)
このように、一応「長女」と一応「次女」は、一応「一卵性双生児」であるにも拘らずキャラクターが(「長男」と「次男」のケースと同様)全然違う。一応「一卵性双生児」だから当然顔も容姿もよく似ているし、子供の頃から共に通う学校などではよく間違えられたりしていたようだ。しかし兄である私は、2人が生まれてこのかた両者を取り違えたことはない(って別に自慢することでもないか)。
で、今回は東京にいる一応「長女」の結婚式である。これも前に書いたが一応「長女」(以下、特記以外は単に「妹」)は数年前からクリスチャンとして洗礼を受けたうえで教会通いをしており、そこで知り合った男性とこのほど結婚することになったのだ。
教会は小田急線の千歳船橋駅から歩いて数分のところにあるビル。ここの礼拝室で午後2時から結婚式を行い、少し離れた場所にある一般の結婚式場で4時半から披露宴――という段取り。
なのに、当日の私は休日であるにも拘らず、しかも夜型生活のフリーライターには結構過酷な(?)早起きを強いられたあげくに朝9時前には教会に顔を出さねばならなくなった。挙式が午後なのに何故そんなに早く式場入りしなければならないのかというと、「リハーサル」に立ち会わなくてはならなくなったからだ。
結婚式でリハーサルというのも何やら大袈裟なように思われるだろうが、そこはやっぱり正真正銘のクリスチャンの儀式である。もちろん、別に親族全員がリハ段階から参加しなければならないわけではなくて、基本的には新郎新婦と教会関係者が事前に段取りを確認し合うという程度の話であるのだが、そこに新婦の兄貴とはいえ、教会関係者でもなければ「信仰」というものにはおよそほど遠い私が親族から唯一参加しなければならなくなったのには訳がある。
御存知の通りキリスト教の教会における結婚式の場合、新婦とその父親が入口から祭壇まで敷かれた白い布(いわゆる「バージンロード」=変な和製英語)の上を一緒に歩いて入場する儀式がある。今回もそれをやることになったわけだが、これも以前に書いたように我々岩本家の父親はとっくの昔に他界している。よって、一家の一応「長男」である私が父親の代役として、妹と腕を組んで入場しなければならなくなってしまったのだ。
しっかし、これって本来なら結婚適齢期の娘のいるお父さんしかやる機会のない役回りだと思うのだけど、まさかそれがこの齢で、それも自身は未だ結婚もしていない私にお鉢が回ってくるとは想像だにしていなかった(以前にもう1人の妹が結婚した際は神前の式だったため、そういう話自体が出ず)。もとより母も心配になったのだろう。前夜から上京のうえ新宿のホテルに宿泊し(遠方から駆けつける親族たちへのケアのためということもあったのだが)、朝一番でリハに参加。私の寝坊遅刻を恐れて朝から携帯に留守電とメールを各1通ずつ送ってきた。
とはいえまあ、やることは簡単だった。ようするに祭壇まで花嫁と腕を組んで歩けばよいのである。ただ、ピアノの伴奏に合わせてゆっくり歩を進めなければならないのと、花嫁との呼吸を合わせるのに少々戸惑った。事実リハーサル1回目はコミカルに大失敗。しかし2回目には問題なくクリアー♪
あと、予想外に緊張せずにすんだのは、他ならぬ花嫁である妹自身がまるっきり緊張していなかったということもあるかもしれない。
我が妹ながら妙に感心させられるのだが、とにかくこいつは子供時代から、普通の人が物怖じしたり恐れをなしたりするような場面において全く動じることがないのである。というか、逆に著しく緊張感がなさすぎるためか、時折人前で信じがたい大ボケを次々にかますため、却って周囲を心配にさせるのだ。
今回も、訪ねた控え室でウエディングドレスを着た姿を見た時には「ふむ、馬子にも衣装か」と感慨を覚えたものだが、ほどなく「いやあ馬子にも衣装だよねえ」と自分で言いながら「あはははははー」などと、いつもの調子で笑い出す始末。
「お前、ぜんぜん緊張してないだろう」と私は言った。
「うん、ぜんぜん緊張してない」と妹は呑気に言った。
そんなわけで入場シーンもそつなく終えることができた。ただ、腕を組んで入場した瞬間、数十名の参加者の視線が一斉にこっちに注がれているのにはさすがに圧迫されたが、まあ、そこは仕事がら普段から人前に出て喋る機会も多いせいか、すぐに開き直った。幸い、ウエディングドレスの端っこを踏みつけるという、一番懸念していたミスもなし。
で、祭壇に向かって歩きながら「そういえば、こいつと腕を組んで歩いたことなんかあったっけ?」と、ふと思った。子供の頃からプロレスごっこでコブラツイストとかチキンウイング・フェースロックとかを何度もかけてやった記憶はあるが、こうやって人前で互いに腕を組みながら歩くなんていうのは――たぶんこれが最初で最後だ。
祭壇まで送り届けてしまえば、後は単なる親族の一人である。最前列の席で
「
い〜つくしみ深〜き、と〜もなるイェスは〜♪」
という賛美歌に大人しくじっと耳を傾けたものだが、それにしても確か2日前の同じ時刻には、永田町の国会周辺でZAKIさんが
「
いま、国会で審議されている――
共!謀!罪!法!案!!」
とかフルボリュームで叫んでは、止めに入ってくる警官と揉み合いになる現場にいた自分がこういうところにいていいのかという気がしてくる。
そんな後ろの席から眺める祭壇上の花嫁は相変らず全然緊張した素振りも見せない。一方で、新郎は実直な性格の青年でもあって絶えず緊張しまくっていたようだ。けど、むしろそういう伴侶を見つけてくれたのは良かったなと、見守りながら思った。もしも俺と似たようなタイプの男だったら何だか収拾のつかないことになったような気がするしな(笑)。U助くんにしてもそうだけど、2人の妹たちが共に素直で真面目な青年を伴侶に選んでくれたのは、兄貴としては嬉しく思うところだ。
披露宴では、U助くん共々静岡からやってきたもう1人の妹(一応「次女」)が、普段から練習しているギターをわざわざ持参のうえ演奏。ただ、これも見ながら少々ハラハラした。というのも「次女」である妹は、既にお腹が大きい。来年の春には、とうとう我々4人の兄弟姉妹にも“次の世代”が誕生しようとしている。
双子の「次女」であり、4人兄弟の「末っ子」として結局最後まで親元に残った妹は、いずれも「我が道を行く」タイプである3人の兄姉の振舞いを見てしまったせいもあるのだろう。およそ「末っ子」らしからぬ、世間的に見ても一番まともな人生を選んだ。そんな「次女」と「長女」の双子姉妹は子供の頃から喧嘩が絶えなかったが、同時に一番本音で語り合える間柄でもあったようだ。
ギターの演奏が終わった後で互いに喜び合う2人を見ながら、まあしかし、あの双子の赤ん坊が二人ともなんとかここまで無事にたどりつけたわけで……。で、その「赤ん坊」がもうすぐ「赤ん坊」を産んで「母」になるというんだから、何とまあ……。
新郎の御家族、そして、遠いところからもはるばるやってきてくださった我が親族の方々のテーブルにも挨拶して回る。まあ親父がいない以上、これは長男である私の役割なのである。40歳前に他界してしまったウチの親父を除けば、我が親族はむしろ比較的長寿。ただ、そのぶん既に足腰や悪かったり、病後で外出にも苦労するような中をわざわざ来てくださった方もいて、本当にありがたいことである。てっきり「(お前は未だに独り者で)お母さんが可哀想じゃないのか?」と説教の雨アラレになるかなとも覚悟していたのだが、みなさんお年を召したせいか「お父さんの代役、立派だったな」とか暖かい声ばかりだったのには少々肩透かしだった。もっとも「次は太郎くんの番だね?」と、きっちり何本も釘は刺されたわけだが。
ともあれ、そんなこんなで個人的にはこの秋の一大イベントだった行事はつつがなく終了しました。気がつけば今年も早や、残りわずか1ヶ月。

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