「鉄」でも何でもない方々から「
身延線、乗ったんですね」「
身延線の記事読んだよー」との反響をいくつか拝受。
身延線って人気あるんだな(笑)。途中まで書きかけで続きをもたもたと放っといてるうちに1月もとっくに半ばになっちゃったし、いつまでも正月気分の鉄旅日記ってのもどうかな……と思っていたのだけれども、そんなわけなのでリクエスト(?)に応えて、以下、続きをば
(※そうそう、この3月下旬には「身延線全線開通80周年」とかで記念行事なども予定されているそうです↓)
身延線は富士宮を境に路線の雰囲気がガラリと変わる。富士山のすそ野から南の駿河湾へと広がる、まるでお陽さま一杯のバルコニーような平野を行く幹線ばりの複線区間はここまで。富士宮駅を出た途端に線路は“けものみち”のようなか細い単線へと変わり、北側の山間部にぶつかるや、まるで身をよじらすかのようなS字カーブを描きながら急な勾配を登っていく。
その途中、「沼久保」という、人家も疎らな山腹の急斜面に簡素なホームが設けられただけの無人駅に停まる。この駅の前後の区間では南側(富士宮駅側から乗ってきた場合は進行方向左側)の車窓に「最後の名残に」と言わんばかりの本当に見事な(富士駅からここまでで一番の)富士山の勇姿が映る。
それまで窓の外の風景には注意も払わず仲間同士のおしゃべりに浸っていたグループ客も、さすがにここでは慌ててデジカメやケータイを取り出して窓ごしにかざす。ちなみに私は読みが浅くて進行方向右側の席に座っていたため撮り損ねました(泣)。
甲府行き電車の窓からは、この後しばらく富士山は姿を消す。山梨県側に入って、甲府盆地に近づいたあたりの区間から再び車窓右側に望めるようになるが、ここまでくると手前の山に遮られ、雪をかぶった山頂付近が見える程度だ。今後この路線に乗る機会があり、「せっかくだから富士山を電車の窓から見たい!」という方は、ぜひとも以上を参考にしていただければと存じますm(_ _)m
ともあれ、その後は富士山に代わるかのごとく、左手の車窓には富士川中流域の広い河原が表われ、かなり先まで線路と並走する。もとい、並走するのは線路のほうであって、ひたすら富士川の左岸(東側)を行き、対岸には最後まで渡らずじまいで終わる。
と、言っても川も線路も何というか「少しは堪え性というのがないのかお前は」と怒りたくなるくらいに右や左へ蛇行している。とりわけ線路の状況は「カーブが多い」というよりも、「まっすぐ走る区間が無い」と言い表したほうがよっぽど適切だ。たぶん身延線の全線(約90q)のうち、直線区間というのは(富士側と甲府側の平野部を行く区間を含めても)3割に届かないのではあるまいか。
既に書いた通り、この路線は明治〜昭和初期の、今よりも土木技術が比べようもなく未発達だった時代に作られている。仮にもし21世紀初頭の今になって同じ区間の鉄道を建設することになっていたら、たぶん静岡側の平野部から甲府盆地まで長大トンネルで一気に抜けるルートが採られたんだろうが、ここではとにかく川沿いの急峻な地形に極力逆らわないように線路が敷かれたという感じだ。もちろん、トンネルも多いのだが、いずれも煉瓦や石組みで作られた短か目の、かつ断面の小さい(ゆえにJRの中でも、この線に適合した車両しか入線できないらしい)ものが続く。地元財界が苦心惨憺の末にこしらえたという経緯が、路線の佇まいからも偲ばれる。
したがって、当然そこを行く電車のスピードも遅い。普通電車は川沿いの区間だと最高でも50q/h程度。富士・甲府の両側の平野部でもせいぜい80〜90q/h程度しか出せない感じで、結局全線約90qを走破するのに2時間半〜3時間も掛かってしまう。平均で30〜40qだから原チャリ(50ccバイク)なみ。ちなみに、特急電車でも同じ区間に約1時間40分(つまり平均で50q/h)を要する。単線で線形も悪く、途中で前を行く普通電車を追い抜くのもままならないインフラとなれば、どうしてもそうなってしまう。
つまり見た目にも明らかな「時代遅れの鉄道」で、マイカーの普及した今日ではこんな路線なんぞ沿線住民にも見限られ、もはや誰も乗らなくなっているのではなかろうか――と早合点したくなるところなのだが、しかし実態はそうでもなさそうだ。1月2日の午後に私が乗った富士発甲府行きの普通電車(普通電車)は、ほぼ全区間にわたって座席がほどよく埋まる感じで、しかも甲府に近づくにつれ吊革につかまる立ち客も出るほど。
「川沿いの急峻な地形に逆らわないためにカーブが多い」と先に書いたが、反面それは結果的に、富士川流域に古くから開けた集落をひとつひとつ丹念に数珠繋ぎ的にフォローするという経路設定にもなったようだ。
また、これも地元の私鉄だった生い立ちからか駅の数が多い(約90qの路線に39駅だから、駅間の距離は東京の山手線とか中央線なみである)。見ていると、どの駅でも電車に乗りなれた感じの地元客が数人乗り込んできては、逆に降りた客が構内踏切を渡って駅舎の向こうの集落へと帰っていく。
よく知られるように、富士川は日本を東西に二分する「フォッサマグナ(静岡―糸魚川構造線)」という断層に沿って流れる一級河川だ。また、これもよく知られるように富士川を境として日本の商用電力の周波数は東側が50Hz、西側が60Hzに二分されている。
つまり、ある意味で東日本と西日本の「へり」をなぞる分界線のような地域を、この身延線は走っている。加えて、路線の両端にある静岡・山梨の2県はどちらも東京を向いているせいか、相互間の結びつきはさほど強くない(というか、そもそも静岡県人は北側の山の向こうにある山梨・長野に対して“隣県”という意識がない)。
だから山梨―静岡間には今なお高速道路もないし、富士川流域の地形的な条件もあってか、一般道路もあまり整備されていない。いちおう身延線に並走する国道はあるが、川の対岸を走っている。何しろ「川」というヤツは橋がなければ渡れないし、数少ない橋の前後では必然的に渋滞が起こるため、そのぶん「渋滞遅れ」のない鉄道への需要が増す。
一方で、そんなに結びつきが強くないはずの甲府―静岡間には身延線経由の「ふじかわ」という特急電車が1日に7往復も走る。ただし、これは上記2都市間というよりは、山梨県の人たちが静岡駅で新幹線に乗り換えて名古屋・大阪以西に行く際の主要ルートという意味合いが強い。
山梨県には空港がない。また、西側に赤石山脈(南アルプス)があるため、西日本方面に行く場合は長野回りか静岡回りになるが、前者はかなり北側に迂回する格好になるので、必然的に後者への比重が高まる。で、その後者においては道路事情があまりよくないため鉄道路線へのニーズが高くなり、まがりなりにもその間を結ぶ身延線にお声が掛かりやすくなる――というわけだ。
そんなわけで地域内交通手段としても長距離幹線輸送路線としても、本来もはやリタイヤ組になっているはずの路線が周辺事情から今なお現役として踏ん張っているというのが身延線の今日なのであった。
もっとも、やがては山梨と静岡の間にも「中部縦断自動車道」が開通するはず(山梨県側の一部は既に開通)なので、今の状況がこの先もずっと続くとは思えない。
ともあれ、こうした浮世の様々な力学の狭間でエア・ポケット的に残ってしまった路線っていうのは、ぼやーんと乗っているだけでもあれこれと知的な刺激から思索をめぐらせてくれる素材に富んでいるから楽しい。
路線名にもなっている沿線の主要駅・身延(みのぶ)は、
日蓮宗の総本山「
久遠寺」の最寄り駅。同じく沿線の「
大石寺」を総本山とする「
日蓮正宗」が「
創価学会」を破門した話は前回に書いたが、その日蓮正宗とは大昔に袂を分かった日蓮宗の本家本元も同じ沿線にあるのだ。ちなみに、身延から3駅先の「
下部温泉」はかつて武田信玄の「隠し湯」としても知られた山梨県内きっての温泉街。
そんなこんなで、この沿線では古からの歴史的なあれやこれやが複雑に絡み合いつつ並んでいる。しかし一方で、そんなこんなとは「無関係」ではなかろうが、さりとて「無頓着」にも見える地元の人々の営みを支えながら電車は走る。
甲府盆地へ抜けた頃には既に陽が地平線の向こうに落ちていたが、改正の夕空の彼方には、盆地を取り囲む甲州の個性的な山々が切り絵のごときシャープな稜線を描きつつ佇んでいた。
ともあれ十数年振りに尋ねた身延線だったが、できることなら、やっぱりこの路線は途中で富士宮の町や久遠寺や下部温泉といった沿線の名所に寄り道しながら旅したほうが絶対面白いのではないかという気がする。
ただまあ、この次に来るのがまた十数年後だったりするかもしれないわけで、はたしてその頃にこの路線が(上に書いたような並行する高速道路の開通やら何やらで)無事に生き残っているのかといえば、あの“けものみち”みたいな線路の様子を思い返すに今一つ心許ない気はするところだ。
ちなみに先頃JR東海がマジに「作る!」と言明した「中央リニアエクスプレス」(リニアモーターカーで中部山岳地帯を突っ切って東京―名古屋・大阪を結ぶ路線)のルートが身延線と交差することになるらしい。その暁にはまたあれこれと変化も生じるのだろうけど、それって実現したとしてもたぶん何十年か後の話なんだろうな、というか何だか俺の目の黒いうちには実現しなさそうだな――などと旅の最後につらつらとどうでもよさそうなことを考えていた次第。ではでは。

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