しかし聖火リレー、すごいことになっちゃってますね。たかだか火のついたトーチ抱えて街なかを走るだけの儀式に、ここまで過剰な意味が付与されてしまうとは(笑)。面白そうなんで一時は「俺も観に行こうかな」って思ってたんだけど、結局見送りました。長野まで行かれたみなさん、本当におつかれさまでした♪
でだ、まずは
前回書いた
烏賀陽さんの「
オリコン裁判」の地裁判決について。
この裁判、持ち上がった当初に私は
こういうイベントで司会役を務めさせていただくなどのご縁があったわけだが、その後は自分の身辺のほうが何やかやと慌しくなってきた(何しろ次々にいろんな案件に巻き込まれているのだ。いつもこのブログを読んでくださっている方はよく御存知かと思うが)こともあって、ほどなく疎遠になってしまっていた。
まあ、同業のライターさんたちの間から烏賀陽さん支援の輪が瞬く間に拡がったのに加えて、
出版ネッツが組織的な支援に乗り出したこともあって、あまり私のような部外者が周りをチョロチョロしないほうがいいかな、と少々遠慮したところもあった(あと、この裁判では毎回地裁まで傍聴しにくる人が結構多いらしく、抽選で私が紛れ込むのも何だか他の人に申し訳ないなと。といっても、たいていは俺がハズレくじを引く役なんだけど)。
また、なによりオリコン側のやり方がムチャクチャだと当初から感じていたことから(ったく本当に、こんなのが認められたら誰も迂闊にに企業や団体への批判なんぞを口にできなくなるぞ。金を持ってるほうに財力にモノ言わせて訴訟なんぞに持ち込まれたら、たとえこっちに落ち度がなくて最終的に勝てるケースであっても、裁判対策だけで首が回んなくなる)「よもや負けるまい」と正直油断していたのも確かだ。とはいえ、結果的にはああいう判決になってしまったことで「甘かった……」と反省している次第ですが。
それともう一つ、上のオリコン裁判と同じ日に判決があった(というか全国メディア的にはこちらがダントツの扱いであった)のが「
光市母子殺害事件」の広島地裁での差し戻し審。
これについては
綿井健陽さんが凄く熱心に取り組んでいて、いろいろと案内をもらうたびに「大変そうだ……」と思っていた。また、マスメディアでの報道の流れを時おり見るに「何だよこれ?」といいたくなったし、その意味では綿井さんを応援しているのも確かだ。
もっとも、実をいうと私はこの問題については――それこそ綿井さんたちには申し訳ないが――半ば意図的に関心を持つことを避けていた。いや、それは何も「被害者遺族の心情に配慮したから」とか「ネット上で袋叩きに遭うのが嫌だから」ではない。
ならばどういう理由でかというと、端的に言えばようするに「以前のオウム取材などで正直結構疲れちゃったし、今はまだああいう議論に自らも加わっていく余裕がない」といった感じかな。
かつて『創』に記事を書いていた頃の私は、実はこの種の「誰かと誰かが真っ向から揉めている」ケースに分け入っていっては、対立しあう両者にそれぞれインタビューのうえレポートにまとめるという仕事をよく手がけていた。そうした取材においては、双方から「お前は敵側の見方をするのかっ!?」といった突き上げを食ったり、敵側の関係者と誤解されて批判を罵声を浴びたり、あるいは取材拒否や出入り禁止を通告されることも一再ではなかった。
中でもとりわけそうした傾向が顕著だったのが、上にも書いたオウム問題だ。あの時期には本当に「被害者(or近隣住民)の心情を考えろ!」と「オウム信者にも人権がある!」という両極に思いっきり分かれた“原理主義”の人たちの間で翻弄されまくったあげく、最終的には双方から蛇蠍のごとくに嫌われるという苦い経験をしたケースもあった。それだけに今度の光市の事件については、報道や言説に少し接するだけでも思わずトラウマがぶり返すというか(^_^;どこか絶望的な気分に陥ってしまうのだ。そもそも、ああいう構図になってしまったらもう、門外漢が今さら遅れてのこのこ入っていったとしても、双方の間で身動きもとれずに「にっちもさっちもいかない」状況へと追い込まれることは必至だろう。
そんなわけで、たぶん5〜10年前であれば自分も取材に動いていたかもしれないという上記2つのケースを私はこの間、少々遠巻きにしながら眺めていた。もとよりオリコン訴訟と光市事件とでは問題の性格からしてまったく別物であるわけだが、妙な偶然から同じ日に、それも私から見れば残念な内容の判決が下ったことには、正直複雑な思いを禁じえないところだ。
また、どちらにおいても過去のオウム取材などの際に私が現場で感じていた風潮が、さらに顕著に現われているような印象を傍目からも感じた。即ち「自分と異なる他人」を憎んだり、さらにはその存在を抹消することで自分の世界を守りたい、といった風潮だ。
もっとも、難しいのはそうした他者への憎悪が、自分の身内への「愛情」とまさしく裏腹の関係にあるということだ。「オウム出て行け!」「麻原なんかさっさと殺しちまえ!」と大声で叫んでいた住民たちが、取材で面と向き合った私に対して「いかに我が子を危険な集団の手から守りたいか」を切々と語っていたのを今でもよく思い出すが、彼らのそうした思い自体を私は否定する気にはなれない。当時、そうした住民たちに対して「人権派」と呼ばれる人々の中からは「オウム・バッシング一色のマスコミ報道によりマインド・コントロールされているにすぎない」といった随分倣岸な切捨て方が聞こえてきたものだが、仮にその通りだとしても「マインド・コントロール」されている相手に対して「お前はマインド・コントロールされている!」なんて頭ごなしに言ったりしてたら、進む話も進むまいよ。
ならばこそ、私が与する「社会的な少数者や弱い立場にある人たちを守れ!」といった主張を展開する側の人たちは、そうした自らの信じる「正しい」主張を、いかに「自分とは異なる大多数の人たち」にも受け入れてもらえるかを、もっとよく考えなければならない時期にきていると私は思う。
もとより、これは何も上の2つの裁判の「敗者」を批判する意味で言っているわけではない(烏賀陽さんが凄く真摯かつ謙虚な姿勢から、自らの窮状を世の中へいかに上手く伝えるかに知恵を絞ってこられたことには敬意を表している。光市事件の被告弁護団については個人的に直接話を聞くなどしてその主張を確認したわけでもないので判断は保留)。ただ、同じ日に私と近しいライターやジャーナリストなどの人たちが、ウェブ上などでこぞって「残念だ……」「ダブルショックだ……」と、2つの「敗北」への無念を語っているのを見ながら、そんな風なことを考えたという次第。

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