【
注:仕事先のみなさまへ】
下の記事は1か月ほど前に大半を書き上げたまま放っておいた原稿を、今になってちょこちょこと手直ししたうえで載っけたものであり、何もみなさまからの御依頼をすっぽかしたうえで延々とこんな原稿を書いていたわけではないので、どうかそこは誤解なさらないでください。ばたばたで首が回らなくなりつつある状況に耐えかね、少し現実逃避したくなっただけです。すぐまた仕事に戻りますのでお許しください。草々。
1か月ほど前に紀伊國屋の新宿南店で偶然見かけて即購入。もともと子供の頃から宇宙の話は結構好きなほうだ。
『
宇宙旅行はエレベーターで』というタイトル&表紙イラストからしてハヤカワ文庫風だが、しかしこれはSF小説ではない。表題にある「
宇宙エレベーター」の実現に向けて取り組んでいる研究者2人が一般読者向けに書いた概説書だ。
「宇宙エレベーター」とは文字通り地上から宇宙空間まで人や物資を運び上げるエレベーターのことだ。SF小説の世界では、上の写真の帯にも名前が出ている巨匠アーサー・C・クラーク(この春に逝去・享年90歳)の『楽園の泉』など数多くの作品において既に取り上げられている題材だが、本書の著者2人はそれらのSF小説についても一通り読み込み、それぞれの作品と著者に対して(特に本書へ「序文」を寄せてくれたクラークにに対して)多大なるリスペクトを予め表明したうえで、今や「宇宙エレベーター」の構想が「空想の世界の夢物語から、実現可能な科学の領域に入ったのである」と言い切る。
――と言われてもですよ。それにしたってそんな宇宙まで届いちゃうような高さの建造物を「バベルの塔」よろしくオッ建てることなんて出来んのかよ? と多くの人は思うに違いない。が、彼らの説明によれば実はこれ、地表から
上に向かって「建てていく」のではなく、逆に宇宙から「吊り下げる」のだそうだ。
つまり、あらかじめ地表から3万5000メートル上空の静止軌道(現在も人工衛星が浮かんでいるあたり)までドラムに巻かれたケーブルをスペースシャトルかロケットで運び上げ、そこから地表に向かって垂れ下げてゆく。一方でケーブルの上端はさらに上空まで引っ張り上げ、最終的には
全長10万キロメートルに及ぶエレベーター用ケーブルが形成される。こうすることによって
地球の引力と自転による遠心力が釣り合い、長大なケーブルが空中にとどまり続けるらしい。
ただし、もちろんただ単に「ヒモ」だけをぶら下げていくわけにもいかないので、ケーブル上端と静止軌道の2か所に宇宙ステーションを設置。地表側でもケーブルの下端を繋ぎ止める巨大な「アース・ポート」が海上フロート基地として建造される。
ちなみにこの長さ10万キロのケーブルには1990年代に発見された「
カーボンナノチューブ」という新素材が充てられる。超軽量・高強度(今後3〜5年のうちに重量比で
鋼鉄の180倍もの強度を持つ素材の開発見込みも出てきたといわれる)の物質ゆえ、それ自体の重みはもとより大量輸送用ケーブルにも耐えられる画期的な物質だそうで、実のところ「宇宙エレベーター」が「SF小説に登場する空想上の乗り物」の域を脱し、NASA(アメリカ航空宇宙局)からの助成も受けながらその実現可能性が真面目に議論されるようになった背景には、この新素材の登場が大きかったと著者たちは力説する。
そしてこのケーブルを使って地上⇔宇宙の間における人や物資の輸送を担う「クルーザー」が運行される。また、2つの宇宙ステーションのうち静止軌道上のものは巨大な「宇宙都市」を形成する「ジオ・ステーション」、上空10万キロのケーブル突端部に置かれたものは惑星間(月や火星などと地球との間)を航行する宇宙船が発着する「ペントハウス・ステーション」として活用される。
――というのが、本書に述べられた「宇宙エレベーター」構想の基本的なあらましである。
といっても「んなこと言ったってもさあ……」というのが、私を含めた大半の読者が覚える最初の感想だろう。だいたい3年後にできるという
新東京タワー、おっと「
東京スカイツリー」でも高さ610メートルですぜ?
そもそも7年前のオープニングに「9.11」を見せつけられてしまった21世紀の世界市民は、「宇宙空間まで届く全長10万キロのエレベーターを作ります!」と言われても「頭イカレてんじゃねーのか」とか「なんでまたそういう『私をテロしてください』みたいなバカやるの?」と思う人のほうが多いかもしれない。
これに対し、本書に序文を寄せた故アーサー・C・クラークは「
宇宙エレベーターは、人びとがそのアイデアを笑いぐさにするのをやめてから、50年後に実現するだろう」と予言している(注:クラークが上記の『楽園の泉』を発表した1979年から数えて50年後が、上記の帯の言葉の年)。
また共著者の2人も、今からわずか100年前の20世紀初頭には宇宙どころか、空を飛ぶことに挑戦していたライト兄弟を多くの人びとが「人間が空を飛ぶのなら、神様は最初から人間の背中に羽をつけていたはずだ」などと嘲笑していた故事を引き合いに出しつつ「人間は新しいものを受け入れることを躊躇する傾向がある。しかし、最終的には、時間はかかっても変化を受け入れることになる」と、自信の程を見せる。
ただ、彼ら自身も引き続き世間の多くから晒されるであろう懐疑の視線や、実現までに待ち受ける数々の厄介なハードルの存在は重々わかっているのだろう。そんなわけで、本書の記述も全体的にいかにも新技術の開発に取り組む研究者らしいオプティミズムに溢れているものの、その反面、これから続々指摘されるに違いない問題点(単に技術的なものから、「宇宙エレベーター」なるものの存在が国際社会に引き越すであろう政治的、軍事的、経済的なものまで)をも自ら俎上に上げたうえで、現状ではまだ解決されていない部分も率直に吐露してまでもとことん答えるという、愚直なまでに謙虚な姿勢にも徹している。
例えば技術的な課題について検証したパートではこんな箇所もある。「宇宙エレベーター」実現の鍵となったケーブル用の超軽量・高強度物質
「カーボンナノチューブ」には唯一「雷」という弱点がある。 なぜなら元は炭素からきた素材であるため「
雷の直撃を受けると、簡単に融解し、切断してしまう」というのだ。
読んでて思わず「
おいおい」と言いたくなった(^_^;)。それってかなり致命的なんじゃないか? と誰しも考えるところだろうが、これに対しても著者たちは「現時点で考えられる最善の策は、雷がまったく発生しない場所にケーブルを設置する、というものである」などと言い出したかと思ったら、わざわざ「
過去10年間にわたる地球上での雷(および熱帯性低気圧)の発生状況を記録した世界地図」なんてものまで持ち出し、どうやらここなら大丈夫という有力な空白地帯を数ヶ所ピックアップしてしまう。
これ以外にも「天空にまで延びるケーブルがテロの標的になるのでは?」とか「設置場所をめぐって利害に絡む国家間の紛争が起こるのではないか」といった誰もが思いつきそうな懸念材料に対しても著者たちははぐらかすことなく、現段階で考えうる限りの対応策を逐一答えていく。
が、もとより完璧な解決策などといったものはどんな分野でもありえないのであって、著者たちも1本目の「宇宙エレベーター」の建造後は速やかに2本目以降の建造に着手することの重要性を強調している。この辺は、いかにも「全部の卵を一つの籠に入れるな」との諺にも象徴されるアングロサクソン的リスク分散の思想が根底にあるのかもしれない。
−−けれども、だ。それでもなお、疑問を持つ人はやっぱり疑問を持つことだろう。中でもたくさん出てきそうなのは「いったい何でそんな無理して『宇宙エレベーター』なんて作る必要があるの? 別にスペースシャトルやロケットでもいいじゃんよ」というものではないか。
もっとも、その問いへの答えは本書の冒頭から再三繰り返し強調されている。すなわち従来型のNASAをはじめとする宇宙開発事業は、往年のアポロ計画やその後のスペースシャトルに象徴されるように「まず地表から宇宙空間まで人や機材を打ち上げる」ところまでで総予算の95%を使い果たしていたとか。
だからアームストロングが最初に月面への一歩を記し(たのは捏造だとする人たちがいるという話も本書では一応押さえられている)てから約40年を経た今も人類は「その先の宇宙へ」行けないどころか、月からも既に久しくごぶさたになってしまっている。そうこうするうちに地球上では資源の枯渇や環境汚染が進んでいるし、このまま地球上だけであれこれやっていくだけでは人類全体としてもそろそろ袋小路になっていくんじゃないか……というのが研究者である著者たちの根源的なモチベーションのようだ。
そういうわけで彼らの熱意は、本書の末尾においてはもはや地球を通り越し、月面や火星表面に宇宙エレベーターを建設する際のシミュレーションを自らに展開させるところまで行ってしまうのであった。
すげ―――――――――っ(溜め息)。
いきなり全然関係ない分野の、かつ卑近な話になって恐縮だが、3年前に『
視聴率男の発想術』という本の制作を手伝った際、著者の五味一男さんがよく言っていた、下記のようなセリフを思い出した。
「
今の私たちにとって携帯電話はなくてはならない、ごく当たり前のものでしょう。でも、もしあなたが20年前にタイムスリップしたとして、現在のメールだゲームだというケータイの使い方を当時の人たちにきちんと説明できますか? ヒット商品とはこのように“実際に出てきてしまえば凄く当たり前”なものなのに、”実際に出てくるまで誰も思いつかなかった”という『ありそうで無いもの』なんですよ」
確かにその通りだと思う。その意味では本書の著者たちも、過去のSF小説の中で描かれてきた「馬鹿げた絵空事」としての「宇宙エレベーター」の姿にまでまず想像力を翼を拡げたうえで「それが現実に実現できたらどんなことが可能になるか」、さらには「それを現実化するまでには具体的にどのような課題をクリアしていけばよいのか」という逆算的な発想から開発計画に取り組んでいる。
はじめから「お前常識的に考えろよ。そんなことできるわけないだろ?」と言われて考えることをやめてしまえば、そこから先には何も生まれない。しかし「人間が空を飛べるわけないだろ?」と言われていた一世紀前に、嘲りの視線をもろともせずに空を飛ぶことに挑戦し続けた連中がいたからこそ、ぼうとしてきた連中がいたからこそ、今日では世界の空をこれだけ飛行機が飛びまくっているわけだ。
このブログでも再三言っているように、私は理科系の話題にはからきし弱い。なので本書の著者たちの言説がはたしてどこまで信用できるものかどうかを判断できるほどの基礎的知識もない。はたして上記のクラークのいう「2029年」以降、60歳を過ぎた私が「そういえば20年くらい前にそんな馬鹿げたホラ話を書いた本を読んだねえ」と笑っているのか、あるいはケーブル上を上がっていくエレベーターから青い地球を見下ろしているのか、今は何ともわからない(というか、その頃にはそのどちらよりも私自身がこの世にいない可能性のほうが高そうな気がする - -;)。
それでも、読みながら少なくとも「こうやって新たな領域に向けてポジティブに取り組んでいける人たちというのはいいな」と率直に感じた次第だ。
あとは何とか2029年以降まで生き延びて、赤道付近の大海原から天空に向かってまっすぐにのびるケーブル上を駆け上がっていく「宇宙エレベーター」に乗ってみたい……とは言わないまでも、たもとからそんな光景を実際に眺めて見たいものだ……と思うわけだが、その前に、まずは今のこの仕事(にならない仕事を含めた)の状況を何とかしてくれッ!! と10万キロ彼方の宇宙空間に向かって大声で叫びたい気分なのであった。ではでは!!!(怒)

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