とりあえずマスメディアによる報道のほうは既に沈静化しているし、遅まきながらの感は否めないのだが――と思ってたら一昨日になってまた
こんなニュースも出た――ともあれ「
がんばれマンナンライフ!」ってことで、というか、それにかこつけて今年の春先に「青春18」の余り活用がてら乗りに行った「
上信電鉄」の鉄旅日記をどさくさ紛れにやってしまおうと思った次第。
群馬県の高崎から下仁田まで、途中にマンナンライフ本社のある富岡を経由しながら伸びる30qほどのローカル私鉄。ご当地企業の広告を車体にまとった↑のような電車も私が訪ねた4月上旬には走っていたわけだけど、はたしてテレビCMでも
こういうことになっちゃった今、この電車とか、どうなってんだろ? もしかしたら沿線の地元でも大変なことになってたりすんのかなあ……。
というか、いつも思うんですけどね。
そりゃ確かにこんにゃくゼリーを喉に詰まらせて死んだ子供たちは可愛そうですよ。だけど一方で、正月がくるたびに御餅を喉に詰まらせて死ぬ御年寄りが続出することだって、わたくし的には(何せ自分もそれで伯父を一人亡くしているので)凄く悲しいことなんですよね。
けれども「こんにゃくゼリーで人が死んだから、こんにゃくゼリーはやめてしまえ」という話がすぐ出る反面、「お年寄りが御正月に御餅を喉に詰まらせているから、正月のお餅は廃絶せよ」なんていう話は(誰か言ってるのかもしれないけど、少なくとも私の知り限りでは)どこからも出てこない。
と、また子供じみた下らん屁理屈を言ってると思われるかもしれないが、しかしこの種の話における「あれが悪い、あれが原因だ」という主張をなす価値基準とは、このように常に恣意的なものである。
先の秋葉原の事件でもさっそく「ダガーナイフ撲滅」という方向へと話が進んでいったが、かつて池田小で宅間守がああいう事件を起こった後には「包丁撲滅」という話はいくら経っても出てこなかった。事件でわが子を失った親御さんたちの「料理のため台所で包丁を手に取ることもできない」という痛ましいコメントが報道で流れたりしたにも関わらず、である。
アメリカ社会には銃が野放しになってるからあんなに銃による殺傷事件が起こるんだって話になるなら、日本中のあらゆる家庭にあまねく普及した大量殺戮兵器の存在はいったいどうなんだろうか……という屁理屈は、たとえそれが屁理屈であっても誰しも多少は頭の片隅を掠めるくらいの屁理屈ではある。
……と、書いてるうちに見つけたのだが、上に書いたような議論は実際に
こういう場でも交わされたりはしているようだ。
それにしても、この記事中に出てくる「法規制化推進派」の親玉の言う「
もちはのどに詰まるもの、という常識を多くの人が共有している」という反論も、どうもねえ(苦笑)。だったらこんにゃくゼリーについても、これを期に「のどに詰まるもの」という常識が広まって多くの人に共有されるようになっていけば良いだけの話であって、何もわざわざ法律なんぞ作る必要もなかろうに。
まあしかし、そういうトンチンカンな議論になっちゃう理由はある意味簡単なんだけどね。ようするに「いくらなんでも御料理に使う包丁や正月の御餅のない世の中は考えられませんよねえ」と誰もが思っているからだし、一方の「こんにゃくゼリー」はといえば、特にそれがないからといって市民社会の運営の妨げになるというものではなく、なおかつそれ及びそれを作っているメーカーさえ生贄に挙げてしまえば手っ取り早く問題を解決できた気分に浸れるからである。
その意味でむしろ私が「気にくわねーな」と思うのは、そもそものこの問題の出かたである。発端は9月に兵庫県で子供がこんにゃくゼリーをのどに詰まらせて亡くなったという事件だったかと思うのだが、これって確か記者が実際にその事件を取材して報道したレポートがきっかけになったというわけでなく、上のリンク記事にもある通り国民生活センターが「こういう事件がありました」と発表したところから始まっているのだ。
ようするに内閣府所轄(でしたっけ?)の独立行政法人が出した広報資料でもってメディアが大変だ大変だと大騒ぎしているうちに話題になったというだけのことなんじゃないか? って気がしてくるのだ(ちなみに一番上でリンクした記事でも「さらに2人の死者が出ていることがわかった」みたいに書かれているけど、これだって「判明」したのはメディアが独自取材したからではなく、情報源が「警視庁による」と記事中にも書かれている)。
だからといって、別にこの段階で「国民生活センターや警視庁がそういう誘導を行った背景には何らかの意図がある」などというところまで深読みしようとは思わないし、それを報道すること自体にまでとやかく言うつもりはない。私が言いたいのは「大問題みたいに言ってる割には何だかトロいぞ、おまえらの議論」ということだ。
そんなわけで今の私の関心事は、むしろ世間が「ダガーナイフ」や「蒟蒻畑」を製造や販売の中止へと追い込んだことが、同時に「それで食ってた」人たちをも結果的にどれだけ追い詰めたんだろう? という、マスメディア的には「それこそどうでもいい」と見なされることのほうにある。ましてやつい半年前に個人的な趣味の旅行のついでにその原産地近くを訪ねたばかりだったからなあ。
上信電鉄だって地元の一大ブランドだったマンナンライフや蒟蒻畑が苦境に陥ったら大変でしょう。もし「じゃ電車に広告出すの辞めましょう」ってなったら鉄道会社にとっても広告収入が吹っ飛ぶし、ただでさえ赤字のローカル線の経営が圧迫され、ひいては廃線によって地域の公共交通がなくなり、その結果として域外から人も来なくなり居住人口も減少して「地域コミュニティが崩壊しました」なんてことになるかもしれない。
それ以前に、地域の有名企業がこの件で経営的に左前になったために人員整理したり採用数を減らしたなんてことになったら大変ですよ。あぶれた若者たちが自分の先行きへの展望を失い、やけくそになって向かった秋葉原路上で、ダガーナイフが使えなくなった代わりに普通の包丁で無差別大量殺人をやらかした日なんかには、いったい誰がどういう言い訳を用意するんだ? そいつが仮にもし、懐具合が乏しい中を私みたいに「青春18きっぷ」を使って現場まで来ていたとしたら「金のない殺人者に行動の自由を与えるようなケシカラン切符は即刻廃止せよ」とでもいうのか(笑)。
とかなんとか「鉄」日記のつもりで書き始めたら、いきなり支離滅裂なメディア論(?)になってしまって失礼しました m(_ _)m ひとまずここで一旦切って、続編は純然たる鉄ネタにします。ではでは。

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