お辞めになるのですか……。本当におつかれさまでした。
会合やパーティなどで何度となくお姿をみかけたことはあるが、直接お会いしたのは確か7〜8年前、まだ経営戦略部門の局長だった頃に『創』のテレビ局特集だったかの取材で訪ねた時の1回だけだ。当時の日テレの局長クラスの中では唯一の読売新聞出身者。顔なじみだった広報担当のTさんが「ほんとにいい人なんですよ……」と取材前にしみじみと語っていたものだ。
実際とても腰の低い方だった。放送業界に多い「俺が俺が」的な虚勢をはりたがるタイプとはおよそ異なる物静かな御人柄。個人的にはそのあたりに凄く好感を覚えたものである。自信過剰からくる脇の甘さからボロを出して自滅していくような放送業界人とは違って、いかにも活字メディア出身者ならではの韜晦があるなあ……と、自身も出版や広告の業界誌に出自を持つ私としては思ったものだった。
「ほ〜う、これは面白いですね」と、取材時に持参した『創』のバックナンバーをその席でしげしげ眺めながらおっしゃっていた様子も印象的だった。ちなみに同号の特集は「渡邉恒雄と黒田清」(当時亡くなられた直後だった黒田さんへの追悼特集)だったので内心冷や冷やするものも覚えた私だったが、パラパラめくっていたページから目を上げたその方は、にっこり笑いながら言ったものだった。
「私、(渡邉恒雄社長の)秘書をしておりましたから」
今回の報道では「読売新聞経済部長を経て日本テレビに」などという形でしか経歴が報じられていないが、それ以前には各地で地上波の民放テレビ局が新たに開局する際に出向いて調整を行ったりしていたという話も、取材時に御本人の口から聞いた。つまり放送業界でよく知られる「波取り記者」だった方なのだが、こうしたバックグラウンドまでは、たぶんどこの新聞社も書けないことだろう。
そもそも読売新聞と日テレの関係というのも結構複雑だ。
一般的には「新聞社が系列のテレビ局の頭を牛耳っている」との理解が通りやすいのだろうが、それは間違いではないにしても、実態はそう単純に言い切れるものでもないのだ。
読売の渡邉恒雄氏と日テレの氏家斉一郎氏が、かつて学生時代に日本共産党に属していた頃からの盟友だったという話はよく知られている。ただ、政界人脈でのし上がった渡邉氏に対して、氏家氏は読売グループから一回放逐され、セゾングループの高丘氏(この人も堤清二氏ともどもの元共産党細胞)に、当時セゾン系列だった広告会社のI&Sに受け入れてもらったうえで復帰した経緯がある。
そんな経緯からも、おそらく氏家氏は読売グループ内で唯一ナベツネに「タメ口」が利ける存在であり、だからこそ90年代の日テレが氏家氏のもと「独立王国」として親会社に煩わされることなく視聴率競争のトップを歩んでこれたという部分もあった。ただ、これからはどうなんだろ?
2003年に雑誌報道をきっかけに発覚した日テレの「視聴率不正操作」事件の際、本社での記者会見から、何故か雑誌の取材陣だけが排除されるという出来事があった。
当時、私も「その時刻に記者会見があるらしい」と聞き、日テレ広報に問い合わせたものの「そういう会見はない」と言われ、それでも現場に向かったところが、実際にあった受付で「申し訳ありませんが」と、入場を断られたのをよく覚えている。
後日、改めて会った日テレ関係者にそのことを問い詰めたところ、彼は「録音をやめてくれ」と言いながら、こんなふうに明かしてくれたものだ。
「うーん、一言で言えば『大手町方面の意向』だな」
今回の辞任会見についてのゴタゴタを報道で読みながら、さすがに私の脳裏には往時の情景がよみがえった。
久保さんからは取材後、どうしたわけか私の自宅あてに毎年末、実に見事なシャガールのカレンダーを何年かお送りいただき恐縮したものだった。
ナベツネとウジイエという二台巨頭の間を行き来してきた彼は、今度のことで何を思っているのだろうと、やはり思いを致したりした次第。案外、辞めてほっとしているんじゃないかな?

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