昨日は夕刻に帰りがけの新宿駅中央線ホームでいきなり後ろから肩を叩かれたんで、「公安の職質か!?」と一瞬緊張しながら(嘘)振り向いたところ、その公安の宿敵ともいうべき
寺澤有氏であった。久々の再会ということで、そのまま一緒に中野駅北口の焼き鳥屋に直行。
少し前に「アメリカに行っている」という話を聞いていたので、てっきりまだ向こうにいるのかと思っていたら、数日前に帰ってきたのだそうだ。「いや〜、でもほんとにこのままずっといたいと思いましたよ〜」と、例によってすんげー勢いで焼き鳥の串を貪りながら屈託なく言う。
映画『ポチの告白』がニューヨークで上映されるというので高橋玄監督と一緒に現地の会場まで足を運んだところ結構「ガイジン受け」したとかで、意気揚々の帰国だったようだ。「それにやっぱ向こうは自由でいいですね」と、すっかり彼の地の風情が気に入ったらしい。
日本にいると、相変らずアメリカやニューヨークは9.11やらリーマンショックやらの「閉塞された狂気」の中に押し込められているんじゃないかといった見え方がしてくるわけだが、いざ現地に行って帰ってくると、日本や東京のほうがよほどイカれて見えるということなんだろうか。まあ、確かにイカれてることは確かなんだろうが。
で、久々に寺澤さんと飲みながら「共謀罪も廃案になったことだし、そのうちにまた何かやろうか」という話になる。
そう、メディアではほとんど報じられなかったようだが、先の衆議院解散によって、我々が2005年以来なかばヤケクソ的にぎゃーぎゃー反対を叫んできた「共謀罪」法案は自動的に3度目の廃案へと追い込まれたのであった。と、なれば選挙の結果次第で完全に息の根を止められたことが確定した段階で「やっぱ区切りの何かはやっとかないと」と。
思えば私が「共謀罪反対」を唱えるライターたちのムーブメントに引き摺り込まれたのは、今からちょうど4年前、「郵政解散」翌日の議員会館という、いかにも間の悪いタイミングと場所で開かれた反対集会(参加者もまばらで室内はガラガラだった)からだった。その後の総選挙で自民党が圧勝した時点で「あ〜、ダメだもう。これ」と実際思ったし、まあ負け戦は承知だけど趣旨は正しいし、見過ごすのも何だからとりあえず関わってみようか……ぐらいの感じで足をつっこんだというのが正直な思いだった。
ところがそれがどうしたわけか、数的に圧倒的に不利である状況は変わらないまま、何のかんので任期満了近くまで法案を通らせずに引っ張ってきてしまったわけである。もとより参院選の与党大敗や、この間に首相が3回替わるといった“敵失”に救われた側面もあったのは事実だが、その一方で一時、与党が「野党の対案丸呑み」などという信じがたい挙に出ようとした局面もありながら、それでも成立しなかったのだ。そんなふうに振り返ってみると、やっぱり暴れただけの甲斐はあったと思うねえ(笑)。
とはいえ、いま改めてこの4年間を振り返ってみると「
共謀罪に反対する表現者たちの会」と称して一緒に動いた面々も今や、あの頃、あの場面からみんなそれぞれの道を歩んでいってるんだなあ……といった感慨に、やはり浸ってしまう。ほぼみんな同世代の、同じフリーライターでありながら、それまで互いにそんなに交流を持つことも無かった面々が、あの時は何故か「共謀罪」でまとまったし、その結果かどうかわからないけど法案の成立も阻止できた。でも、今ではみんなそれぞれにまったく、別の方向へと歩いていっている。
思えば不思議な人間関係だけど、それもまた良しかな? という気が個人的にはしていたりもする。

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