で、行ってきましたよ「東京都現代美術館」。以前から新聞や雑誌で紹介記事見るたびに「一度行ってみたいな」と思っていたのだが、まさか講師に呼ばれるという形で初めて訪れることになるとは……。
講演会は午後1時からということで、少し余裕をもって12時半に到着すると、広々とした美術館のロビーには若い男女から家族連れまで大勢の観客で賑わっていた。もちろん、この人たちが全部私の講演を聴きに来たわけではなくて(当たり前だ)、ちょうど企画展として開催中の「イサム・ノグチ展」がお目当てだったらしい。それにしても「イサム・ノグチ展」をやっているすぐ横で「広告労協定期総会&岩本太郎講演会」をやってしまうというのも何だか凄い話である。
ていうか、そもそもどうしてそんな名高い美術館で労働組合の総会などというものが開かれるのだ。労協事務局長の藤井さんに聞いたら「スケジュールの都合上、ここしか場所がなかった」とか。よく美術館側も許可したなという気もするが、さすがに当初は「ウチでそういうのは……」と難色を示されたらしい。ただ藤井さんが「広告もアートだ」と主張したところ、結構あっけなくOKが出たとの由。しかも講堂の利用料金も、NPOや労組関係者にはご用達の飯田橋「東京しごとセンター」地下の講堂よりもさらにバカ安だったんだとか。これは今後も狙い目だぞ!
んで、はたしてアートと呼ぶのが相応しいのかどうか疑問符がつく岩本講演会には50人ぐらいの方々にお集まりいただいた。もちろん大半はその後に続く総会に出席する組合員の方々だが、それ以外の広告業界関係者や業界志望の大学生の顔もちらほら。それほど大々的に告知をしたわけでもないのに、ありがたいことである。もっとも、当の「講師」のほうは昨年に続く二回目ということでネタの再利用もできず、しかも演壇から客席までが少々遠くてお客さんの反応が今一つつかみづらかったこともあって、正直言ってやや苦戦したという感じ。
最近は何だかんだで大勢の人前で話す機会も増えてきたせいか、以前に比べて慣れてきたような印象はあるものの、それでもやっぱり、ああいう場面では緊張する。とりわけ今回のように一人だけで1時間もぶっ通しで話すというのは結構しんどいものだ。
基本的に、やっぱり私は自分が話すよりも人の話を聞くほうが好きだ。それもどちらかといえば、1対1のインタビューのほうがやっていて一番楽しい。聞き手として相手の話を独占できて、引っかかったり閃いたりするたびに突っ込みを入れながら、短時間のうちに相手とセッションのようなやり取りを展開し、それを後に物書きとして紙の上にトランスフォームしていく――と、まあようするに根っからの「記者」だってことなのかもしれないけれども。
反面、自分が一方的に話すということには何だか凄く抵抗感というか羞恥心のようなものが拭えない。こういうブログみたいな場だったらまだしも、限られた時間にわざわざ自分の聴きに来てくれた人たちが、もしがっかりして帰られたら申し訳ないな、と思ってしまうのだ。
その意味では、むしろ9月末に東中野でやったアワプラのトークショーのような司会仕事などのほうがやりやすいかもしれない。というのは基本的にああいう場面で要求されるスキルというのは、普段のインタビュー仕事で使っているのと割と近いために応用が利くからだ。ただ、雑誌とかのインタビューと違うのは、司会者としてなるべくパネラーたちに自分の納得いくような話をしてもらうように、なおかつ目の前にいる大勢の観客たちに楽しく聞いてもらえるように――ということで、その時間内はひたすら神経を使わざるを得ないということだ。
実際、司会を任された時というのは、後で振り返ってみてもその座談会でどういう内容が話されていたのか、まるっきり覚えていなかったりするのだ。すぐ横でパネラーの話を聞きながら「え、それってどういうことですか?」「さっきはこう仰られましたが」とか突っ込んでいるくせに、後で振り返ると、どういう話だったか全然記憶していなかったりする。たぶん、その場でどう切り盛りするかに神経がフル活用されているため、頭の中のメモリー機能が働かないのだろう。
その点、今回みたいな一人で講演した時の内容というのは、しばらくの間結構覚えていたりする。それも「あ、あそこ言い間違えた」「あれ言うの忘れてた」とか余計なことまで思い出されて、その後数日間は穴があったら入りたいぐらいの思いに駆られたりする。
しかも今日のような広告業界人関係者向けの講演の場合、一通り話し終わった後の質疑応答でも、なかなかみんな質問の手を挙げようとしない(苦笑)。
広告業界の人たちというのは、普段から社内や取引先との口頭でのやり取りが仕事の面でも大きな要素となるため、話術自体は巧みな人が多いのだが、反面、こういう「誰が聞いているか(話がどこから漏れ出すか)わからない」シチュエーションでは自制が働くらしく、自分からは積極的にアクションを起こさないのだ。この日も会場からなかなか質問が上がってこないので、藤井さんが強引にマイクを持って客席を回り始めたら、思いのほか熱心に話し始める人が何人かいた。
そこらへんはずいぶん違うな〜と思ったのは、ちょうどその前日に文京区内で開催された「記者クラブ」問題に関するシンポジウムに参加した際の余韻が頭の中に残っていたからだ。ああいうテーマの場合、パネリストによるトークが終了して質疑応答タイムにはいるや、とにかくいろんな人が質問の手を挙げては延々としゃべり始める。中にはトークの内容に関係なく「とにかく自分の思いを大勢の前で主張したい」という動機のもと、他の参加者からの顰蹙をモロともせずにぶわーっと喋りだす人が必ずいる。
ところが広告業界関連のシンポジウムとかの場合はそういう人にお目にかかる機会があまりなく、むしろ物足りなさすら覚えてしまう。何というか、みんな変に「お利口」なのだ。でも、それが逆に今「広告が面白くない」「CM不況だ」とか言われることにもつながってるんじゃないのかな、という気はした。
(翌日追記)
――って、せっかく来ていただいたお客さんに対してその書き方は失礼ですよね(まったく、上では「ありがたいことである」とか書いておきながらねぇ……)。
最後の質疑応答では貴重な御意見や、実にディープな情報提供(ここには書けない)もいただいたのに、不心得者もいいとこです。別にどちらかからクレームをいただいたわけではないけど、ひと晩空けてから読み返してみて痛く反省した次第でした。
(つづく)

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