暑くなってきたせいか、2週続けてそれらしい感じの飲み会が週末にあった。
飲み会報告というのはあんまりやると「お前さんざん飲み歩きやがって!(ところで原稿はいったいどうなっとんじゃ!←編集者の声)」とか反発を買いそうなので気が引けるのだが、とはいえせっかくご一緒したみなさんへの感謝の思いも込めて、まずは8日(土)に恵比寿で行われた「奄美飲み会」。
どうして奄美飲み会かというと、大島新聞社沖永良部支局記者の斎藤美穂さんが東京までやって来るというので、彼女と友人の西村仁美さん(「共謀罪に反対する表現者たちの会」中心メンバーでフリーライター兼フォトグラファー)からライター仲間たちへの招集が掛かったのだ。
参加者は全部で15人。うち女性が11人に対して男性は私を含めて4人――と書くとハーレム状態じゃないかと言われそうだが、実態はそうした内訳からはおよそ想像不能なくらいにワイルドなノリの酒宴になった。というのも、その男4人のうちの1人である寺×有氏(上の写真の右端)が、いつもの如く妖しげな腰つきから確信犯的なセクハラ発言を連発して女性たちを逆撫でしたこともあるのだけれども(笑)。途中から「与論献奉」という、参加者全員が奄美焼酎(アルコール度数30%)をストレートでグラス一気飲みしたうえで口上を述べるという、やったら豪快な挨拶が始まった結果、一巡する頃には参加者がみな完全にパンチ・ドランカー状態になっていたのだ。
ちなみにこれらの写真は全て私が撮影したものなんだが……はっきり言っていつの間にこんな写真を撮っていたのかも思い出せない。はたして上の男性(×議院議員の秘書を務めている)はどうして頭に傘を乗っけているのだろう……。ていうか下の女性二人は何でヤンキー座りをしているのだ。しかも右の女性は奄美飲み会なのに何故かアオザイ姿だが、こないだまでメイド嬢姿でデモ隊に加わって右翼の街宣と一戦やらかしておったではないか。何を呑気にしゃがんでおるのだ。立て、立て立て、立つんだジョ〜〜……。
とまれ最後はみんなで記念撮影。
それにしても奄美の島々、特に沖永良部島、ますます行ってみたくなったなあ。
旅が大好きな私だが、日本の中でも船や飛行機を使わなければ行けない島部にはほとんど行ったことがない(だから全都道府県の中で唯一沖縄だけは訪ねたことがない)。
社会人になって二年目の冬、ふと思い立って八丈島まで遊びに行ったことがある。折りしも昭和天皇の「大喪の礼」というのが二月下旬に行われることになり、タナボタ的に三連休が生まれたことから、金曜日の仕事が終わった後に竹芝桟橋からの夜行船に飛び乗ったのだ。
ところが最後にハプニングが。まる三日間、の〜んびりした島の中をぶらぶら歩き回り、最終日朝の船で帰るつもりが、折からの強風で船は欠航。慌てて八丈空港に向かうも、一日数便の羽田行きは全部満席で、結局さらに一日島で足止め。ぼ〜ぜんとしながら島の中を歩いていた時のことは、今でも印象深く思い出しますですよ。
翌朝、八丈空港の電話ボックスで朝陽に輝く海を見ながら、赤坂見附の会社にかけた電話で上司から「お前、泳いで帰って来い!!」と怒鳴られたものであった。昼過ぎにはYS11(日本が誇る国産旅客機)で羽田に着き、モノレールと地下鉄を乗り継いで会社へ。結局、ペナルティとしてその後1ヶ月半ほどは朝8時出勤を命じられたのでした(汗)。
とまあ、そういうことがあったからか「この次に飛行機や船でしか行けない土地まで行く時には会社も辞めて行くぞ!」と考えたわけだが、それが結局4年後に、生まれて初めて国外に出るために会社を辞め、半年がかりで14ヶ国・地域をめぐる旅に出るという形に結実するとは思わなかった。もしかしてそういう遅刻なら大目に見てくれる会社だったら、はたしてどうだったかな? 案外今もサラリーマン編集者として堅実に働く日々を送っていたかもしれないね。
ただ、初めて海外に出たその旅では結局、博多までは列車で来て船で釜山に渡る――というコースを選んだため、もう一つの選択肢だった「鹿児島から奄美〜沖縄〜台湾〜マカオ〜中国大陸」というのは断念せざるを得なかった。
以来13年、できれば今でも鹿児島港から船で奄美や沖縄の島々を訪ね歩いて、そこからさらに台湾や中国、あるいはフィリピンへという古(いにしえ)からの海上ルートを辿ってみたい……という思いは今も胸の中に残っている。けれども私はもう、その最初の海外旅行以来13年、海外はおろか日本の島部にすら行けずにいる。命あるならいつの日か、再びそんな旅に出たいものだ。それがいつの日になるのやら、今は何とも分からないけど。

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