年も押し詰まってきたせいなのか、ずいぶん町が静かになったなあと思う。今日(23日)は一日、部屋の中で原稿を書いて終わった。今ごろ都心の商店街はクリスマスだなんだで大騒ぎなんだろうが、新宿から電車で5分、私が暮らす中野区内の住宅街は、逆に人の動きが緩やかになったせいか、まぶしい冬の日差しが目を射る白昼も、何だか真夜中みたいに静寂そのもの(その割りに原稿が進まないんだけど……)。
こんな日は、ふと学生時代のことを思い出す。もはや20年も前、今住む町から北へ500qも離れた「盛岡」という街の、学生寮で過ごしていた20歳前後の時代のことだ。あれからもう、年齢は約2倍になってしまった私だが、あの街の、この季節の情景は、今でも思い起こすたびしみじみと脳裏に蘇る。
名古屋や静岡という、温暖な太平洋沿いの地に生まれ育った私の目には、岩手、そして盛岡という土地の風情はほとんど異国のものに見えた。若くて見聞が浅かったせいもあるが、当時の盛岡がまだ東北新幹線が開通したばかり(しかも当時の首都圏側始発駅は大宮だった)で、民放テレビ局も2局しかなければ、今なら日本中ほとんどどこに行ってもあるコンビニの全国チェーンも絶無という状況。言うなれば昭和20〜30年代の面影が街のそこかしこに色濃く残滓をとどめていた時代だった。
市中心部の古色蒼然とした商店街には、伝統のバンカラ(ボロボロの学生服に高下駄)服をまとった地元の名門・盛岡第一高校の生徒が闊歩し、乗り込んだ市内バスの車内で聞いた女子高生たちの会話はリスニング不能な、まるでロシア語(松任谷由美も確か歌でそう言ってた)のように聞こえた。広大な大学のキャンパスには、農学部の学生が引き連れる牛がゆうゆうと歩いており、通学に使っていたバイクであわや激突しそうになったこともあった。
そんな盛岡の、秋から冬、そして翌春にいたる風景の移ろいは、若かった私にとって本当に息を呑むかのようなものだった。
北緯40度に近い盛岡では、8月も後半になれば街にもめっきり秋色が深まってくる。9月の中旬にはもう朝晩の冷え込みが気になるし、下手をすると10月中旬には初雪が降る。11月には最初の積雪があり、12月も半ばを過ぎれば市内は真っ白。年が明ければ2月末まで「真冬日」(日中の最高気温が氷点下)の連続だ(最近は温暖化でずいぶん以前と違ってきているようだけど)。市街地にあった寮でも12月あたりから窓が凍結して開かなくなり、中庭の積雪は60〜70cmに達する。当然、バイクは使えなくなり、徒歩で大学まで通う日々に。
同じ東北地方でも、日本海に面した豪雪地帯の山形・秋田と、太平洋側の盆地にある盛岡とでは、雪の「質」がまったく違う。盛岡の雪は粒が細かく、水分も少ない「パウダースノー」で、降雪量は日本海側に比べて少ないものの、寒さは逆に厳しいため、いったん降ってしまうとなかなか溶けない。だから盛岡市内の路上は春先までアイスバーンというか、真っ黒な水飴を塗り固めたような状態になる。
雪が降る時の情景も独特だ。水気のない、まるで砂粒のような雪が、どんより曇った空から静かに降り注ぐ。季節風もほとんど吹かない街のため、まるで天上からフルイにかけたように静か真下にしんしんと、砂粒のような雪が舞い降りる。一方で雪は音を吸収するため、降っている間は街中でも静寂そのもの。唯一、砂のような雪粒がブルゾンの肩に降りかかる際のさらさらさらさら……という0デシベルの音だけが耳奥に残る。
しかもだ。そんな雪を降らせる空を見上げれば、ぼんやりと白いスクリーンのような天幕の一角に、鈍く輝きを放つ白銀の光球が浮かんでいる。太陽だ。あたり一面にこんな大雪を降らせながら、その雪雲が薄いために、こいつがドカ雪の最中も無意味な自己顕示欲を発揮する。その姿を、フルイにかけた砂のような降雪にさらされながら、20歳の私は、北の街の路上から黙って見ていた。
そんな真冬の北国の空一杯に拡がる光景を、その真下で私は5年間も見つめた。そんな風景が大好きだったのだけど、5年間見つめたところで、そんな自分に見切りをつけ、東京に出てきて就職し、やがてフリーライターになった。
東京では、放っておいても季節の移ろいを教えられる。クリスマスが近づけば、新宿の街はガンガンガンガン「クリスマスですよー」とばかりにキャンペーンを繰り広げるし、お正月やバレンタインデー(あるいはホワイトデー?)、卒業式、GW、花火大会……と、こっちから頼んでもいないのに、誰が定めたのかも定かでないスケジュールを強いてくる。
でも、私には雪に埋まった2月の盛岡で、自分の部屋の南側にあった窓から毎日差し込んでいた陽光の角度をもとに「あ、今日から春なんだ」と思えた自分が、今でも信じられる。この部屋で「井の中の蛙は大海を知る」(@吉本隆明、だったっけ? 違ってたら失礼)かのように、この街を出た後に目の前へ表れるであろう風景に。
えーと、例によって何を書いてるんだかわからなくなってきたわけなんだが(苦笑)、この埋め合わせは来年やりますということで、とりあえず、ではでは。

0