「あけましておめでたくない市民メディアの世界の話」
メディアの話
その新年早々から「市民メディア」の世界が何やら賑やかなことになっている。賑やかだったら今の御時世、良いことではないですか……と言われそうだが、実のところ、その内実はといえば「良くも悪くも賑やか」というものだったりするのだこれが(笑)。
まず「良い(?)」ほうから言うと、市民メディア関係者の多くに結構衝撃を与えたんではないかというのが、
OurPlanet-TV共同代表・白石草さんの「
オーマイニュース」への転身だろう。といっても、白石さんは引き続きアワプラの共同代表を務めており、彼女が専従を離れてオーマイの映像部門(オーマイTV)の統括スタッフに就任する代わりに、もう一人の共同代表である小林りかさんが、勤務先から退社のうえ新たにアワプラ専従で入る、というものだ(以上は昨日付の「
フジサンケイビジネスアイ」の拙稿でも紹介)。
この話、私は昨年末の時点で既に聞いてはいたのだが、本当に急転直下、それこそ11月下旬からの数日間で決まってしまったらしい。というか、あまりに急というのか玉突き的にいろんなことが決まったために、実をいうと舞台裏で正確にどういうやり取りがあったのかについては、私もまだしっかりとは把握していない。できればもう少し詳しく話を聞いてみたいと思っている。
んで「悪い」ほうはといえば、いみじくも上記についてレポートした「ビジネスアイ」の拙稿と同じ日に出てしまった、これ(↓)。寺澤有さんからお知らせメールが回ってきた。
「鳥越編集長、辞任へ 後任決まらず〜迷走続くオーマイニュース」(「JANJAN」1月11日付)
これも年末の段階で聞いてた話ではあるんだけど、まったくねえ……。まあ、個人的に今さら驚きもしないような話題とはいえ、一般向けには「大丈夫なのか? オーマイニュース!」って感じにとらえられてしまうんだろうな、という気はする(まあ、「JANJAN」が、それもこの記事の署名記者がこれを書いたというあたりに私は別の裏話を想起してしまったりもするのだけれども)。
だったら、へそ曲がりの私としては敢えてここで言っておいたほうがいいのかもしれない。すなわち
「これはむしろ『良いニュース』なのかもしれませんよ!」と。
そもそも「オーマイニュース」について言うと、これまで私は個人的に思うところがあって、ここを含めたブログその他ではあまり言及しないようにしてきた。
「オーマイニュース」の韓国社会における功績については率直に敬意を表すし、そのオーマイが日本へ参入してきたことについても関心は持っていた。それがはたして現在の日本においてどれだけ受け入れられるモデルなのかという疑問はあったが、だからといって「そういうものを日本でやってみることは大いに良い」と考えていたし、当初の段階で少々苦労しようが茶々をいれるような批判をしないほうがいいだろうなと思ってきた。いや、今でもそう思っている。
その意味で、むしろ「なんだかなあ……」と、読みながらウンザリしたのは「オーマイニュース」が昨夏に日本へ参入した際の、既存の「国内マスメディア」からのヨイショぶりのほうだった。変な話、鳥越俊太郎という人物は、その「既存マスメディアからの歪んだ期待」を象徴する存在としてオーマイにいたんじゃないかという気がする。
「オーマイニュース」は確かにインターネット新聞というジャンルにおける先駆的な存在なのだろう。だが、日本でもオーマイに刺激されたりしながら、「JANJAN」や「MyNewsJapan」といったメディアがオーマイの日本参入以前から、苦労しながらも活躍していた。
インターネットを活用して市民発の情報を吸い上げ、広めていくという彼らの手法はオーマイと基本的に同じものだ。けれども、既存の日本のマスメディアは、すでに自国に存在したそうしたメディアに対しては歯牙にもかけようとしなかった。
そのくせ、オーマイが日本に乗り出してくると聞いた途端に「おお、あのオーマイニュースが!」と手放しの持ち上げようである。しかも、鳥越俊太郎が編集長に就任すると聞けば「おお、あの実力あるジャーナリストが新たなメディアを!」と、わけもわからず手放し礼賛になる始末。
これまで放送や出版などのマスメディア業界を取材しながら、一方で「市民メディア」という分野に関心を持ってきた私は、実は「マスメディア」の世界でプロとして働く人間たちが「市民メディア」というものを生理的に毛嫌いしているということを痛感していた。それも、高い視聴率を誇る娯楽番組の製作者以上に、「反権力だ」「ジャーナリズムだ」とお題目の理念を唱える「古典的反体制」の骨董品的ジャーナリストたちになればなるほど「市民が自ら情報発信をします」などという動きに「そんなの意味ないよ」とノッケから馬鹿にしてかかるということも、よくわかっていた。
「オーマイニュース」が出てきた時に、それを持て囃したのは、まさにそうした「市民嫌い」の古典的反体制主義者たるジャーナリストたちだった。鳥越俊太郎自身が当初「2ちゃんねるはゴミため」発言で物議を醸したように、彼らの感覚とは即ち「市民に自由に発言させたらゴミタメ同然になる。優秀なわれわれプロのジャーナリストが愚昧な民を導いていかねば」という選良意識だったように思える。
だから当初からブログが炎上したとかで「反体制」活字メディアが騒いだ時にも「そんなん当たり前に出てくる反応じゃんか。何言ってんだ!」と私は思ったし、そのことを騒ぎ立てること自体が私にはアホ丸出しだと映った。「ネットウヨ」ごときが何を言おうが所詮「ネットウヨ」ごときでしかないのに「活字サヨ」が怯えて「これは嘆かわしい!」「日本の悲惨な現状だ!」「やはりインターネットは悪い」とか言い出さんばかりの言説を見ながら、私は「足手まといだ。すっこんでろ馬鹿、じゃま!」と思ったものだ。
そういう意味でいえば、むしろ今回の鳥越退場を、逆に「日本における市民メディアのチャンス」と位置付け、寝言しか言えない馬鹿どもを排除する好機として積極活用したほうがいいんではないかとも思ったんですが、こういうことを書くからますます睨まれるんだろうね。ともあれ、本年も何卒宜しくお睨みのほどをお願い申し上げます。
(「
岩本太郎のメディアの夢の島」と同時掲載)

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