昨日は誕生日だったが、やたら殺伐と一日を過ごしてしまった。
夕方から新宿で放送批評懇談会主催「ギャラクシー賞」CM部門の選考委員会があったため(というか、なぜか私もその選考委員の一人であるため)事務局から渡されていたCM対象作品ビデオの未見分を、部屋に篭もってひたすら視聴。外は雨。ここ数日、都内では1ヶ月ぐらい前に逆戻りしたみたいに陰気で薄ら寒い天気が続いており、本当にこれから桜がもう一回咲くんじゃないかって気さえしてくる。
選考会は、受賞作の絞り込みに手間取ったものの9時過ぎには無事終了。帰路、新宿の書店に寄って立ち読みしていた最中に実家から電話。いちおう誕生日ということで書けてきたらしい。しばし話していたら、小声で相づち程度の会話だったにも、関わらず通りがかりの親父に「うるせーぞ馬鹿野郎」と怒鳴られる。
通話を切った後、「うるせーのはテメーだクソジジイ」と言い返したので一触即発になる。首根っこを掴んで階段から蹴り落としてやりたい衝動に駆られたが、もう43歳になったのでやめる。まったく、何て誕生日だ。
気分直しに近くで一杯ひっかけていこうかとも思ったが、あいにく例の心電図検査以降は酒を抜いているし(もう10日以上だ。こんなに断酒したのは十数年ぶりかな?)、もとより誕生日を祝ってくれる相手もいないため、すごすご大人しく帰宅。
ちょっと前までなら「哀れな中年男の寂しい誕生日」といった具合に雑誌の蔑みネタになったような風景だが、そういえば最近はあんまりそういう企画を見かけないな。たぶんそんな中年男が多すぎて、中には拳銃をブッ放したり包丁片手に小学校に殴り込んだりする奴も出てきたため、シャレになんなくなったということかもしれない。さらにそういえば「ネアカ」「ネクラ」とも何時の間にやら言わなくなったな。これも社会全体がクラくなっちゃったんでシャレにならんのだろう。変わりに「オタク」が今やポジティブな用語になってしまっているというのだから妙なもんである。
とはいえ楽しいCM作品を終日ぶっ通しで見ていたのだから、本来ならば少しは気分も晴れようかというところなのだが、あいにくそうはならなかった。だって、つまらなかったんだもの(- -)
「CM不況」なんて言葉も、もはや10年近く言われてるんだろうか? 今回も2006年度下半期の候補作ということで120本近くを見たわけだが、途中からはさすがに退屈した。ひところは「ヒットCM作品集のビデオは老人のボケ予防に利く」などと言われたものだが、俺が今80歳の老人だったら、そのまま棺おけに両足突っ込みたくなる――いや、そこまでは言わないけど(汗)。
ていうか、もちろん中には面白い作品もいくつかあったし、全体的に映像表現のクオリティや自由度という点でいえば、それこそCGを使えばどんな映像でも作れるようになった現在のテレビCMのそれは10〜20年前に比べて飛躍的に向上しているといえる。
が、それとは裏腹に、作品が放つインパクトは全体的に平準化されている。作品のビデオをずーっと見ながら、事務局から渡された評価シート(いくつか大まかなチェック項目が用意されている。ただしあくまで目安であって採点とかに用いるものではない)に鉛筆でチェックを入れていくうち、いつしか「完成度」という項目にだけズラリと丸をつけてしまっているのに気がついた。そう、作品そのものはどれもこれも高水準で完成されたものが揃っているのだ。なのにインパクトがない。
その背景には、そもそも広告を依頼してくるクライアントのほうから、最近は画期的だったり個性的だったりする商品があまり出ていない(だからCMを作る側も表現面ではポイントを絞った形での訴求できない)ということもあるのだろう。
ただ、当のCM制作者のほうも、こうやってズラリと百本以上作品を並べて一気に見てみると「なんだかみんな、あんまり楽しそうにCM作ってなさそうだなあ」という印象は受けた。名うての某「売れっ子制作者集団」の作品もぞろっとまとめてエントリーされていたのだが、どうも彼らもそろそろCMを作るのに飽きちゃったというか、「こんなもんだろ」とCM作りを舐めてるんじゃないかという印象を受けてしまった(ってまあくれぐれもどこの集団かというのは詮索せず、勝手に推察するように)。
特に一生懸命アピールできるような個性を持った商品もなく、一方ではCGを使えば誰でもそこそこ思い切った表現ができるようになり、さりとて振り向けばネット上で長尺の映像作品を公開して消費者にダイレクトに訴えられるという今の時代だ。はたして昔から代わり映えしない15秒ベースの、それもパッとオンエアされて終わりというテレビCMで、何をやったものやら――というあたりが、おそらくCM制作者の側でも未だ見極められずにいるんじゃないかな、という気はする。
そういえば2006年上期の「ギャラクシー賞」CM入賞作品だった民放連「CMのCMキャンペーン」は、クライアントの宣伝部長や視聴者が無責任に好き放題な意見を言ってくるのを、自信のないCMの制作者側が言われるがままに受け止めて表現を改編していくうちにわけのわからんCMになっていった――というストーリーの作品だった。まあ、ベタでメタな作品であるし、これを「ギャラクシー賞」で持ち上げること自体どうかという見方もたぶんあったと思うのだけど、たぶんテレビCMの現状って、あの作品でカリカチュアライズされた通りのものなんじゃないか。
「おもしろきこともなき世をおもしろく――」
ご存知、高杉晋作の時世の句であるが、そういえば岡康道さんも以前にどこかのエッセイでこの句を用いて何か書いていたような気がする。たぶん、今のCM表現に携わる人たちの心境ってのも、こんな感じじゃないのかな――と思ったところで、さて、今日も新宿の放懇事務局に行ってきます。ではでは。

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