遅ればせながらだけど『
ダカーポ』の休刊(この年末限り)について。
以前から噂されてきたことではあったし、出版業界の現状(とりわけ雑誌市場の惨状)からして遠からずそういう日が来るんじゃないかとは、業界事情に多少でも通じた人ならば誰しも思っていたに違いない。私自身、最初に休刊の報を聞いた時にも特に驚きなどは感じなかったし、同誌編集部による「ネットや携帯電話の普及で、情報収集の手段が様変わりした。今以上の業績を上げるのは難しく、情報誌としての役割を終えた」(日刊スポーツ10月11日付)との対外コメントも「まあ、平たく言えば確かにそういうことなんだろうな」という程度の感想を覚えながら読んだ。
とはいえ――これもおそらく多くの出版業界人たちと同様、さすがにこの雑誌の“引退”については、やはりある種の感慨は覚えざるを得ない。いや、後述するように個人的にも過去に少々関わりを持った雑誌だということもあるのだけど、それ以前に「とうとう『ダカーポ』ですら休刊になっちゃうところまできたのか……」と思わせるに足る、独特の存在感を出版業界では保持してきた雑誌だからだ。
そもそも『ダカーポ』という雑誌には1981年の創刊以来、類誌とか競合誌と呼べる媒体が他にほとんど存在しなかった。最盛期で20万部、落ちたとはいえ現在でも8万部もの部数を持つとされる総合誌としては異例というべきケースだ。
また、マガジンハウスという広告収入依存型の大型雑誌を主体とする版元にあっても、活字主体のA5判という体裁から広告収稿には自ずから難のあった『ダカーポ』は例外的な存在といえた。もとより収益的にも『アンアン』とか『ブルータス』といった同社の基幹をなす雑誌群とは比ぶるべきもない。私自身が仕事で出入りしていた10〜12年ほどにも「最近(その時点で創刊から15年前後)やっと黒字の号が時々出るようになった」という話を当時の副編集長の口から聞かされたことがあったくらいだ。ネット台頭以前のその頃ですらそういう状況だったわけだから、それこそ通年で黒字になったことなどはたぶんこれまでに一度もなかったんじゃなかろうか?
もっとも、そうした非採算媒体でありながらも、他誌で稼いだ利益を充てながら存続させるあたりが、業界関係者から「さすが雑誌界の雄・マガジンハウス!」と業界から一目置かれる所以の一つともなっていた。また、社内の人材的系譜からもこの雑誌は、あの『平凡パンチ』の流れを汲んでいるところがあり、ある意味ではマガジンハウスが「平凡出版」という旧社名を冠していた時代の名残を持つ「最後の『平凡』系媒体」としての側面もあったのだ。
実際、以前からの熱心な読者ならば御存知の通り『ダカーポ』を舞台に活躍してきたフリーランスの書き手は多い。それは別に名の知れたノンフィクション作家などに限らず、それこそライターになりたてで編集部まで飛び込みで仕事をもらいにやってきた若手(何を隠そう私もその一人だった)にも「んじゃ取りあえずこれやってごらん」と気軽に仕事をくれたり、外に連れ出して酒やご飯を奢ってくれるという実にありがたい雑誌だったのだ。
(余談だが、マガジンハウスには本社のすぐ近くのビルに社員向けの食堂があって、ここでは社員のみならず出入りのライターたちにもタダで食事をふるまっていた。あれって今でもまだやっているのかな?)
6〜7年前、私よりひと回り上の世代のジャーナリストたちが中心となって「個人情報保護法案反対・共同アピールの会」の活動を展開した際に「拠点」というか「事務局」的な機能を担ったのも『ダカーポ』だった。もっとも、おかげで当時の(すでに出版業界の「大手企業」としての意識や体質が浸透して久しかった)マガジンハウスの経営陣からは睨まれたりもしたようだったが。
そんな『ダカーポ』が、遂に休刊へと追い込まれたわけである。理由としては、上にもあるようにネットやケータイといった新興勢力に食われたからだというあたりになるんだろうが、とはいえそうした紋切り型の分析だけで済ませてしまうのもどうかな、という気はする。
そこで私なりに今回の休刊に関する捉え方を述べさせていただくなら、ようするにこういうことだ。即ち「『ダカーポ』は『ダカーポ』であるがゆえに、今まさに休刊になるのだ」。
これも前述した通り、落ちたとはいえ今でも8万もの発行部数を誇るという同誌の現状は、雑誌市場全体から見ても決して悪いものではない(というか、これならもっと先に潰れて然るべき雑誌が巷には腐るほどある)。やり方次第ではさほど大きな損失を生むことなく、またはどうにか収支を均衡させながら続けていく道もあったのではないかと思う。
だがしかし、ここでは出版業界でもとりわけ高水準の給与体系で知られるマガジンハウスの高コスト体質が、やっぱりネックになる。旧社名を冠する「平凡出版労働組合」は今なお血気盛んなようだし、あまりドラスティックな経営合理化や経費の見直しは難しいんじゃないかと推測する。
ならば広告収入アップを図る道はどうだろう? 判型を拡大し、印刷もカラーグラビア主体に改めることで広告を取りやすくしては――とは誰しも考えるところだろう。もとより、この案は過去にも何度となく社内で検討されたらしいのだが、結局実現することはなかった。理由としては内部における諸々の複雑な事情もあったのだろうが、何より「それをやっちゃったらもはや『ダカーポ』が『ダカーポ』でなくなる」との思いも強かったのではないか。
先に「類誌や競合誌のない雑誌だ」と述べたが、それでも変な話、例えば判型なども含めて『日経エンタテイメント!』や『Invitation』(ぴあ)のような方向へと持っていく選択肢も考えられたはずだ。が、マガジンハウスの体質からして、そこまでして続けようという気にもなれなかったのだろう(まあ、あんまり他社の雑誌を研究したりとか、事前にマーケティングを緻密にやってから雑誌を出していく版元ではそもそもないし)。
『宝島』『別冊宝島』のように、ヨソの版元から譲り受けたブランド名はそのまま媒体の性格自体をガラリと変えていくというやり方も他社ではあったわけだが(それこそ『宝島』の本誌などはサブカル→エロ雑誌→ビジネス誌という極端な変遷を辿っている)、自社のオリジナルブランドである『ダカーポ』でそれをやったとして、はたして読者もついてきたかどうか。
残すは体裁などはそのまま、ジャーナリズム色をさらに鮮明に打ち出していくというやり方ぐらいだろうが、これとて週刊誌が昨今、いくらスクープを出すべく血眼に取り組もうが販売部数に全然結びつかないという現状を踏まえれば上策と言えない。加えて、それ以前に『アンアン』や『ブルータス』の版元で芸能界とのつきあいも多いマガジンハウスでは芸能スキャンダル的なジャーナリズムは馴染みにくい(というか、それをあくまでやらなかったからこそ、かつての『平凡』は粛々と休刊していったのだ)し、だいたいそういった雑誌作りのノウハウ自体、一朝一夕に得られるものではない。
だから結局『ダカーポ』は最後まで『ダカーポ』であり続けるしかなかったのだ。その意味で、今回の休刊は『ダカーポ』にとっては妙な形で晩節を汚すこともない、まだ良い形の終幕だったんじゃないのか――という気もしてくる。
「現代が3時間でわかる情報誌」という、今となっては逆に浮世離れして聞こえるような謳い文句(今どき1つの情報誌に3時間も向かい続ける読者がどれだけいる?)も、それはそれでそれが有効だった時代の名残と受け止めるしかない。、何より休刊に追い込まれたことの責を『ダカーポ』自身に問うのは酷というものだろう。それはむしろ、同誌を支えきれなくなったマガジンハウスの問題であり、こうした雑誌の存在余地を狭めるまでに弱体化した現在の雑誌業界全体の問題でもある。
それにしても――再び個人的な思い出に返るけど、今から20年以上前の大学生時代には毎号のように買って読んでいた雑誌の一つだったし、フリーライターになって最初の仕事をさせてもらったのも実はこの『ダカーポ』だった。その後に離れてからも、もっぱらメディア批評を中心とするライターとしてやってきたこともあり、たまに『創』の出版業界特集とかで取材に訪ねていったかと思えば、時には逆に先方からの取材に応えたりしたこともあった。そうした意味からも何かと思い出深い、かつて世話になった先輩の引退を遠くから見つめるかのごとき『ダカーポ』休刊。まずは素直に「長い間おつかれさまでした」と言いたいところではある。

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