これ、久々に見たな。静岡県中部の家では、旧盆になると茄子や胡瓜でできたコイツらを仏壇に飾る風習がある(らしい。私が子供の頃には実家のほか、よその家でも見た覚えがある)。
「コイツら名前は何ていうの?」と聞いても「知らない」と母は言う。知らないのに、私が子供の頃から今に至るまで延々と、毎年夏が来るたびに母はコイツらを親父の仏壇に供え続けている。
これを撮った翌朝、私が寝惚けている間にコイツらは仏壇から忽然と消えた。「精霊流し」されたんだそうな。
といっても、新興住宅街のこの近辺にそういうのを流せる河川があるのか(川自体はあることはあるが、そういうのは明らかに無理めだし)と聞いたら「うん、最近は市のほうがうるさいもんで、朝に市役所のほうから集めにくるだよ」とのこと。ようするに普段のゴミ回収と同じで、何とも風情のないことだ。
とまれ、帰省中は墓参以外に特にやることもないので、実家のテレビでオリンピックや高校野球の中継を始終ぼんやり眺めていた。が、さすがに身体がなまってきたため、2日目の夕刻にぶらりと近所を散歩。
実家は新興住宅街にあると書いたが、ものの5分も歩いた一角にはこうした「となりのトトロ」的な田園風景が残っている。旧東海道に近いこの一帯は、もともと雑木林に囲まれた丘陵地帯の周囲に田圃が広がっていたが、20年ほど前から野山を大きく切り崩しての住宅地造成が始まり、すっかり雰囲気が変わってしまった。ところが写真の一角だけは開発中に近所で遺跡が発掘されたことから、私が子供の頃から見てきた静岡周辺の典型的な郊外風景が生き長らえることとなった。
このあたりは基本的にクルマ社会で、実家周辺の住宅街には、普段東京の都心近くに住む者の目には「ゴーストタウンか?」と映るくらい、歩行者の姿が少ない。その点、この田圃が広がるあたりの農道や畦道には、農作業から帰ってきたおじさんや水遊びにはしゃぐ子供たち、夕涼みがてらの散歩を楽しむおばあさんなどが結構あるいていて、すれ違うや見ず知らずの私にも「こんにちは」と静かに挨拶してくれる。田圃からは蛙たち、林からは蝉たちが(そろそろヒグラシやツクツクホーシが増えてきた)まさしく今が命の盛りとばかりの大合唱。
そんな静かで平和な世界を陽が落ちるまでぶらぶらとほっつき歩き、東の空に十三夜の月が出てきたのを見届けて、帰路につく。

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