やたら遅まきながら(3週間も経っとるが ^_^;)の報告だが、バレンタインデーの夜に行ってきたのだ、素敵なご婦人を妖しげな十数人で囲む「オフ会」に。
ご婦人は「
ち〜こ♪」さんという。都内・東村山にお住まいの専業主婦だが、本来は関西の人で、数年前に旦那さんの仕事の都合により3人のお子さんたちともども東京まで引っ越してきた。私とは、かれこれ8年ほどの御厚誼がある。
といっても、実は私自身ち〜こ♪さんとはその8年前の初対面以来、直接お会いするのは今回が2度目なのである。ただ、その間も割とちょくちょくメールでのやり取りは続いていて、時には何故だかお互いの過去の恋話のブチマケ合いもあったりした(笑)といった間柄だ。御婦人のことゆえ御歳をばらすわけにはいかないが「
仮面の忍者赤影」が「初恋の人だった」というから、まあ私と同世代だ。
で、そんなち〜こ♪さんと私が知り合うきっかけになったのは、これまた妙な話だが「オウム真理教問題」だったりする。
全国あちこちに拠点を構えていたオウム教団は大阪でも吹田市に施設を構えていて、あの上祐史裕氏が刑務所から出所する1999〜2000年前後には周辺自治体や住民たちからの反対運動にさらされることとなった。
そうした中で「ちょっとそれって違うんじゃない?」と立ち上がったのが、当時吹田に住んでいたち〜こ♪さんだった。もとよりそれまでオウムと接点があったわけでも、オウムの思想や姿勢にシンパシーがあったわけでもなかった彼女だが、3人のお子さんを抱える身から「異物排除」にかかる周囲の状況に対して得体の知れぬ違和感を感じたらしい。意を決してある日、お子さんを引き連れて市内のオウム施設を訪ね、信者たちにも直談判を行い、一方では「吹田に『オウム』がやってきた」という専用サイトを立ち上げたりしながら世間に対して「みんなでこの問題を考えましょうよ」と議論を呼びかける活動へと乗り出してゆく。
同じ頃、私は群馬県藤岡市で起こったオウム信者の転入騒動について、当時その場にいたオウム信者たちと、彼らの転入に反対した地元住民たちが騒動終結後に何故か共同で執筆したという記録本『
町にオウムがやって来た』を、コーディネーターとして世に送り出していた。そんなわけで、その少し前に見知っていた上記の「吹田に『オウム』がやってきた」にも本の発売告知を書き込んでいたところ、その年(2001年)の秋になって、ち〜こ♪さんから「吹田でオウム問題についての集会を開くのでパネリストとして来てくれませんか」とのお招きをいただいたのである。
ちなみに、そうした趣旨であるからして集会にはオウム(当時は「宗教団体アレフ」)の現役信者のほか、関西方面の「オウマー」諸氏も多数参加していた。
(「オウマー」についてここでまた説明しだすと長くなるので省略するが、とりあえず「オウム真理教を信仰しているわけではなく、中にはむしろ反対の立場の人も含まれているものの、とはいえ思想信条の違いはさておきオウム問題に関心を持ちながら個人の立場で追っかけなり資料収集なりの活動を続けている人々の総称」……といったあたりで御理解ください)
さらに、当時「A2」を完成させたばかりの
森達也さんや、上記『町にオウムがやって来た』の中で藤岡市の住民たちから批判された
人権と報道・連絡会(訪ねたオウム施設前で地元の住民たちと大喧嘩をやらかしたほか、それを雑誌の記事で批判した私や、当初「A2」に麻原三女の顔&実名出し映像を使っていた森さんとの間でも揉めた)の手塚愛一郎さんまで偶然一緒にパネリストとして呼ばれるという、何やらややこしいシチュエーションになっていた。そんなわけで吹田の集会に行く前の1〜2週間はあれやこれやと面倒くさいこともあったんだけど(苦笑)。
それはともかく、ち〜こ♪さんの周辺にはそうした呉越同舟的なケースも含めて様々な人々が集まる。そのあたりは彼女の人徳と言えるかもしれない。
最近では御家庭のほうが忙しいのか、ウェブ上に登場することもほとんどなくなってしまったけど、以前開設していた「ち〜こ♪の日記」は私自身、なんというか「ほっとする」ものを覚えながら楽しく読んでいたものだ。
まともな勤め人生活からハミ出したフリーの物書き稼業なんぞに長くいそしんでいると、彼女のように3人のお子さんを育てながら家庭を切り盛りしている女性の日常生活からにじむリアリティやバランス感覚には、どこか癒されるものを覚えてしまうのだ。そのへんは、私とはまた別方向にハミ出したオウム信者やらオウマー諸氏も別方向から案外似たような癒され方をしてたんではなかろうか。
ただ、上記から何やら古典的な「古き良き日本の専業主婦」像を思い浮かべる向きもあるだろう。けれども、ち〜こ♪さんはそんなステロタイプな女性ではない。そもそも古き良き日本の専業主婦は、500km彼方の東京にいる妖しげなフリーライターとネット上でコイバナのブチマケ合いなどしたりはしない(笑)。
以前あったネット上の日記でも「酔い潰れて夫から怒られた」とか「子供が言うことをきかないのでブチ切れた」みたいなリアルな日常が綴られており、読みながら「俺もいつまでも『ガキ』だけど、ち〜こ♪さんもいつまでも『娘』なんだな〜」と同世代として嬉しく思ったものでした。
で、そんなち〜こ♪さんと8年ぶりに会ったわけであるが、そうした普段のネット上でのやりとりが続いてたこともあってか「8年ぶり2度目」の違和感がまったくなく、8年前にお会いしたのと全然同じち〜こ♪さんだった。「バレンタインデーの夜なのに、いいの?」と聞くと、御家族には「友だちと会う」と言って出てきたとのことだった。でも新宿駅東南口のその酒場に集まった「友達」というのも8年前と同じオウム信者やオウマーさんたちだったんだけどね(笑)。
報道されている通りオウム教団は現在、あの上祐史浩さん率いる「
ひかりの輪」と、あくまで開祖の親族を中心とする「
Aleph」に分裂している。あと、
野田成人さんが新代表を務めている「中間派」もある。
といっても、まあ私もしばらく彼らの取材から離れているので、そのへんの事情にはすっかり疎くなってしまっているのだが、今回のオフ会には上記の「ひかりの輪」から広末晃敏さんや池田光一さんたちが参加していた。
広末さんについてはつい先日も
ここで紹介したように、「A」「A2」では主人公の荒木浩さん(当時広報副部長)のすぐ横で副主人公的に映っていた人で、現在では「ひかりの輪」の「副代表委員」兼「広報部長」兼「法務部長」なんだそうな。
池田さんは「A」終盤の山科ハイツの場面に登場している。今でも大阪の施設に警察や公安調査庁が入ってくるたび「今ガサ入れが入っています」といった産地直送的ルポを
mixi日記に上げてくれるのがなかなか楽しい。
というか、オウム取材から離れて久しい私が今なお彼らとこうして日常レベルで連絡が取れているのが、mixiのマイミク仲間だからだというのも変な話なんですけど(汗)。なんだかんだで目下私のマイミクには現役信者や脱会信者などのオウム・オウマー関係者が10人前後いて、その中にはかの上祐さんや野田さんもいたりする。
野田さんなどは最近「電通から接待を受けた」という話を堂々と日記に書いていたし(その後すぐ削除?)、広末さんにいたっては最近「鉄」であることをカミングアウト。「新たに開業した京阪中之島新線の3000系電車にはぜひ乗りたいと思います」みたいなコメントを私の日記にも書き込んでくれているのだけど、しかしオウム幹部と鉄ネタで盛り上がる日が来るなどとは、ついこの間まで予想だにしていなかったですよ(^_^;
「ってことはつまり『ひかりの輪』って今も“宗教団体”になるわけ?」との問いに、広末さんも池田さんも「いや、そのへんがまだ整理できてなくて……」と言葉を濁す。こういった半端な煮え切らなさ自体は、やっぱり今でも「オウム」である。
ちなみに、あの荒木浩さんは「Aleph」側についていき、今ではまったくメディアの取材には応じていない。ただ、分裂した今でもオウム教団の中枢部門は都内・千歳烏山にある。狭い路地を挟んで向き合う2つのマンションに「ひかりの輪」と「Aleph」のそれぞれについた信者たちが分かれて入る格好になっているんだそうな。
一方でこの日のオフ会には、あの事件当時にオウム問題をしゃかりきに追いまくっていたマスコミ関係者が聞いたら「え、あの人が?!」と気色ばむであろう人も参加されていた。
オウムをめぐる人間模様って、ことほどさように複雑だ。10年前、私がオウム取材を始めた頃にも、「オウマー」のオフ会に「
カナリヤの会」メンバーの脱会信者と一緒に「最近オウムに入信しました」というニューカマーが並んでテーブルを囲んでいたり、あるいはそうした場に
滝本太郎さんや
有田芳生さんが顔を見せたりしているという状況が、最初の頃は頭の中でよく理解できなかった。
もっとも、継続的に付き合うようになるうちに「別にそのほうが自然なのかもな」と思えるようになった。
オウムの思想や、オウムが過去になした犯罪について賛同はできないという結論自体は社会的にも既に凡そ確定したし、私もその立場をとる。が、それでもなおかつ今なお教団に残る者もいれば、今から教団に入る者もいる。なおかつ教団を出たものの社会に受け入れてもらえなかったり定着できなかったりで再び教団へ戻っていった者もいる。また、やってきたり戻ってきた信者や元信者をどう受け止めていいのか悩んでいる人たちもいる。もとより、一連の事件によって傷ついたまま今なお苦しんでいる人たちもいる。
そういったややこしい状況を「オウムか反オウムか」という二項対立の図式だけで捉えようとしたって、そりゃ無理があるよなあ……と、当時取材であちこちに行ったり、あるいはそうしたオウマーの人たちと接したりするうちにつくづく思うようになった。というか、その図式にこだわること自体、私に言わせればそんなに意味はない。意味があるとすれば「そこに拘ること自体に意味がある」と見なす人たちにしか意味がない。が、悲しいかな、マスメディアのオウム報道は今日に至るまで徹底的にここに拘っている。
(ていうかなあ……これって私、オウム取材をやってた10年前の頃に言ってたのとまるで同じ話なんだよな。10年たっても全然このへんの状況が変わってないということなのか。それとも私が浦島太郎になってるってことか)
まあ、私自身は別にオウムだアレフだ「ひかりの輪」だなんて連中はとことん叩かれまくればいいと思っているし、かつての転入届不受理問題の時にも「憲法違反だ」とか抜かした教団に対して「世俗を否定したくせに世俗の権利を都合よく言い立てるんじゃねーよ!」と言った覚えがある。上で引き合いに出した人報連からも「オウム信者とフリーライターに人権はない」とか偽悪的に言ってるうちに半ば出入り禁止を食らったわけですが(笑)。
前にもどこかに書いた話だけど、いつだったかマスメディアの人に取材で「どうしたらオウム問題は解決できるのでしょうか?」と聞かれて「『オウム問題の解決』って何だよ?」って絡んだ覚えがある。
まあ、マスメディア的には麻原がとっとと死刑になり、千歳烏山その他の連中が消え失せた時点で「解決」なんだろう。でも、市民社会に戻ってきた元信者たちをどう受け入れるかという問題はずっと尾を引きそうだし、何よりサリン事件被害者の苦しみは、この先の数十年、彼女ら彼らが行き続けていく限り残る。
いや、それどころかサリン事件の被害を受けた人たちの、次世代以降への遺伝的影響だって現時点では解明できずにいるのだ。だとすれば、事件から14年を経た今ですら、「オウム問題を解決」するための議論の材料は出尽くしていないということになる。
といっても「だから俺がそこをカバーするためにこうして彼らを追い続けているのだ!」みたいな使命感が私の中にあるのかといったら、実のところそんなのは丸っきり微塵もないのですが(^_^;
かつて私がオウム騒動ルポを毎月のように書いていた『創』とはとっくの昔にケンカ別れしているし、そもそも今や私にオウム問題で何か書いてくれとか頼んでくるような奇特なメディアはない。というか私自身、万が一頼まれたとしてももはや面倒くさくて書く気になれん。
『町にオウムがやって来た』だって、あんなに苦労して作ったのに、売れる売れない以前に店頭にもロクに並べてもらえず、ただでさえ稼ぎのよろしくない私は、あれをやったことで経済的にはむしろ自分の首を絞めちゃったところがあったんだからな。
じゃあ何で今もそうやってそうした人たちと? と言われたら、たぶん理由はち〜こ♪さんと同じで「友だちに会いに行く」感じかな。単純に「楽しいから」と。
家族や出身地とも離れ、親戚も同級生も同郷の知り合いもまるでいない東京に一人で出てきて、なおかつ数年後には脱サラのうえフリーライターという所属母体を持たない仕事についてしまった私にとっては、こうして自分が物書きとしてあちこちを動き回る中で出会った人たちこそが唯一無二の「友達」なのだ。
「そんな、お前オウム関係者しか友達いないのかよ」と言う人もいるかもしれないが、このブログを以前からお読みいただいている方がたならお気づきの通り、私、この仕事をやってる中でずいぶんいろんな方面に友だちが増えました(苦笑)。ほんと、学生時代までは人付き合いが下手糞で悩んでた人間だったのに、どうしたんだろう? というくらいに。いや、別に自慢するわけではなくて。
同業のフリーランスライターの中には「私は○○方面に人脈があって……」とかいうのを盛んに売りにする人たちもいるが、正直に言って個人的にああいうのは(フリーランスとしての生き方の一つとして否定はしないが)好きになれない。
そういうのをやりながら物書きとして生きていこうというのであれば、おそらく私は今でもなお出身母体だった広告業界誌の社員でいたか、あるいは『創』あたりで誰にも読まれないようなマスコミ業界モノでも書きながら、業界の人事情報でも追いかけていたことだろう。でも、そういう世界には正直もう飽きた。
そんなつまらない生き方をするよりは、せっかくひとたび取材などご縁をいただき、なんだかんだでその後もおつきあいの続くようになった人たちとは、できるだけ末永く楽しくやっていきたいなあ……と、和気藹々とした酒席を挟みながら、しみじみ思っていたりする。
もちろん、かつてはいろいろお世話になったのにすっかりご無沙汰を重ねてしまっている方々もいるし(これを読まれているようでしたら、謹んでお詫び申し上げます)、あるいはその後に仲違いして離れてしまった人も少なからずいるわけだから、あんまり綺麗事のようには言えない。
あと、例によって「そんな金になんないことばっかりやってるから、お前はいつまでたっても貧乏なんだよ」「結局お前はプロの物書きとしては無能なまま終わるんだな」といったお叱りや誹りも、そこでは飛んでくるかもしれない。
ただ、少し前まではそういうのを聞くたびに幾らかムッとしたり言い返したりしていたわけだけど、最近はもうどうでもよくなってきたというか「ああ別にそれでいいですよ」と思えるようにもなってきた。落日の放送業界や出版業界における自らのハク付けなんぞに拘っているのと、今やメディア的にはすっかり商品活のなくなった「オウム業界」の人たちと仲良く酒飲んでるのと、はたしてどっちを選ぶかというだけの話だ。
……などとまあ、オフ会報告の最後は世捨て人のぼやきみたいになっちゃいましたが(汗)、ともあれ、元気なち〜こ♪さんやオウム&オウマーのみなさんに久々にお会いできて、何よりうれしかったです。また飲みましょう! 最後に幹事を勤めていただいた아벨(Abel)さん、山本英司さん、本当にお疲れ様でした!

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