iwaです。
東海山岳会に入って4年目の冬。
思えば1年目は頚城山系焼山を目指し敗退。
2年目は南アルプス蝙蝠岳を目指し敗退。
3年目は北アルプス槍ヶ岳を中崎尾根から目指し敗退・・・
どれも敗退の記録ばかり。
今年こそはと挑戦したのは西穂〜奥穂間の縦走。
一般道としては日本最難と言われているこのルートを冬季に縦走するという計画にtokuという強力なパートナーと共に行ってきました。
計画を練り始めて始めてこのルートの難しさに気づきます。
装備、食糧、日程、天気・・・
一つ一つがプレッシャーとしてのしかかりました。
一番頭を悩ませたのが天気。
知ってのとおり今年は年末年始の天気は大荒れ予報。
もし山の中に閉じ込められたら・・・
不安だらけでも出発の日はやってきます。
【12月27日(1日目)】
3時に名古屋を出発して7時に新穂高ロープウェイの駐車場に到着。
始発は9時なのでのんびりと準備。
そうえいば登山届が義務化されたんですよね。
もちろん登山センターに提出して行きます。
ロープウェイを2本乗り継いで西穂高駅に到着。
トイレなどを済ませて準備して9時40分歩き出します。
この日はクリスマスイブのパーティーに遅れたサンタコスプレの冬将軍がお帰りになられた後で最高の冬晴れ。
天気が安定しているのはこの先2日間だけの予報なのでとにかく進めるだけ進む計画。
25kg近い荷物を背負いながらも気持ちのいい空の下飛ばします。
西穂山荘からはアイゼンを付けて歩きます。
西面にあたる飛騨側の雪は風で叩かれてよくしまって歩きやすい。
順調に歩を進め西穂独標に12時。
快調に進んでるように見えるけどザックは重いし標高のせいか息はきれぎれ。
だけどこの息切れが標高のせいじゃないことが後で分かり最後までこれに苦しめられます。
独標で悠長に休憩していられません。
先に見える西穂高岳を目指します。
ここも雪は締まっていて歩きやすいですが微妙な悪場が続きます。
小さなアップダウンを繰り返して13時30分に西穂高岳山頂到着。
さて、ここかが本番。
ヘルメットをかぶり気合を入れて歩き出します。
西穂山頂からのクライムダウンは信州側の雪壁を降ります。
ここのコルでも1〜2天なら幕営できそうです。
少し登り返して赤岩岳。
登り返しは雪をうまく繋いで行きますがフロントポイントの連続でふくらはぎが・・・
APPならぬFPPです。
ここらあたりから飛騨側の雪の感じが悪く表面がクラストして氷化して中はスカスカ。
難しい雪に難儀しながらも前進します。
30cmほどの幅しかないナイフリッジを渡ったり悪い雪壁をトラバースしたりして精神的にも追い込まれていきます。
間ノ岳のコルへはクライムダウンできそうにないのでピナクルで10m懸垂してコルに降り立ちます。
ここのコルも幕営適地で時間は15時30分。
進むか迷いましたがリミットを決めて進みます。
間ノ岳へ登り返しここでも細いリッジを越えます。
幸いにもいい感じのピナクルがあったのでそれで飛騨側へ50m懸垂。
日没ギリギリの16時40分に間天のコルへ到着しました。
ヘロヘロの体を引きずって信州側の斜面の切り崩し整地してテント設営。
toku特製のカレーペミをガッツり食べて疲れが抜けることを願って20時には就寝。
【12月28日(2日目)】
朝からα米を1人前200g食べて日の出とともにスタート。
目標は穂高山荘の冬季小屋。
目の前の天狗岳へと登り返しますが・・・今日も息が切れます。
いつもの高度障害なら一晩寝れば順応するんですが明らかに息苦しい。
やはり出発前から調子の悪かった気管支が影響しているのか。。。
2倍くらいの高度を感じながらも気合でがんばります。
天狗岳へも弱点の雪をうまくつないでルートを作っていきます。
おかげで朝からFPP。
天狗岳山頂からは飛騨側の雪面をクライムダウン。
おそらくこのクライムダウンが全工程のなかで一番緊張。
スカスカの雪に隠れた岩、氷化した雪、急斜面・・・
言葉では表せない悪さってこういうことなのかな?
それでも弱点を見つけて50mくらい降りると懸垂できそうなピナクルが。
近寄ってみると残置の支点がありました。
ありがたく使わせてもらいます。
小さなルンゼを15mほど懸垂して天狗のコルへ。
ここからコブ尾根の頭まではロープを出すか出さないか悩むような悪場が長く続きます。
パートナーを信じてノーロープで進みますが絶対に落ちられないクライミングが連続します。
実はiwaはここをジャンダルムだと勘違いして登っていてコブ尾根の頭だと知ったときはひざから崩れ落ちるくらいがっくり。
それくらい辛かった。
このあたりから風が強くなり始め平均15m〜20mほど。
コブ尾根の頭から少し下るとジャンダルム。
下から見ると威圧的ですね〜。
ロープを出したいところですがここも雪をつないでノーロープで登ります。
ジャンダルムの頂からは懸垂なんですが適当な支点が見つからず少しクライムダウン。
雪に埋まった支点を探すのに手間取ってしまいました。
初日にも感じたんですが岩が脆くてしっかり確認しないと動く岩ばかりでとても懸垂に使えない。
もちろんホールドにも。
自分のザックくらいの岩が簡単に動きます。
ハーケンだって確認すると全然効いていないもの多数でした。
懸垂は10mほど。
そのあと少し悪目のクライムダウン。
コルに降り立つと目の前にそびえるのはロバの耳。
ここは先が見えなくて不安だったので念のためロープを出して越えました。
驚いたことにしっかりとしたピカピカのハンガーボルトの懸垂支点を発見。
これもありがたく使わせてもらいました。
懸垂はルンゼを50m+20m。
次は馬の背。
悪場の連続で体力的にも精神的にも強さが試されてる気がします。
少し登りビレイ点にできそうなピナクルでセルフをとりロープを出して越えます。
50mいっぱいと10mくらい。
馬の背の超えれば目の前には目指す奥穂高岳の山頂が!
ここでもフロントポイントの連続でふくらはぎが・・・
予想よりはるかに強くなった風で寒さも倍増。
iwaはビレイジャケットを着込んで登ります。
そしてついに!
奥穂高岳山頂に!
山頂の看板についた氷を落としtokuと熱い握手を交わしました。
ここまで辛いなか頑張ってきたのもあり嬉しくて泣きそうでした。
ただやはり山頂は風が強くそそくさと退散。
穂高山荘へ向けて下山を開始します。
迷い尾根に乗らないようにしっかりと確認して下ります。
一般道とはいえ鎖とハシゴの連続で緊張を強いられます。
最後は氷化した雪壁をクライムダウンしてやっと穂高山荘にたどり着きました。
あまりの疲れでさすがに倒れ込みました。
さて、冬期小屋でゆっくり休もうと思うも非情にも冬期小屋の入口は雪の下・・・
ヌクヌク過ごしたいので疲れた体に鞭打って掘り出します。
明日の天候が心配ですがとりあえず安全な宿を確保できて一安心。
この日もカレーペミで疲労回復を。
でも咳が止まらず頭痛もあり明らかな体調不良。
さらに19時頃から雪が降り始め風も収まらず不安な夜でした。
【12月29日(3日目)】
この日は朝から風雪が強く視界は30mほど。
岩などがなければ足元の斜面が見づらい状態。
いうなれば軽くホワイトアウト。
でも今日下山しなければ山に閉じ込められる可能性があるので意を決して歩き出します。
午後には収まるという予報を信じて。
まずは涸沢岳へ登り返し。
先が見えないなか慎重にルートを選んで登ること40分で涸沢岳山頂。
下山に使う西尾根は一等三角点から北西に延びる尾根。
確認してから下ります。
東側には雪庇が出ているのであまり端に近づかないように歩いていきますが・・・
知らず知らずのうちに尾根の西側に間違えていたみたいで一度ロスト。
地図を見直して尾根に戻ります。
穂高入門の涸沢岳西尾根ですが、氷化した雪の上にウィンドパックされた雪が乗っていてアイゼンワークを雑にすると効かないので全く気が抜けません。
悪いクライムダウンを何度か繰り返してF沢のコルへ。
ここから少し登り返して核心の蒲田富士。
雪はしまって安定しているのですが真っ白ではっきり言って何も見えません。
チビ谷側に出る雪庇に注意しながら通過。
ここでtokuにトップを代わってもらいスピードアップ。
のはずがやはり息苦しくてペースが上がりません。
2600m付近のジャンクションピークを間違えずに下りればあとは樹林帯を下るだけ。
長い尾根を下り長い林道を歩き14時に新穂高ロープウェイ駐車場に帰ってきました。
3日間だけでしたが僕らにとっては長い長い3日間でした。
最後の締めは高山の「国八食堂」でたらふく食べて帰りました。
今回の計画にアドバイスしてくれた先輩達や一緒に行ってくれたtokuさんには本当に感謝です。
特にtokuさんとは時々意見が分かれたりもしましたが一緒に悩んで考えていい経験になりました。
自分の課題も見えたしまだまだ先へ、上へと進んでいきたいと思います。
追記 toku
成功した一番の要因は、初日と2日目の安定した天候だったかもしれません。
2泊3日で縦走できたから、厳しいものではなかったと思う人もいるかもしれません。
でも、私たちは心から満足し、充実した気持ちで下山しました。
成功した「結果」は素直に嬉しいです。しかし、それ以上にそれまでの「過程」に大変
満足しています。
年末の悪天候のために急遽計画を変更し、装備や食料等も見直しました。
成功させるために、いろんなことを必死に考えました。
厳しい場面もたくさんありましたが、パートナーのiwaさんと力を合せて乗り越えてこれたのは、今まで一緒に数々の経験を共にしてきて、だんだんとお互いがわかり、信頼関係が
しっかりあったからだと思います。
次の冬の目標は念願の「北鎌尾根」です。今までの経験を礎として、これからも一歩一歩
階段を上がっていけたらと思います。