2006/8/27

職場復帰5ヶ月  退院後1年  闘病の記録「骨髄移植編」

 今年の夏は例年になく蒸し暑さを感じました。でも、ここ1ヶ月、バテながらも何とか大過なく過ごすことができました。

 昨年の今頃にやっと骨髄移植からの退院。外出もやっとでした。それに比べると、今年は時々休むことはあっても何とか仕事にでています。

 身体の調子では、まず急に視力が落ちました。もともと、近視・乱視の眼鏡の度数があわないうえに、パソコンの使用による目の疲れ、それに加え、老眼がそろそろ眼鏡を必要としてきたのでしょうか。時間をみて眼科に行く必要があります。
 また、痰がよくでるようになりました。ずっとありましたが、量が多くなりました。感染に気をつけなくてはいけません。
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2006/8/26

ABC療法?  毎日父さん

 イランや北朝鮮の核開発疑惑が新聞をにぎわせています。核兵器をはじめとする大量破壊兵器が世界に拡散しています。単に様々な国家に拡散しているだけでなく、犯罪集団にも渡る危険性も憂慮されます。

 この大量破壊兵器は一般的には原子爆弾・核兵器(Atomic) ,生物兵器(Bio),化学兵器(Chemical) で、よくそれらの頭文字をとってABC兵器といわれます。

 白血病をはじめとする「がん」の診断や治療には、これらのABC兵器開発の技術が応用されています。
 核物質は核医学分野での診断や治療に、放射線は放射線治療に使われています。また、ある種の抗がん剤は化学兵器の神経ガスから発見されました。生物兵器は直接的には関係なさそうですが、生物兵器の細菌・ウイルスの研究から、その感染症の治療薬が開発されたでしょう。いわば、「ABC療法」です。

 こう考えると、科学技術の二面性がわかります。同じ科学技術が人々を苦しめ、死に追いやるものになるのか、人々を助け、救うものになるのかです。

 同じ科学技術が世界に拡散するのであれば、それが人々を苦しめ、死に追いやるものでなく、人々を助け、救うものであって欲しいと思います。そして、大量破壊兵器によって守られる社会ではなく、人々を救い、助ける科学技術によって守られる社会になって欲しいと願わざるをえません。
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2006/8/19

三都物語  毎日父さん

京都では町家を改装し、フレンチ・レストランへ

大阪では古いビルを改装し、ブティックへ

それならば、神戸では・・・ 震災で損壊した教会をカフェへ模様替え

フロインドリーブ  http://www.mars.dti.ne.jp/~ghb1266/index.html
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2006/8/13

「がん患者学T」より  患者学入門

 中公文庫版 「がん患者学T」解説(岸本葉子)に次のような言葉があります。

「当事者ではないのに、手に取ったのは、がんは現代日本における、ひとつの極限状況だと思うからだ。
自国内に戦争も、命、身体の自由を奪う独裁政治のないこの国では死を常に意識しながら生きることは、そうそうない。その中でがんはあらかじめ死と直面する、数少ない状況である。
 そうした状況におかれたとき、人は何を考え、どのように行動するのか。突き詰めればそれは、身体条件が限られていく中、精神はどこまで自由でいることができるのか、という問いである。」
 

 私はここまで、極限状態であった(ある)とは思っていません。また、世界各地で起こっている戦争、内戦、独裁政治、貧困、飢餓などに比べたら、恵まれた国のがん患者です。

 でも、ある程度身体条件が限られていく中、生命や生活について考えざるをえません。限られているからこそ、自由なのかもしれません。
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2006/8/6

選択と決定 4  患者学入門

 しかし、今振り返ると、ここには論理的な飛躍があったことに気づきました。
それは「何々である」という事実判断と「何々しなければならない。何々するほうがよい。」という価値判断はちがうのです。事実判断からそのまま価値判断を導きだせないのです。

 科学哲学や倫理学でよく話題にされますが、科学では事実判断と価値判断は峻別しなければなりません。医学でも同様です。
「骨髄移植の方が生存率が高い」という事実判断から、そのまま「骨髄移植をすべきだ。骨髄移植が望ましい。」という価値判断にはなりません。
 この二つの判断の間には「多少のリスクや苦痛をおってでも生存率の高い方を選択するほうが望ましい。」という価値観の共有が医療者と患者の間で必要です。私の場合、主治医の言葉や態度から、そのことを感じ取ったからこそ、選択と決定できたのです。

 このことを理解した上でないと、所謂インフォームド・コンセントは成立しません。科学的事実だけの説明をもって価値判断のともなう「選択」と「決定」は困難です。価値観のすべてを共有する必要はありませんが、どんな医療が望ましいのか、どんな生活が望ましいのか医療者と患者側は互いに、ある程度理解しあっておく必要があります。 特に、医療者の方からその働きかけをしませんと、患者側からではむずかしいのではないでしょうか。

 医療は医学の社会的適用・応用といわれます。医学において科学的事実追求にあたっての価値判断の排除することは必要ですが、医療という実践的な場では価値判断を行うことが求められます。その価値判断について、医療者だけでなく、患者とともに少しでも共有していく努力が必要だと思います。
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2006/8/6

選択と決定 3  患者学入門

 そして、骨髄移植の選択の場面です。今までの2つの選択は私にはあまり選択の余地がないものでした。急性白血病という病気の性格からくるものです。
骨髄移植は今までの私の闘病での一番の「選択と決定」でした。
 
 その経過については、私のブログのカテゴリー「闘病の記録 骨髄移植編」を参考にしてください。  http://diary.jp.aol.com/tousan/40.html
 
 それと少し重複しますが主治医からの病状説明はおよそ次のようだったと思います。
何回かの化学療法の結果、白血病細胞は顕微鏡上は見あたらない。しかし、より精度の高い遺伝子レベルの検査では陽性である。数年前であれば、完全寛解とするところであるが、最近の研究では、再発するケースは遺伝子レベルの検査で陽性の場合であるといわれている。だから、このまま治療を終えるわけにはいかない。
  
 そして、今後の治療の選択肢として 
@ 骨髄移植。  HLAの一致したドナーが血縁者にいないため、骨髄バンク登録ドナーによる非血縁間造血細胞移植となる。前処置、肺炎をはじめとする合併症、GVHD等による苦痛や危険性がかなりある。また移植が成功したからといって、再発の可能性がないわけではなく、成功率は50〜60%である
 メリットとしては今後の化学療法からは解放される。
 
A 引き続きの化学療法。 遺伝子レベルの検査で陽性である以上、強力な化学療法を続けることとなる。しかし、薬剤耐性があり、いつまで抗がん剤が効くとは限らないし、抗がん剤の毒性の問題がある。今は影響がないが、今後臓器への影響もありうる。

B とりあえず、化学療法を続け、再発時に骨髄移植。 問題点として、再発時に完全寛解にいたるとは限らない。また、化学療法の継続によって臓器の状態によっては移植のリスクも高くなるし、移植自体も困難になることもありうる。

 というものでした。

 私は、白血病の発症当時から治療のある時期まで、骨髄移植については否定的でした。リスクや苦痛も大きく、病気で死ぬのはしかたがないが、その治療では死にたくないと思っていました。
 しかし、結果、骨髄移植を選択しました。その理由は第1に、命の助かる確率が高いからです。あたりまえの事ですが、このことを納得するには時間がかかります。第2には化学療法が自分自身でもそろそろ限界かなと思っていたことです。この時までに5回行いましたが、5回目の治療はかな苦痛で、死をも意識しました。この苦痛な化学治療が果てしなく続くのは様々な点で耐えられないと思いました。第3には主治医が「肺炎では死なない。でも、白血病が悪くなったら死ぬ。」という言葉です。ここに、主治医の思いと決意を感じとったのです。言外に「肺炎なんかで死なせない。しかし、白血病が悪化したら救えない。」という言葉を感じたのです。

 という経過をたどり、私は骨髄移植の「選択」と「決定」をしました。
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2006/8/5

職場復帰4ヶ月 退院後11ヶ月  闘病の記録「骨髄移植編」

 6月下旬から7月中旬まで、比較的元気に過ごせました。
でも、ちょっとしたことで、風邪らしき症状がでて、発熱してしまいました。38度にならないので、受診はしませんでしたが、数日寝込んでしまいました。解熱しても身体のだるさは残り、なかなか動くことができません。仕事も休んでしまいました。

 油断しては駄目です。血液データ上は正常範囲でも、それはドナーの造血細胞の働きによるもので、私自身の免疫力にまだなっていないことを自覚しなければなりません。実際のところ、ドナーの方の力で私は生かされているのです。

 家と職場の往復で、時間が過ぎ、体力的にそれ以上のことはできませんが、それでも日々の生活は充実しているのは確かです。
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