2008/11/25
紅葉 いろいろ お散歩カメラ

秋の陽ざし

心願の色あらばこの照紅葉 渡辺 昭

露出オーバーも悪くない?

紅葉酔いして誰よりも無口なり 伊藤白潮

道端の花も美しい

2008/11/25
須磨離宮公園 お散歩カメラ

携帯でも結構きれいに撮れる

夏はライトアップされます これも携帯

須磨の海 夏の賑わいは遠くに

影と薔薇

2008/11/16
若者の献血離れ深刻 20年で半減 「関心ない」も半数 患者学入門
NIKKEI いきいき健康によりますと
「若者の献血離れに歯止めがかからない。10―20代の献血率は1割に満たず、20年前から半減。厚生労働省の調査では献血未経験の若者の半数が「献血に関心がない」と答えた。献血バスを使った高校での集団献血が減ったことも一因という。少子高齢化の中で将来の血液確保が困難になる懸念が高まっている。」とのことです。
輸血は手術や救急医療では不可欠ですが、白血病治療の際にも必要不可決です。化学療法や骨髄移植の際の支持療法に必要で命の支えでもあります。
私が白血病を発症した時、長男は高校生でした。そんな状況がわかったのか、早速学校で行われた献血に協力しましたが、ヘモグロビン等の値は低く、できなかったようです。その後大学生となり、大学で行われた献血に協力し、その時は献血できたとのことです。
命の支えである輸血。それを可能にする献血。若者の献血離れは白血病患者にとっても他人事ではありません。何とか工夫して増やしてほしいものです。
NIKKEI いきいき健康 関連記事
http://health.nikkei.co.jp/news/top/index.cfm?i=2008111406373h1
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「若者の献血離れに歯止めがかからない。10―20代の献血率は1割に満たず、20年前から半減。厚生労働省の調査では献血未経験の若者の半数が「献血に関心がない」と答えた。献血バスを使った高校での集団献血が減ったことも一因という。少子高齢化の中で将来の血液確保が困難になる懸念が高まっている。」とのことです。
輸血は手術や救急医療では不可欠ですが、白血病治療の際にも必要不可決です。化学療法や骨髄移植の際の支持療法に必要で命の支えでもあります。
私が白血病を発症した時、長男は高校生でした。そんな状況がわかったのか、早速学校で行われた献血に協力しましたが、ヘモグロビン等の値は低く、できなかったようです。その後大学生となり、大学で行われた献血に協力し、その時は献血できたとのことです。
命の支えである輸血。それを可能にする献血。若者の献血離れは白血病患者にとっても他人事ではありません。何とか工夫して増やしてほしいものです。
NIKKEI いきいき健康 関連記事
http://health.nikkei.co.jp/news/top/index.cfm?i=2008111406373h1

2008/11/9
蟹工船、はたらく若者たち、ワーキング・プア 毎日父さん
プロレタリア作家小林多喜二の「蟹工船」がブームになっているそうです。毎日新聞10月26日朝刊の読書世論調査でも約半数の人が「蟹工船」が読まれていることに共感すると答えています。過酷な労働条件で働くワーキング・プアの若者が自らの境遇と重ねて読んでいるという解説をする人もいます。
この話を聞いて後藤正治氏の「はたらく若者たち 1979-81」を思い出しました。ノンフィクション作家の後藤氏のデビューの作品です。1979-81年当時の働く若者たちとともに働き、取材した作品です。
港湾労働者、長距離トラックの運転手、林業者、鉄道線路工夫、炭鉱労働者、鉄鋼労働者などに加え、その当時の人気のシステムエンジニアやDJにもインタビューしています。
そこでの労働は、過酷なものもあり、文字通り地の底で働く「地獄」や、命の危険にさらされる現場もあります。が、「とうにうしなわれた素朴な人と人のつながりを残す稀有な暮らし」があり、「遊びも好きだし仕事もやる。・・まあこれらをゴチャまぜにした“仕事人”というところ」という過酷でありながら、ある種の豊かさと誇りを感じさせます。
しかし、皆がそう思って生きているわけではなく、その時代の言葉でいえば、「シラケ」ており、「やりがい・・・いま、自分にはないですね、なんにも。」とか「べつにやりたいことなどない」「もっぱらパチンコや」と答えている若者もいます。
この当時、私も同様な生活でした。フリーターなどいうかっこいい言葉もなく、ニートという否定的なニュアンスもなく、プータローという多少自嘲気味の言葉で語られました。その後、回り道し、一応定職につけたものの、その当時、日々の生活を送るだけで、将来はどうなるのかという思いはありました。そんな状況は私だけでなく、私の友人の何人かそんな生活を送っていました。
もちろん、学校を卒業し、すぐ就職し、現在もその仕事についている友人もいます。
「蟹工船」の時代との比較は実感できませんが、現在と私たちの時代の「働く若者たち」の80年代とはどこが同じで、どこが違うのでしょうか。科学的分析は偉い先生方に譲るとして、個人的な感覚では、個々人はそんなには変わらず、しかし、私たちの時代には周辺に仲間がいたこと、孤立はしていなかったこと、今は不安定でも将来は何とかなるだろうという希望があったこと、実際に長期にわたる雇用不安はありませんし、「格差社会」や「ワーキング・プア」などいわれず、「一億総中流」といわれていました。
昨今のサブプライムローンを発端する世界同時不況の状況は「蟹工船」の時代の世界恐慌を思わせます。でも、歴史は必ずしも繰り返すわけではありません。
少なくとも世界恐慌のあとの戦争の時代を決して繰りかえしてはなりません。
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この話を聞いて後藤正治氏の「はたらく若者たち 1979-81」を思い出しました。ノンフィクション作家の後藤氏のデビューの作品です。1979-81年当時の働く若者たちとともに働き、取材した作品です。
港湾労働者、長距離トラックの運転手、林業者、鉄道線路工夫、炭鉱労働者、鉄鋼労働者などに加え、その当時の人気のシステムエンジニアやDJにもインタビューしています。
そこでの労働は、過酷なものもあり、文字通り地の底で働く「地獄」や、命の危険にさらされる現場もあります。が、「とうにうしなわれた素朴な人と人のつながりを残す稀有な暮らし」があり、「遊びも好きだし仕事もやる。・・まあこれらをゴチャまぜにした“仕事人”というところ」という過酷でありながら、ある種の豊かさと誇りを感じさせます。
しかし、皆がそう思って生きているわけではなく、その時代の言葉でいえば、「シラケ」ており、「やりがい・・・いま、自分にはないですね、なんにも。」とか「べつにやりたいことなどない」「もっぱらパチンコや」と答えている若者もいます。
この当時、私も同様な生活でした。フリーターなどいうかっこいい言葉もなく、ニートという否定的なニュアンスもなく、プータローという多少自嘲気味の言葉で語られました。その後、回り道し、一応定職につけたものの、その当時、日々の生活を送るだけで、将来はどうなるのかという思いはありました。そんな状況は私だけでなく、私の友人の何人かそんな生活を送っていました。
もちろん、学校を卒業し、すぐ就職し、現在もその仕事についている友人もいます。
「蟹工船」の時代との比較は実感できませんが、現在と私たちの時代の「働く若者たち」の80年代とはどこが同じで、どこが違うのでしょうか。科学的分析は偉い先生方に譲るとして、個人的な感覚では、個々人はそんなには変わらず、しかし、私たちの時代には周辺に仲間がいたこと、孤立はしていなかったこと、今は不安定でも将来は何とかなるだろうという希望があったこと、実際に長期にわたる雇用不安はありませんし、「格差社会」や「ワーキング・プア」などいわれず、「一億総中流」といわれていました。
昨今のサブプライムローンを発端する世界同時不況の状況は「蟹工船」の時代の世界恐慌を思わせます。でも、歴史は必ずしも繰り返すわけではありません。
少なくとも世界恐慌のあとの戦争の時代を決して繰りかえしてはなりません。

2008/11/9
秋風のガーデン? お散歩カメラ

フジテレビ系列で放映されているドラマ「風のガーデン」が静かな人気だそうです。先月、肝臓がんで亡くなられた緒方拳さんの演技が印象的です。
倉本聰さんの脚本もよいのですが、昔の「うちのホンカン」の脚本の方が私は好きです。
日経メディカル 関連記事
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/takenaka/200811/508449.html

2008/11/3
近くの公園にて お散歩カメラ

携帯電話のカメラで撮りましたのでちょっとピンボケ
