2005/3/13

骨髄移植前検査・前処置へ  闘病の記録「化学療法編」

 主治医より、最終同意をして下さったドナーがいるとの報告をうけました。近々専門の医療機関に転院し、骨髄移植をするになりました。移植の前に痔の処置のため入院治療することとなります。

 入院前、妻と近くの山・画廊・近所の公園などを歩きました。病気になり、妻と過ごす時間が増えました。ややもすると、家族を忘れがちな年齢ですが、病気になり、家族との時間の大切さをあらためて感じました。

 友人とも我が家で食事、メールのやり取りをし、母からも手紙が届きます。子供たちの成長を見守ることも忘れずに。石井一男展「女神たち」の画廊で思わず涙します。決して不安は消えないし、命を落とすことの可能性や痛みや苦痛に耐えられるかとの思いはよぎるのですが、自分ひとりの力だけでは回復は無理です。ゆだねるしかありません。そのことから出発するのだと思います。
 
 移植のための処置・検査の入院。まずは痔の手術。外科の執刀医曰く「普通の時ならばしないが、移植なのでしかたがない。でももったいないな」と。主治医の「爆弾を抱えている様なものだから」との説明に納得します。どの辺が妥当なのか正直わからないのですが、わからないなりにも納得、同意できるかどうかか問題かと思います。
 その後、眼科、耳鼻科、歯科、心電図、心エコー、X線撮影、肺機能検査、腹部エコー、シンチグラム、心理テスト等今までした事のない検査をいっぱいしました。
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2005/2/7

4回目の入院   闘病の記録「化学療法編」

 入院連絡日の2月7日は初回入院より1年目の日でした。入院が予定より少し早くなりました、そのためではないでしょうが、生きて帰ってこられないような不安な気分になります。でも、病院に来て、病衣に着がえると不思議と「患者モード」となります。治療するのだという気持ちになります。

 今回は見慣れた患者は少ないです。皆元気に回復したのだろうか?と

 化学療法認定看護師研修実習担当者が付きました。主に抗がん剤の副作用への対応の実習とのことです。ニノシタビン・ミトキサントン・エトポシドの3種1日9時間のコ一ス。この内容で3回目の治療となります。

 副作用の吐き気、嘔吐はあり、食事が入らない時もありました。また、白血球数600以下が2週間以上続きました。でも、以前苦しめた痔の痛みがほとんどありません。実習担当者のアドバイスのおかげかでしょうか。下痢、便秘があまりなかったところに、はやめに皮膚にアズノ一ル軟膏を塗ったり、逆にポステリザン軟膏をあまり前から使わず、入院時から使用したためでしょうか。入院前の体調・粘膜の状態もよかったということでしょうか。とりあえず助かりました。
 
 そのため、CRP(炎症反応)が少し上がったにもかかわらず、発熱もあまりなく、37度台にとどまりました。
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2004/12/15

HLA検査と骨髄移植  闘病の記録「化学療法編」

 退院後、HLA検査の結果がわかりました。家族とは合致せず、主治医より骨髄バンク登録による骨髄移植の説明をうけました。移植が望ましいことはわかっていても躊躇してしまいます。少し結論をのばすことにより、迷うことにより、納得できる回答を出したいと思いました。

 もし、選択と自己決定が大切と言うならば、迷う時間こそ大切だと思います。結論が同じでも、迷ったうえで決めたということが自信につなります。結婚を決めることと同じではないかとも思います。
 
 また骨髄バンクによる骨髄移植についていえばHLAが同じということはどこかで先祖が一緒で、生命がつながっていることを意味します。他者を傷つけてまで生きたいと思いませんが、広い生命のつながりの中で、支えられ、助けられることはうれしい事です。

 化学療法による復活・再生が患者個人の生命カによるものであるとするならば、骨髄バンクによる骨髄移植は生命のつながりや他者の支えによる復活・再生といえます。支え、支えられている生命、生命のつながりを感じていた私にとってふさわしい治療法だと考えました。結局骨髄バンクに登録することになりました。

 移植の決定するにあたり、気がかりだった毋と面会しました。遠方から母を連れてきてくれた姉と共に。姉には感謝です。母とは1年ぶりにあいました。老齢の母には今まで病名はふせていましたが、初めて白血病であること、骨髄移植が必要であることを話しました。話をしたことで私はだいぶ楽な気分となるのですが、母はそれなりにショックではなかったかと思います。気になることもあったでしょうが、あまり質問はしませんでした。問いつめて私を追いつめたくなかったのかもしれません。

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2004/12/8

3回目の入院 維持・強化療法1回目  闘病の記録「化学療法編」

 シタラビン中程度量とミトキシサンロトン(MIT)の治療内容です。 
5日間投与、すぐにデータが下がりはじめ、2週問以上にわたり、白血球数200以下の状態が続きます。痔の痛み・発熱・脱毛・便秘と卞痢等で、消耗し、今までの入院の中で、一番つらく感じました。40度の発熱は意識がただもうろうとするだけであまり苦痛は感じないのですが、発熱の原因となる感染症、炎症の苦痛が大変です。ほどなく準クリ一ンルームに入室。なじみの患者さんともお別れです。

 免疫力・体力・心身機能の低下と準クリ一ンルームの孤独な環境が死への親和性を高めます。「死ぬほうが楽だ。この苦痛が続くならば死んだ方がいい」という思いがかけめぐります。何が何でも生きたいという思いはなくなり、死後のイメージを感じます。死後しばらくし、私・個の意識は残るものの、より大きなエネルギーの束の中に、収斂し、そして、新しいエネルギーの源となる。宇宙の一員となっていく。そういう点では、死は恐怖でなく、むしろ肉体的苦痛(それは生きている証でありますが)の方が苦しく、つらい。そんなイメージを感じました。 
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2004/8/23

退院と職場復帰  闘病の記録「化学療法編」

 骨髄穿刺(マルク)の結果、白血病細胞は顕徴鏡上なくなり正常だが、遺伝子レベルでは陽性、微少病変細胞は残っているとの事でした。今回は次の治療まで少し時間があくのでそれまで職場復帰することにしました。

 職場では来客の相手・簡単な事務・会議の出席・事務引きつぎなど。それなりに納得できたと思います。とともに、何ともいえぬここちよい疲労感におそわれました。このまま死んでもいいかなとも思える疲労感です。満足のいく疲労です。仕事ではいままで味わったことのない満足な感じでした。しかし半ば以降少し息切れ、めまいにおそわれます。データ上貧血でありませんが、白血球減があり、発病時に似た感じとなります。何か状態が悪くなっていく感じがありました。

 外来の診察で主治医より微少病変細胞が残っている以上、骨髄移植が望ましいとの説明をうけました。正直なところ骨髄移植は避けたい、リスクも大きく、苦痛も大きく、他人に自分の免疫をゆだねるということに抵抗がありました。自分の身体でなくなるという感覚です。また移植医療自体に、どうしても人を傷つけて、自分が生き残るという感じがありました。
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2004/7/11

2回目の入院  闘病の記録「化学療法編」

 今回はある程度体調を整えての入院です。最初の入院は救急入院でとにかくわけも分からずの入院でしたが、今回は約一ヶ月の化学療法の予定です。準備万端というわけではないものの、余裕のある入院といってよいでしょう。治療のメド、その経過、入院生活の工夫などある程度わかっていました。慣れてきたというべきでしょうか。

 また職員の方や患者さんも以前入院していた時の顔ぶれも多いようです。部屋は最初に一週間入院した部屋でしたが、前回退院時のメンバーといっしょでした。同じ患者が繰り返し入院しているということでしょうか。しかも、急性リンパ性白血病の場合6ケ月程度の入院は必要で、メンバーがある程度固定されてしまいます。同じメンバーで、それほど多くない人が繰り返し入院しているのが実情でしょうか。

 化学療法の内容は、地固め1回目とほぼ同じ、連日9時間の抗がん剤の点摘です。ニノシタビン・ミトキサントロン・エトポシド の3種です。しかも、ナディア (白血球数が最低になる期間)が2週間と比較的長く、ダメージが大きかった。食欲なく、痔の痛みは強く、寝たままの状態が続き、寝返りも打てないときもありました。また脱毛も激しく、数日で一気に抜けました。手足の筋力低下も少し強いようです。

 また、同室の患者さんが急変しました。昼間、売店や院内を歩き、年老いた患者さんに声を掛けていた元気で屈強そうな患者さんだったのですが、夜中にトイレで倒れ瀕死の状態で重症個室へ行かれました。元気そうな人が急変するというのが血液がんの怖さです。そんな患者さんの変化を他の患者が見ていく病棟でもあります。患者さんに動揺がないといったら嘘になります。でも、病棟の雰囲気はそれを緩和してくれるのも事実でしょう。最初の入院時に感じた落ちついた穏やかな雰囲気が病棟をおおっています。

 
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2004/5/10


 初回の入院はほぼ3ヶ月でした。一旦退院すると身のまわりのことが支障ないレベルになるまでにそれほど日数は要しませんでした。でも、半日単位の外出−社会生活がなかなかできない状況が続きます。社会生活をする基礎体力のようなものができていません。多少のもどかしさ・焦りを感じます。

 また病気になった際、今までの問題があたかも解決したかのような錯覚におそわれましたが、今まで抱えていた問題は解決されておらず、引き続きあるということに気づきました。ただ、病気ということで多少は逃げることはできます。現実問題として自分には解決できないのですから。
 
 洗濯・掃除などの家事を少しやり、病院に行き、図書館に行き、買い物をし、職場に顔を出し、友人に会い、徐々に拡大していきます。入院中は2週間ぐらいで職場復帰できる体力の自信がつくと思っていましたが、それなりに自信がつくのは1ヶ月半以上かかりました。3ケ月の入院で、1カ月半の自宅療養、病気・治療によってちがうでしょうが、一般論として入院期間の半分ぐらいは、自宅療養は必要と考えた方がよいと思います。

 病欠のまま、3日ほど職場に顔を出しました。職場に忘れられるのは怖いですから。実際はもう少し行けたと思いますが、次の入院治療が予定されており、病欠・休職という形となりました。
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2004/4/12

地固め第2クール  闘病の記録「化学療法編」

 地固め第2クールになると退院後のことが具体的にイメージされます。退院後のリ八ビリテーションを考える余裕ができます。治療内容はシタラビン大量療法をおこないました。

 発熱がありましたが、採血・点摘という苦痛が待っているので、とりあえず、様子をみるという余裕もうまれました。採血、点摘は嫌だという感情が渦巻きます。とりあえず生きておればいい、なるべく苦痛を避けたいという気持ちが働くのです。幸い発熱は長引かず、すぐに解熱。白血球もすぐにもどりました。

 *「シタラビン」とは商品名はキロサイト。急性白血病の治療に不可欠な抗がん剤です。大量療法は標準量の40から50倍に増量した薬剤を投与します。再発例や難治性の場合使用することが多いようで、人によってはかなりの副作用がでることがあります。幸い私は事前の予防対策が功を奏したのかほとんど副作用がなくすみました。
 
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2004/4/11

初めての外泊  闘病の記録「化学療法編」

 初回外泊。入院したのは真冬でしたが、外泊時は桜の季節に変わっていました。昼食はコロッケ、カツなど味の濃いものをカロリーを気にせず外食することにしました。集中力がないので、簡単に読める本など入院中の生活を潤すものも買いました。

 外泊期間は短く感じ、帰院するときの気持ちの暗いこと。でも、病院に戻り病衣に着替えると患者モードとなり、不思議と治療するのだという気持ちにもどります。

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2004/3/10

地固め第一クール  闘病の記録「化学療法編」

 地固め第一クールは比較的苦しく、寛解導入にないしんどさがありました。また、一般の病室にもどった戸惑いもあり、些細なことですが、慣れるまでには時間がかります。

 だるさ・胃の重さ・筋肉の重さなどにくわえ、痔の痛み、その処置にうんざりし、また点滴の痛みや点滴もれ・点滴つまり等のため、苦痛で「天敵」となってしまいました。こんなときは生死の問題よりも目の前のこと、例えば外泊で何を食べようか、何をしようかなどを考えてしまい、あまりむずかしいことは考えられないものです。
 
 でも、夜眠れない時には変わります。そんな時、無力感におそわれたとき、「祈ること」を考えました。祈ることによる治療効果はあるといわれていますが、自分の知らぬところで「祈られること」による治療効果もあるという研究もあるようです。祈りは単に自分のためにするのでなく他者のために祈る、祈りによって人は生かされると感じました。

 なにもできないと思っていても、たとえ寝たきりであっても祈ることができるし、祈られている。人は決してどんな時でも無力でない、存在意味がある。そんなことを考えました。
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