キャ・・・・・・・・。
物凄く暑かったことだけは覚えている。
誕生日を祝った翌日は、せっせとまたいつものナイト。
いつものナイト、のはずだったのにそうではなくなってしまった。
こういう所、しかも新宿中央公園の真横にいると、毎年と言っていいほど遭遇する事件がある。
今回は七輪を使ったものだった。
50半ばの男性。
それ以上の詳細を知ることも出来たのだが、気分ではなかった。
僕の親父が今年57歳。
今回の男性と同じような年齢だ。
48歳で最愛の妻を亡くした親父。
一度は生きる気力さえ失った親父。
何を思い、何を支えに今まで生きてきたのか。
人が自らの命を絶とうとするエネルギーはいかほどのものなのか。
ク・・・。
時間がない、なさ過ぎる。
いつからこんなにせわしい生活を送るようになってしまったのだろうか。
肉体ばかり時間の経過に流されていく。
気づけば僕も家庭をもち50を過ぎているのだろう。
その時、希望に満ち溢れた人生を送ることが出来ているだろうか。
あと20年。
そうか、もしかしたら人生の半分くらい生きてきちゃったかもしれないんだな。
今ばっかり見ていると未来が見えなくなる。
人の足元ばかり見てないで明るい青空を仰ぎ見ながらいつまでも憧れの心を忘れないでいられたらと思う。
TVをつければ、面識のない他人の死が世界中で溢れ返っている時代。
間近でリアルに他人であれ肉親や知人であれ、死にふれ、たった一つの命をしっかり見つめることができれば、無意味な虐殺や殺戮などきっと起こるはずもないのだろうに。
でも、そんな悲しい人間の人格を形成しているのにも、戦後のメディアというのは一役買ってしまっているのかもしれない。
メディアも結局は人の心が生み出すもの。
大衆という無差別な相手に対して極めて慎重になるに越したことはないが、そういった事実を知らされたときに、知らされてしまった人の周りにいる身近な人たちがどう対応するかによっても大きな違いがあるのだろう。
生物というのは基本的には弱肉強食の世界で成り立っている。
どれだけ科学が進歩しても、多くの哲学者が必死に理想を掲げても、宗教家が人として生きる道を懸命に説いたとしても、未だに進化しない人類の根源。
いつの時代も、私利私欲の為に理想を掲げ、独特の哲学とその時代の科学をもって他人を食い散らかす。
ニュースで国内外の社会情勢を見るにつけ、なんだか、もう止まらないところに来てしまっているのではないかと思えてくる。
何をすればいいのか、どうすればいいのか?
結局、個人でできることなどたかが知れており、組織だったものが必要となってくる。
同じ思い同じ目的をもった人々の集団というのは、物凄い力を発揮するものだ。
世の中を変えたいと思うなら仲間を捜し求め何かを始めなくてはいけないのだろうな。
今の僕にできること。
輝くこと。

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