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雨にも負けず  詩吟

宮沢賢治の「雨にも負けず 風にも負けず・・・」の詩は誰でも何度か朗誦し

聞いた事があり、知っています。

この詩を韻読調に読み若干節を付けて詩吟界で初めて朗誦したのが「渡辺龍神先生

我々の所属する社団法人日本吟道学院の創始者ですが、その後も歌い継がれ

清風会の詩吟教室は今週この宮沢賢治の「雨にも負けず」を3教室で朗誦した。

「雨にも負けず、風にも負けず、

雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、

決して怒らず、いつも静かに笑っている。

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れずに、よく見聞きし分かり、

そして怒らず 野原の松の林の陰の小さな藁ぶきの小屋にいて、

東に病気の子どもあれば、行って看病してやり、

西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、

南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいと言い、

北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、

日照りのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、

みんなにでくのぼうと呼ばれ、褒められもせず、

苦にもされず そういう者に私はなりたい」


クリックすると元のサイズで表示します花巻市にある同詩碑

童話作家として賢治の作品は「風の又三郎」や「銀河鉄道」等沢山残されているが

「この雨にも負けず」の詩文は賢治の没後1934年以降に遺稿として出たもの。

東北砕石工場の嘱託を務めていた賢治が壁材のセールスに上京して再び病に倒れ、

花巻の実家に戻って闘病中だった1931年秋に使用していた黒い手帳に

記されていたものであたらしい。

この東北砕石工場と言うのが岩手県東山町松川の石灰採掘工場なのだが、

実は小生はこの松川村で小学校時代の6年間の少年時代を送っているのだ。

まさに宮沢賢治の「雨にも負けず」を書いた地方に賢治が没した20年後に居たのだ。

日本の原風景のような長閑な「山河豊かな自然の恵みのある地」で育ててもらった訳です。

しかしこの詩は賢治そのものではなく、実在のモデルが居たらしいのです。

           クリックすると元のサイズで表示します

斉藤宗次郎さんという賢治より20年先輩のキリスト信奉者だったそうです。

宗次郎さんはお寺の子として生まれたそうですが、小学校の教員の頃に

キリストの洗礼を受けクリスチャンとなったそうで、

当時の世相は耶蘇教(ヤソ)と言われなき迫害を受けた時代で

耶蘇の教師は要らないとクビになり

毎朝3時に起きて新聞配達を職業としながら、

詩文にあるような暮らし振りであったそうですが

キリストのように自らへの受難に耐え、博愛周囲に及ぼすその生き方は

賢治は結びの詩文にあるように

「そういう者に私はなりたい」と斉藤宗次郎さんを讃えている。

詩吟をやっているとこんな詩に出会って、

詩人の心や時代の背景を調べ、その時その時に感じる人それぞれの

自身の生き方に重ねたり詩人の心に入ってゆけること

声を出して朗誦することによって自身の「気」が高まってゆくことが嬉しいことだ。

クリックすると元のサイズで表示します

ところで今日新潟のお得意さまでお米を作っている社長さんが見えて

作柄やトンボの事を聞くと

例年なら今頃田圃を埋め尽くさんばかりのトンボが全く居ないのだそうだ。

幼虫から返る時期から暑くて生まれなかったのではないかと言っていた。

猛暑の所為でお米の出来高も一割減で、お米の粒も若干小振りで

品質も落とされ、価格も落とされトリプル安だそうだ。

生物・植物も生きてゆくのが精一杯の猛暑だったと振り返っていた。




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