2008/11/30 小春日和 海辺の四季

小春の日曜日、のんびり犬と散歩。
(梅もどき)


(柚子もたわわ)

小春の陽気に返り花

(夏の姫女苑)


熟れトマトが抜かれたまま

近所には古くから続く大きな長屋門のお屋敷が。


2008/11/29 冬の虹 海辺の四季

小春日の午後俄かに曇り空となり大粒の雨が3,4分降った後に現れた「冬の虹」


美しい虹はほんの5,6分で消えてしまいましたが、幻想的な虹が見えラッキーでした。

シャワーを浴びた後の紅葉は日を返して鮮やかでした。


真っ赤な入り日

暖かい日々にサツキツツジが咲き始めてしまいました。



2008/11/28 ボストン美術館浮世絵名品展 日記

江戸東京博物館のボストン美術館浮世絵名品展を見に行ってきました。



10月から両国国技館横の江戸東京博物館で開かれており明後日日曜日が最終だそうです、。
延べ12万人位の入場者だそうですが今日も平日なのに沢山の人出。


館内では「里見浩太郎:さんの音声ガイドのイアホーンで浮世絵の説明を聞きながら。

ボストン美術館には5万点にのぼる浮世絵版画と、多くの版本・肉筆画が
収蔵されているそうです。
ボストン美術館浮世絵名品展のHP
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2008/1007/200810.html

2008/11/27 爆破騒ぎ(男子ゴルフ) エッセイ

ゴルフトーナメント会場に爆破予告があった黒潮CC。
初日は警備の中無事に終わったようだ。

注目の石川遼君は初日2アンダーの17位とまずまずのスタート。

首位は小田孔明が6アンダー、諸葛孔明から名をとって親が命名したという
前から注目している選手。
それにしても元厚生次官を襲った犯人や、爆弾騒ぎの犯人や何やら動機が変だなあ。
インドの爆破テロ事件やら世相が良くないですね。
今や石川遼君が日本の「希望の星」のようだ。

2008/11/26 梅擬 (うめもどき) 四季の草花

穏やかな小春日和。「梅もどき」が真っ赤な実を付けている。

葉や枝ぶりが梅に似ており叉実のつき方も小さな梅の実のように 見えることから
「梅もどき」になった。 晩秋から初冬にかけて赤い実をつける

もちのき科 西洋名をヒイラギモチ 花言葉は知恵

散歩道の畑には「菊」が括られてなお香りを放っている



2008/11/25 浅草奥山まつり エッセイ

浅草観音様の裏手で「奥山まつり」が今日が最終日。
奥山見世物小屋


昔浅草観音様の裏手は奥山と呼ばれたらしい。
見世物小屋や大道芸が盛んでやがて浅草六区に移ったらしいが、当時を再現したお祭り。


昭和の始めのお店が、職人さん達がお店を出して実演してくれている。



浅草寺仲見世には今でもこのようなお店が沢山並んで賑わっている。

射的

古きよき時代の浅草がまだまだ残っていた。

2008/11/24 一将功成って 漢詩

世界のどこかに戦争、紛争は絶えない。
景気の悪化による失業などで生活苦の紛争も絶えない。

中国の唐の末期の頃の詩人「曹松」が 「已亥の歳」(897年)と題する詩文に
「一將 功 成って 万骨 枯る」と当時の世相を叙しているが、
1100年以上経た今の世相にも当てはまるようだ。
已亥の歳 曹松
沢國(たくこく)の江山(こうざん) 戰圖(せんと)に入る,
生民 何の計あってか 樵蘇(しょうそ)を楽しまん。
君に憑(よ)って話す莫(な)かれ 封侯(ほうこう)の事
一將 功 成って 万骨 枯る。

詩の心
「已亥の歳」とは(唐末の黄巣の乱(875年〜84年)の最中
水の豊な長江下流の民衆は黄巣の乱でひどい戦禍を受けた。民はぎりぎりの暮らし(樵蘇)
のなか、どのように暮したらいいのか。君よ戦争で手柄を立てたなら、大名に取り立てるなどと(封侯の事)言わないでくれ。
君の功績は多くの兵卒の犠牲の上に成り立っているのだから。

曹松(晩唐の詩人)の後の中国の紛争の歴史、世界各地での戦争、宗教戦争、
最近ではイラク戦争、果ては金融立国の成功と挫折の陽と陰による世界的不況など
いつの世にも「一將 功 成って 万骨 枯る」は意味深長な名言に響きます。

現在の列国の指導者、北朝鮮は元より、最強の国、日本国のリーダー、
果ては企業のリーダーなど「万骨枯る」の図になってはいないだろうか。
しかしながらどんな時代にも民衆は楽しみを希望を持って子孫に繋いでいるものだ。
(写真は全てロイター)

花鳥風月はどんな時代にも誰にでも平等に変らずに廻り、音楽、文化、芸術などの
人の心には兵卒も将軍もない。


2008/11/23 日曜日の散歩道 海辺の四季

朝晩の寒さで我が家の紅葉も大分紅くなってきました。

タラの芽のタラの木も棘の木です。

川土手のススキとタンポポ。


午後はTV観戦で石川遼君の応援。最終ホールでバーディを決め一打差の2位。

首位マークセンを待ったがが惜しくも2位。
獲得賞金は9973万に達した進化する恐るべき17歳


2008/11/22 波の伊八(睦沢町歴史民族博物館) 海辺の四季

茂原市の南睦沢町の歴史民族博物館に出掛けて来ました。

江戸後期に房総地域で活躍した彫り物師「波の伊八」の展示がありました。

伊八の波の彫り物は伊八から7年後に世に出た葛飾北斎との接点があり
北斎の「富嶽三十六景」などに影響を与えていると言われる。

睦沢町の歴史民族博物館には当地の昔の暮らし振りなどが。


睦沢町の田園風景と博物館にはレトロな思いが蘇ります。
波の伊八館HP
http://ihachi.at.infoseek.co.jp/

2008/11/21 浅草寺の午後 エッセイ

朝は初霜が降りてましたが、昼頃は17度ほどのお天気。
浅草寺へ足を伸ばしました。


本堂落慶記念行事で一両小判を300円で両替して、仲見世などの買い物にこの小判が
使える。110円のよもぎ団子を小判で買って190円のお釣り。団子を頬張りながら仲見世を
歩くのが浅草流。


山形の藁2.5キロで8百人が編んだという大草鞋が仁王門に。

境内の裏手には江戸の風物詩、江戸切子やべっこふ屋

なでぼとけ



2008/11/20 金剛峯寺(こんごうぶじ)高野山 旅行

弘法大師空海の金剛峯寺(こんごうぶじ)高野山を参詣してきました
金剛峯寺(こんごうぶじ)


写真撮影の禁止の決まりがあって霊場の写真がないのが残念ですが、弘法大師空海が
嵯峨天皇から高野山の地を賜ったのは弘仁7年(816年)、
空海が若い時に修行したことのあるこの山に真言密教の道場を
設立することを天皇に願い出たというのが史実とされている。


御廟橋を渡ると空海入定(にゅうじょう)の地とされる奥の院である。
一番奥には空海が今も瞑想されている御廟があり、
奥の院は運良くご開帳で参拝が出来ました。
空海は62歳の時、座禅を組み、手には大日如来の印を組んだまま、
永遠の悟りの世界に入り、今も高野山奥の院で生きていると信じられている。
「死去」と言わず「入定」というのはそのためである
宿坊に泊まる


初めて泊まった宿坊では朝6時過ぎから住職のお勤めを一緒に同席させて頂いた。
金剛峯寺(こんごうぶじ)高野山のHP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E5%B3%AF%E5%AF%BA#.E5.BC.98.E6.B3.95.E5.A4.A7.E5.B8.AB.E7.A9.BA.E6.B5.B7

2008/11/19 奈良長谷寺の紅葉 旅行

奈良の長谷寺を参拝してきました。


長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定される古刹で紅葉、牡丹など花の寺としても
知られている。


長谷寺は奈良県桜井市にある真言宗豊山派(ぶざんは)総本山の寺院。
ご開帳の幸運に恵まれた本尊は十一面観音、西国三十三箇所観音霊場の第八番札所であり、
日本でも有数の観音霊場として知られる。
登廊


牡丹の4月、5月は見事だそうです。
奈良の大和路の田園風景、まさに日本の原風景でした。



2008/11/18 京都清水寺 旅行

七五三で賑わう15日紅葉の京都「清水の舞台」へ


清水寺は西国三十三箇所観音霊場の第16番札所です。
清水寺本堂本尊の千手観音立像は33年に1度開扉の秘仏で今回運良くご開帳の日にあたり、
ロウソクを立てて参拝して来ました。


清水さんの紅葉も見頃となっていましたが、JRのポスターのようには?

思い切って物事を決断することを「清水の舞台から飛び降りるつもりで」と言いいますが、清水寺の古文書調査によれば、実際に飛び降りた人が1694年から1864年の間に234件[上り、生存率は85パーセントとか。

清水の三つの名水

清水寺のHP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%AF%BA

2008/11/18 二の酉 エッセイ

17日は浅草鳳神社の「二の酉」
会社の引けた7時過ぎは大変な人手でした。


鳳神社手前から神社入口まで行列に並ぶ事小一時間。
商売繁盛の縁起物に預かる事も大変です。


2008/11/17 京都御所 旅行

京都御所の秋の一般公開に合わせて15日御所を参拝してきました。

重陽の頃の昌泰3年9月10日、醍醐天皇はここで右大臣菅原道真他居並ぶ重鎮に
「愁思」の題で詩を作っていたのだ。

道真の作った愁思の詩は天皇の御感に入って、御召しの御衣を脱ぎ道真に賜ったという。

平安貴族と女官達の雅な暮らし振りが再現されいる。

紫宸殿(ししんでん)は大正、昭和天皇の即位式の行われた所。

紫宸殿の前庭には有名な「さくら」、「たちばな」が左右に植えられてある

一般公開の度にテーマを変えて当時の生活振りを紹介しているのも行くたびの楽しみ。
前回の春に行った時には漢詩を吟じる「吟詠の間」などが紹介されていた。
(囲碁の間)



中庭の紅葉も見頃を迎えていた。
小流れの小川を廻らせ「曲水の宴」を催したり、蹴鞠の庭(けまり)等がある。

外庭から御所の外壁をむ

京都御所HP(宮内庁)
http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/kyoto.html
