にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村 にほんブログ村 経済ブログ 世界経済へ
にほんブログ村 にほんブログ村 ゴルフブログ ゴルフ情報へ
にほんブログ村
2009/4/30  遼君好スタート  スポーツ

クリックすると元のサイズで表示します

先週は予選落ちをし悔しい思いをした石川遼君(17歳)の中日クラウンズ杯の

前日プロアマ戦でリラックスの遼君、初日は4アンダー4位と好スタート。

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

マスターズを体験し、世界のレベルに自分の技術と実力の大きな差を感じた

遼君、優勝夜好成績をファンは求めてないので、4日間通しての爽やかなプレーを

みんなが期待しているので伸び伸びとプレーして欲しいもの。

          クリックすると元のサイズで表示します

      偶成(勧学)  朱熹

  少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んず可からず

  未だ覚めず池塘春草の夢 階前の梧葉己に秋声


中国の詩人朱熹のよく知られた「少年老い易く学成り難し・・・」

偶成とはたまたま出来た詩という意味で、これは勧学の詩です

少しの暇を惜しんで勉学に励むべしと・・。池の畔の春草もいつの間にか

青桐の葉の秋の声を聞くように月日のたつのは早いもの誠にうかうかしては

いられません。

遼君には、ゴルフだけでなく一般教養・常識を怠らず積んで

王道を歩んで欲しいものです。

日本の希望の星だけに大きく育って欲しいと世の叔父さん叔母さん達が

暖かく応援しており、同年代や子供達の夢と憧れを大きく開いて欲しいものです。

クリックすると元のサイズで表示します

2009/4/29  早苗田の向うは海  海辺の四季

クリックすると元のサイズで表示します

若葉も深まってて青葉となってきました。

我が家の庭のオオムラサキツツジも色合いを深め見頃となってきました

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

お天気の良い祭日、散歩の足を延して他の家の庭のツツジを見物するのも楽しい。

田舎の家々はそれぞれに庭が広く樹木ツツジなどが立派です。

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します近所のツツジ屋敷の今

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

田圃の隅に置く余り苗、根付きの良くない処を手植えして保管している光景を

見かけます。

  * 余り苗 手植ゑしてをり 夫婦笠


          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

牧羊犬のハナは相変わらずの元気もの、畦道の草を食みながら、しかし蛇は

苦手らしく、尻尾をたれて後ずさりをしている。

  * くちなはに 草食む犬の 竦みけり

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

両側の早苗田の国道を東のほう進めば九十九里の海

叔父さん達がエンジングライダーで、若者がカイトサーフィンで、浜辺を散歩する

夫婦など様々に春の海辺を楽しんでいる

  *早苗田の 道九十九里の 海に出る

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

2009/4/28  足るを知る(吾唯足知)  エッセイ

クリックすると元のサイズで表示します早苗田の中に父祖の墓

早苗田に風渡る爽やかな季節です。

景気は消費、雇用と閉塞感漂いますが、

「吾唯足知(われただたるをしる)」
の心境の昨今、

「足るを知る者は貧しいといえども心は富んでいる、

足るを知らぬ者は富めりといえども心は貧しい」とある、禅の教えを噛みしめる。

戦後の右肩上がりの経済に慣れ成長至上主義の商売感覚にもライフスタイルにも

「足るを知る」経営感覚、生き方の修正が求められているように思う。

また視点を米国に向けると、我々は、第2次世界大戦後の1900年代後半は

経済・流行などアメリカの動向を研究して、トレンドを掴むことが、

商売でも暮らしのスタイルでも米国に憧れ、それを真似た時代が

過去のものとなってきたようにおもわれます。

米国の自動車産業のトップ・労働組合・債権者の自己利益主張中心のもたつき

ウオール街、金融機関の税金で救われた会社のトップが法外な報酬を懐に入れて

恥じない姿には米国の世論のみならず、世界中が憤慨した。

米国に憧れた時代は遥か昔日の思いがするのは少人数ではないだろう。

キリギリス経済に走った一部米国人の価値観、暮らし方に今、

「吾唯足知(われただたるをしる)」や謙譲の美徳という東洋の思想が必要では。

などと連休を前に自戒を込め思う次第です。

金太郎飴を商う下町 クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します小間物商う下町

  *金太郎飴 夢路の絵春 惜しみけり

  *焼かりんたふ 笊よりお釣 日の永し


「足るを知る」とは欲望を自制し、分をわきまえることの大切さを説いている。

お金が幾らあっても欲望にキリの無い人は、何時もお金が足りなく欲しくて

欲しくてしようがないが、10万で生活の足り充足する生き方をする人も多い。

出世欲に限りなく何時も競争に身をすり減らしストレスを貯める人もあれば、

田畑を耕しお日様と共に寝起きし、叉金太郎飴や煎餅を焼き平穏に暮らす人もいる。

「足るを知る者は富む」と言うが、この度のサブプライムローンから発生した

世界不況の悪玉の元祖は「足るを知る」を知らぬ一部強欲な人達とその仕組みが

引き起こしたものかもしれない。

アリストテレスは「幸福はみずから足れりとする人のものである」と言っている。

願わくは「足るを知る」生き方をしたいものです。

         クリックすると元のサイズで表示します

畑の恵みのサヤエンドー、切干大根、筍ご飯、トマト。

豚インフルエンザで騒がれているけど豚肉は火を通せば100l安全で旨い。

生活習慣病と程遠い食生活は「足るを知れば」極上にして充足な暮らしと思う。

クリックすると元のサイズで表示します

  *日永かな 隣の畑 見て廻る

  *つくばひに 口の四文字 風薫る

2009/4/27  根津神社のツツジ  四季の草花

クリックすると元のサイズで表示します

根津神社のツツジを見に、会社から不忍池の傍の不忍通りをゆっくり歩いて

40分位で下町情緒の残るツツジ名所で有名な根津神社へ。

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますカラフネ(黒ツツジ)

2000坪の敷地に約50種3000株のツツジが植えられているそうですが、

残念ながらツツジのピークは過ぎていましたが、大勢の人です。

   
          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますミヤマキリシマ

「根津権現」とも呼ばれている。日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社。

境内はつつじの名所として知られ、近隣には森鴎外や夏目漱石といった日本を代表する

文豪が近辺に住居を構えていたこともあり、これら文豪に因んだ旧跡も残されている。

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

紅い鳥居は幾つあるのと巫女に問えば数えたことが無いのでと・・・・。

奉納の小さい鳥居を潜りながら数えると134ほどの思い思いの言葉の刻まれた鳥居が。

   *春深し 小さき鳥居の 連なれり

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します ハナクルマ

昨日は埼玉川口市で詩吟の全国大会が行われ、清風会の合吟「諸生と月を見る」他

個人的には自作の俳句二題を2500名の会場で吟詠をさせて頂いた余韻がまだ残っている

  * 躑躅燃ゆ 舞台の余韻 未だあり

クリックすると元のサイズで表示します鮮やかなツクシベニ

根津神社HP

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE

クリックすると元のサイズで表示します

2009/4/25  若葉雨  日記

クリックすると元のサイズで表示します

昨夜は寒くて急遽ストーブを取り出して、「おでん」の夕飯になりましたが

夕べからの雨で家の前の楢林の若葉もすっかり色濃くなりました。

岩手の田舎から義父が一人で泊りに来ました。

90歳を過ぎても東京駅までの出迎えを断り大網駅まで一人で来ます。

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

  *若葉雨 林の中に 目覚めけり
 
  *新茶酌む 父の背筋の 真直ぐに

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

先日アップした近所の躑躅屋敷も雨の中一層鮮やかな赤、ピンク、白を競ってます。

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

  何事も 移りのみゆく 世の中に

         花は昔の 花に変らず  良寛 


花は無心に色香を競ってくれます。

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

早苗田も雨の中しっかりと根を張って雨の早苗田風景も風情があります。

川もかなり増水しています

    
      クリックすると元のサイズで表示します

  *舞台衣装 調へ新茶 味はへり

クリックすると元のサイズで表示します
タグ: 新茶 躑躅 早苗田

2009/4/24  詩吟仲間のゴルフコンペ  エッセイ

クリックすると元のサイズで表示します

22日(水)は清風会の13回ゴルフコンペ、前日の雨から心配されたが、爽やかな

初夏の陽気で、お互いに日頃の行いを讃えながらの、のど自慢の詩吟仲間のコンペ。

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

千葉の野田醤油の近くの紫CCは新緑の緑が眩しく、雉が沢山見かけます。

  *雉二声 心素直に 構へけり

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

八重桜を見ていて昨年の桜の頃に行った人をふと思い出す。

  *八重桜 一言居士を 通し逝


27名の詩吟同好会の19番ホールは当然詩吟発表会となり、日頃鍛えた吟を披露

コンペの参加者の最高年齢は90歳、100台で歩いて回り吟声朗々、かくありたき手本。

  *爽やかに 詩吟談議と なりにけり

        クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
九十九里地方は田植が進み一面早苗田となりました。

田圃の中にご先祖様のお墓が有り、その中での田植もこの辺の風物詩です

   *早苗田に 囲まれてゐる 父祖の墓


2009/4/21  諸葛孔明  エッセイ

クリックすると元のサイズで表示します

先週のゴルフはマスターズ帰りの期待の石川遼君は時差ぼけとパットに苦しみ37位に

終ったがプレーオフを制して優勝したのは、小田孔明

三国志の諸葛孔明から名を頂戴したというこれまた3年前から注目していた逸材。

          クリックすると元のサイズで表示します

元々は飛ばし屋で定評があったが大きい身体に細く小さい目が何とも三国志の英雄と

対比して面白い。子供の昔夢中で読んだ三国志の諸葛孔明を思い出してみたい。

クリックすると元のサイズで表示します

諸葛 亮(しょかつ りょう、181年 - 234年)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・

武将・軍略家・発明家。字は孔明(こうめい)。
蜀漢の建国者である劉備玄徳の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐し

伏龍、臥龍とも呼ばれる。

         クリックすると元のサイズで表示します

 三顧の礼

諸葛亮は晴耕雨読の毎日を送っていたが、友人の徐庶が劉備の下に出入りして、

諸葛亮のことを劉備に話した。

人材を求める劉備は徐庶に諸葛亮を連れてきてくれるように頼んだが、

徐庶は「諸葛亮は私が呼んだくらいで来るような人物ではない」と言ったため、

劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、やっと幕下に迎えることができた。

これが有名な「三顧の礼」である

三顧の礼を尽くして人材を迎え入れて成功した企業は歴史に数多ある。

クリックすると元のサイズで表示します

泣いて馬謖を切る

蜀(蜀漢)の武将・馬謖(ばしょく)が、街亭の戦いで諸葛亮の指示に背いて

敗戦を招いた。この責任をとり馬謖は処刑されることになるが、

馬謖は諸葛亮の愛弟子であり、他の武将の一部からも「馬謖ほどの有能な将を」と

慰留の声があがった。しかし諸葛亮は「軍律の遵守が最優先」と涙を流しながらも

処刑に踏み切った。

諸葛亮は「馬謖のために涙を流した」と書かれている。

つまり、軍律を守る為に愛弟子を処刑することになり、

彼のことを思って諸葛亮は泣いたとされている

これが故事成語の「泣いて馬謖を切る」の語源とされている。

         クリックすると元のサイズで表示します

  天下三分の計

諸葛亮が劉備に説いた戦略。日本では一般的に天下三分の計(てんかさんぶんのけい)

として知られているが、「天下三分の計」すなわち「三勢力が鼎立し均衡を保つ戦略」

を示す場合、この戦略は諸葛亮独自による発想ではなく、

言葉の用法として注意が必要である。諸葛亮の「天下三分の計」は

「天下を三分して均衡を保つ」ことが目的ではなく、あくまでも「天下を統一する」

ことを目的とした戦略であって三分すること自体はその手段にすぎない。

後漢末期より前の楚漢戦争の時代に説客蒯通が漢の将軍で斉王に即位した韓信に

楚、漢、斉による天下三分の計を提案したり、

現代でも国家レベル、企業レベルなどにおいて三勢力が拮抗し均衡を保つ手法を、

隆中策の故事に倣い「天下三分の計」と表現することがある。

さてさて、小田孔明君、三国志の英雄諸葛孔明のように天下に歴史に名を残す事が

出来るかどうか、本人はマスターズに出てタイガー・ウッズと戦い自分を試して

みたいと夢は大きい。大いに注目して見てゆきたい。






2009/4/20  乃木希典を詠ず  詩吟

昨日19日の日曜日の東京は初夏の五月晴、ゴルフ日和でしたが東京・大塚ホールで

朝から夕方まで詩吟の「合同独吟発表会」に出席乃木希典の「金州城下の作」を詠じた

乃木希典は静堂の号を持ち漢詩をよくした。以下は昨日吟詠の「金州城」

     金州城下の作

   山川草木転(うた)た荒涼

   十里風腥(なまぐさ)し新戦場

   征馬前(すす)まず人語らず

   金州城外斜陽に立つ


クリックすると元のサイズで表示します

乃木希典について・・・  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

1849年12月25日 − 1912年9月13日

乃木 希典(のぎ まれすけ、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) − 大正元年(1912

年)9月13日)は、日本の武士・長府藩士、軍人。陸軍大将従二位勲一等功一級伯爵。

第10代学習院院長。贈正二位(1916年)。「乃木大将」、「乃木将軍」などの呼称で

呼ばれることも多い。吉田松陰は親戚に当たる。

東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」と呼ばれた。

しかしいわゆる「殉死」の評価についても諸説あるように、

司馬遼太郎など「愚将」とする考え方もあるが、これに対する反論・擁護論も

数多くある[1]。若い頃は放蕩の限りを尽くしたが、ドイツ帝国留学に

おいて質実剛健な普魯西(プロイセン)軍人に感化され、帰国後は

質素な古武士のような生活を旨とするようになったという。

乃木は他の将官と違い省部経験・政治経験がほとんどなく、

軍人としての生涯の多くを司令官として過した。

また、明治天皇の後を追った乃木夫妻の殉死は、

当時の日本国民に多大な衝撃を与えた。

山口県、栃木県、東京都、北海道など、複数の地に乃木を祀った乃木神社がある。

クリックすると元のサイズで表示します水師営会見 中央二人が乃木将軍とステッセル将軍

旅順攻略戦後にロシア軍旅順要塞司令長官アナトーリイ・ステッセリとの間で

水師営の会見が行われた。

そこでの乃木の紳士的で寡黙な雰囲気は、諸外国の記者が持つ日本人観に

大きな影響を与えたといわれている。

乃木はステッセルらロシア軍幕僚にも帯剣を許し、

従軍記者たちの再三の要求にも関わらずロシア軍との会見風景は一枚しか撮影させず、

彼らの武人としての名誉を重んじた。

乃木の姿勢は世界中から賞賛され、日本の国際的地位すら向上させたことから、

やがて乃木は「旅順の凡将」から、東郷平八郎とならぶ日露戦争の英雄となり、

その後、長く軍人精神の具現者と見なされるようになった。

乃木がこの戦争で勝典、保典の二人の子息を失ったことへの同情や、

旅順攻囲戦が極めて困難な作戦であったことが伝わったことから、

乃木の凱旋は最も多くの国民が押し寄せたといわれる。

クリックすると元のサイズで表示します

日露戦争時の乃木、特に旅順攻略戦に対する乃木の評価は識者の間だけでなく、

歴史好きの人たちの間でも度々議論になっている。

乃木が優秀な将軍であるという認識は、日露戦争当時の主流であったが、

一部に乃木無能論もあった。これが一般的になったのは

司馬遼太郎の『坂の上の雲』によるところが大きい。

乃木について厳しい評価をした司馬の『坂の上の雲』発表後すぐに、

乃木擁護論が発表されるなど大きな議論ともなった。

第二次世界大戦以前、乃木は彼自身の名声と軍部の情報操作もあって、

軍神となったある種の信仰の対象であり、『坂の上の雲』発表当時

もまだ乃木に対する評価は高かった。一方、より多くの部下を戦死させたほうが、

活躍した将軍であるという偏屈な視点を、明治・昭和期の軍人・日本人に植えつけた

とも評され、現在も議論は続いているが平行線となっている。

乃木の評価の大部分は人格的功績や軍人精神などにあり、

必ずしも軍事的才能ではない事なども要因である。近年では、

複雑な背景下でロシア軍は3年は持ちこたえれると考えていた旅順攻囲戦を

半年で勝利したことや、奉天会戦では4万数千の兵力でロシア軍10万と互角以上に

戦ったことによりロシア軍司令官クロパトキンに重大な戦局の誤断を生じさせ

日本軍の勝利に導くなど、乃木の軍事的な才能も再評価されていると言う意見も

肯定派からあるが否定派からは地理・条件・要塞を考慮せず合理性に欠ける作戦を

取り続け多数の兵を犠牲にしたとの評価も根強くあり、評価は定まってはいない。

日露戦争での日本の勝利は、ロシアの南下政策に苦しめられていたトルコでも喜ばれ

乃木は国民的英雄となった。同国では、子どもに乃木の名前を付ける親までいた。

クリックすると元のサイズで表示します

爾霊山(にれいさん)は203高地の当字で、乃木のこの詩によって有名になった。

漢詩作家として世に残した乃木将軍の名詩には、他に日本を神州と詠った「富岳」

などが、「金州城下の作」、「爾霊山」と共に詩吟愛好家に好まれている。

     爾霊山  乃木希典

   爾霊山険なれども豈に攀(よ)ぢがたからんや

   男子功名克艱を期す

   鉄血山を覆て山形改む

   万人斉しく仰ぐ爾霊山


 乃木希典の代表作とも思われる「富岳」の書き落とし文は以下の通りです。

      富岳 乃木希典

   崚曾たる富岳千秋に聳え

   赫灼(かくしゃく)たる朝揮八洲を照す

   説くを休めよ区区たる風物の美

   地霊人傑是れ神州

クリックすると元のサイズで表示します乃木将軍と静子婦人

自決する朝の写真と言われる

乃木は、1912年9月13日、明治天皇大葬の夕に、妻とともに自刃して亡くなった。

まず静子が乃木の介添えで胸を突き、つづいて乃木が割腹し、

再び衣服を整えたうえで、自ら頚動脈と気管を切断して絶命した。

遺書には、明治天皇に対する殉死であり、西南戦争時に連隊旗を奪われたことを

償うための死であるむねが記されていた。このときに乃木は

うつ志世を神去りましゝ大君乃みあと志たひて我はゆくなり

という辞世を詠んでいる。

この事件は当時の社会にあってきわめて衝撃的にうけとめられ、

結果的に死後乃木の盛名をさらに高からしめることになった。

事件に対する態度は主として、

(1)天皇に忠誠を誓う武士道的精神、

(2)軍人精神の極致として賞賛するうけとめか封建制の遺風による野蛮で

時代遅れの行為として皮肉にとらえるうけとめかた 作戦失敗を繰り返し、

多くの部下を無為に死傷させた、当然の結果といううけとめかた 。

(4)古武士のような徹底した清廉な生き方を称賛するうけとめかたの

4種類に区分できる。

生前から(4)の受け止め方は国民の間で主流であった。

事件直後は(1)(2)(3)(4)が混在していたが、やがて大正デモクラシーの影響によって

(2)の立場を取る側とそれに対抗して乃木を神格化しようとする

(1)の立場が主流になる。昭和初年ごろから社会全体が右傾化してゆく風潮のなかで

(1)が圧倒的な勢力を得たこともあった。

戦後は、陸軍悪玉論や軍人に対する嫌悪感から(3)を支持する意見と、

(4)を支持する意見がある。

(1)の立場はもちろん、何時の世にも存在する。

なお、夏目漱石の『こころ』における受け止め方がその典型であるという意見が

極めて一部にあるが「こころ」の先生も、漱石自身も乃木の自殺を

(1)のような立場で「天皇に忠誠を誓う武士道的精神を賞賛する」受け止め方は

していない。「こころ」の先生と遺書、56節を一読すればわかることである。

(2)については森鴎外の『興津弥五右衛門の遺書』、『阿部一族』などが挙げられる。

(鴎外は乃木の殉死に衝撃を受けてこの作品を執筆した)。

(3)については京都帝国大学教授谷本富(とめり)、信濃毎日新聞主筆桐生悠々なが、

事件直後に新聞紙上で殉死批判を展開した結果物議を醸すこととなった。

(4)については乃木夫妻の殉死後、日本各地に乃木神社が建てられたのが、

代表的な例として挙げられる。

このほか、彼を題材にした文学作品に櫻井忠温の『将軍乃木』『大乃木』、

司馬遼太郎の『殉死』、芥川龍之介の『将軍』、渡辺淳一の『静寂の声』などがある。

また、第三軍に従軍していた記者スタンレー・ウォシュバンは乃木の殉死を聞いて、

『乃木大将と日本人(原題『Nogi』)』を著し故人を讃えた。

乃木伯爵家は成人した息子は二人とも日露戦争で戦死、長女と三男は夭折した。

息子の戦死後、乃木家の戸籍に入っていた実弟集作を大館氏に養子として出したため

嗣子がおらず、山縣有朋や寺内正毅らは養子を立てて相続させようと画策したが、

乃木の遺言により廃絶している。しかし乃木夫妻の死からちょうど3年後にあたる

大正4年(1915年)9月13日、乃木家の旧主にあたる長府藩主の後裔、

毛利子爵家の次男元智が伯爵に叙爵され、姓も乃木に改めた上で新乃木伯爵家を

創設したが批判の声が強く、元智は昭和9年(1934年)に爵位を返上、

姓も毛利に戻した。

乃木は明治天皇からの信望が厚く、明治天皇が後継者と期待していた

裕仁親王(後の昭和天皇)の教育係として学習院院長に命じられる。

幼親王も乃木を慕い、乃木も聡明な親王に陽明学を勧めた。

殉死の前日、乃木は親王に自ら写本した山鹿素行の『中朝事実』と『中興鑑言』を

渡し、この本がいかに素晴らしいかを説き、熟読するよう念押しした。

当時弱冠10歳の親王は、乃木のただならぬ気配に、これは遺言だと気付き、

思わず「閣下はどこかに行ってしまわれるのですか?」と聞いたという。

昭和天皇は晩年まで、生涯で最も尊敬する人物として乃木の名を挙げ続けた。

クリックすると元のサイズで表示します

長々と乃木希典を列記しかもフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』よりの

ペーストが殆どで中味が希薄ですが、より正確に詳しく書かれていましたので

乃木希典を吟ずる詩吟愛好者の参考になれば幸と思います。

昨日は伴奏も担当して、キーボード伴奏で130名の吟者の熱吟に和して奏でました。

吟者各自の生命力、熱意に合わせてのキーボード伴奏も吟者の生命力に応える生命力で

演奏すると結構骨が折れるものですが、吟者の詠い終えた満足感と爽やかさに

接すると嬉しくなるものです。

来週日曜日(26日)は川口リリアホールで詩吟の全国大会、

これは2400名ほどが全国から詩吟仲間が集まる。

ここで小生は2年前に詠んだ自作の秋の俳句2題を吟詠する予定だ。

   *山道を 歩幅大きく 竹の春

   *看板に 水の効能 初紅葉


竹は春には枯れて竹落ち葉となります、今頃の季節を「竹の秋」といい、

秋になると竹は新芽を出し、「竹の春」を迎えます。

従って「竹の春」は秋の季語になります。

一週間気合を入れて猛練習しよう。

クリックすると元のサイズで表示します

2009/4/18  躑躅屋敷  

クリックすると元のサイズで表示します

近所のツツジ屋敷の躑躅が見頃になってきました。

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

代々続く造園屋さんの長屋門、「ご自由にご覧下さい」と案内看板が、

枝を誘導する雪吊りのようなものなど、代々丹精された見事な躑躅屋敷です。

  *丹精の 躑躅守り継ぐ 長屋門

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

徳川家康が鷹狩に東金まで出かけるために造られた道が「御成り街道」として

家康の命を受けた土井利勝は、船橋、東金間を結ぶ新道の造成に着手。

道幅二間半(約5m)、谷をS字形にカーブする他は、ほぼ直線という新道、

つまりこれが東金御成街道と呼ばれる道となるのすが、東金、大網地区には

この当時から幕府の造園の御用を受けた歴史からか、

大きな長屋門がこの近所には沢山あります。

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

御成り街道と同時に家康の休憩、宿泊の為の御殿が船橋と東金の中間点にあるそうです

もうひとつの御殿、「東金御殿」は、『東金御殿古絵図』によると、総構え11700坪、

御殿敷地は6700坪と、かなり大規模なものであったそうです。

内部には、御老中部屋、小姓部屋、書院、広間、鉄砲部屋、番所、御鷹部屋など、

40を越える部屋からなる建物が建てられ、このほぼ中央に家康が使用する部屋も

あったそうでこの御殿の建設には、東金町の農民が総出で当たったものだそうです。

  * 御成り街道 縁の地 躑躅燃ゆ

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

近所の田圃では「田植」がもう始まって早苗田の九十九里、筍も方々にニョキニョキ。

         クリックすると元のサイズで表示します

前庭の楢林も眼に優しい若葉の色に開いてきました。

クリックすると元のサイズで表示します

  *グーチョキパ 移ろひ楢の 芽吹きかな

クリックすると元のサイズで表示します

2009/4/17  太田道潅蓑を借るの図に題す  漢詩

クリックすると元のサイズで表示します

連翹の黄の変わって山吹の貴が庭を彩ってくれます。
山吹が咲くと思い出すのが、太田道灌の逸話だ。

          クリックすると元のサイズで表示します

  「七重八重 花は咲けども 山吹の みの一つだに なきぞ悲しき」
古今和歌集のこの歌が江戸城を創ったとされる豪傑太田道灌を変えたのだ。
  
       太田道灌(道灌蓑を借るの図に題す) 作者不詳
  
  孤鞍雨を衝いて 茅茨(ぼうし)を叩く 少女為遣る(おくる)花一枝

  少女言わず花は語らず  英雄の心緒乱れて糸の如し


通訳・・・ 太田道潅はただ一騎狩りへ出たが、折からの雨に、とある「あばら屋」

に立ち寄って蓑(みの)を乞うた。出てきた少女は黙って一枝の山吹を差し出すばかり

さすがの英雄も古歌を知らず、なぞを解きかねて心乱れるばかり。

歌読む道を諭された道潅はその後歌人しても名を残す文武に長けた人となった。

太田道潅・・・室町中期の歌人、上杉定正の家臣、築城・兵馬の法に長じ、

       学問・文事を好んだ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

2009/4/16  葉桜(上野恩賜公園)  四季の草花

クリックすると元のサイズで表示します

華やかな桜並木の上野恩賜公園も葉桜となりました。

大勢の人に思い思いの感動を残して花は葉に。

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

公園の中央道路はくらしの道で通勤通学に買い物にも歩く道、葉桜となって

人々の歩くテンポは心なしか早足に。

  * 葉桜や 歩幅早めに 過ぎ行けリ

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

花見宴会に場所を追い出されたストリートミュージシャンも帰ってきて

いつものパホーマンス。

   * かろやかに 路上演奏 風光る

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

八重桜はこれからまだ見頃です

   * 八重桜 上野の杜に 寺の鐘
         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

修学旅行の子供達が青空の下、大欅の下でお弁当を広げている。

お弁当も春の色だ。

   * セーラー服 春の弁当 拡げけり


クリックすると元のサイズで表示します

花が散ってツツジが萌え出してきました

爽やかなたけなわの春です。

クリックすると元のサイズで表示します

2009/4/14  芽吹き山  四季の草花

クリックすると元のサイズで表示します

杉花粉も下火になり久々に芽吹き始めた山々の中でゴルフ。

全国的に雨予報の日でしたが、お湿り程度で殆ど降られず芽吹きの山々を堪能。

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

百千鳥のさえずり、鶯も大分上手になりました。

  *うぐひすの 芽吹きの山に 一日居り

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

うす緑、うぐいす色の芽吹きの里山は目に優しい美しさだ。

竹の子も採れ頃の形よきものが竹林に頭を出している

時折雉の親子がフェアウェイを過って通るのも長閑な風景だ。

   * とほりゃんせ 雉の親子の 過りけり

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

2009/4/13  マスターズ(カブレラが優勝)  ゴルフ

クリックすると元のサイズで表示します

最終ホールで追いつき3人のプレーオフを制したマスターズ初優勝のアンヘル・カブレラ(右)。昨年の覇者トレバー・イメルマン(南アフリカ)から優勝のグリーンジャケットを贈られ、アルゼンチンの英雄は喜びの表情。

          クリックすると元のサイズで表示します

日本人選手では片山選手が大殊勲。最終ホール18番でバーディーパットを決め、

両手を上げて喜ぶ片山。前日6位の片山は68で回り、日本人としては最高位タイの4位に

クリックすると元のサイズで表示します

エンターテナーの片山晋呉君、観客に笑顔で一礼。

パトロンの心もすっかり捉えた日本の第一人者は8度目にして、

見事マスター(名人)の仲間入りを果たした。

          クリックすると元のサイズで表示します

注目のタイガー・ウッズは5度目の優勝を狙ったが、首位に2打差まで追い詰めた

見せ場はあったが優勝には届かず6位だった。

クリックすると元のサイズで表示します

マスターズ初出場の田竜二選手は通算2アンダーで20位と健闘、

普段から米国ツアーを主戦場として揉まれている流石に粘り強いゲーム運びだ。

          クリックすると元のサイズで表示します

我らが期待の星石川遼君は健闘すれど、惜しくもカットラインを通れず2日間で

遼君のマスターズは終わり昨夜成田に帰ってきた。

遼君は「ゴルフ人生でものすごく大きな通過点になる。興奮した」、

「また頑張れる」などと語リ、1ヶ月間の米国遠征の成果を14から始まる三重県での

国内ツアーに参戦の意気込みを示していた。

          クリックすると元のサイズで表示します

小学校の卒業文集にしたためた「20歳でマスターズ優勝」。

だが「いまは、その手応えはない」と悔しさをかみしめた遼君。

18番グリーンを去るとき、コースへの感謝をこめて、小さくお辞儀した。

「誰にも見られないようにしたかったんだけど…」。

そんな気持ちにも無念さがこもった。

「この悔しさがあるから自分に厳しくできる」。遼君の新たな挑戦がいま始まった。

頑張れ遼君(写真、記事は時事通信から抜粋しています)

2009/4/12  芽吹き山  四季の草花

クリックすると元のサイズで表示します

芽吹きの爽やかな陽気となりました。

         クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

小鳥も冬を越して、春の陽気を待ち受けています。

春の山に百千鳥の合奏が楽しく愛らしく聞えてきます

  * 九十九折 急な山坂 囀れり

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

お隣の土気の「昭和の森」公園の奥地には菖蒲田の周りの小流れの小川に

水草(みくさ)が生うて「ホタル保存地」の立て看板が、蛍の季節には来て見よう。

  * 水草生ふ ホタル保存の 立て看板

  * 芽吹き山 大きく背伸び したりけり

クリックすると元のサイズで表示します

我が家の桜も落花盛んです。

昨夜は36歳の頃から10年間ラグビーをやっていたチームの同窓会があり、

当時のチームメイトの選手で還暦を迎えた人5人のアラーカンを祝う会に

出掛け当時のラグビー仲間と久々に歓談。わが青春の思い出だ

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

菅平での合宿や多摩川グランドでの毎週日曜日の試合や

オーストラリアにも遠征試合に出かけた思い出が沢山ある。

* 楕円追ふ 日々甦り 花は葉に

          クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

2009/4/10  夢のマスターズ(石川遼)  ゴルフ

クリックすると元のサイズで表示します

今や国民的な期待の星「石川遼」君の夢のマスターズゴルフトーナメントが始まった。

2週間前から現地入りしている遼君の祈念すべき1番ホールのドライバーショット。

 プロの顔つきだ クリックすると元のサイズで表示します

開催の前日の記者会見では日本人選手として始めて記者会見場に呼ばれ、英語で

スピーチし答えていた。大会関係者、世界のゴルフ界からも注目されている証拠だ。

クリックすると元のサイズで表示します ミスで天を仰ぐ 

小学校の卒業文集に20歳でマスターズで優勝をすると書いた少年の夢は17歳6ヶ月で

招待選手としてマスターズ出場を果たし、マスターズ史上2番目に若い選手として

第一日目は前半苦戦したものの後半に3つのバーデイを奪い追い上げて

1オーバーの51位につけている。

芝芽を読む遼君  クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

遼君のゴルフ世界ランクは74位、日本人では3番目の上位ランクで47位の片山晋吾

選手は初日5アンダーの4位の発進。

世界ランク73位で日本人の第2位の今田竜二選手は初日遼君と同じ51位発進。

遼君は日本人で3番目の実力評価なのだ。

しかし遼君の国民的な人気はゴルフの上手い天才少年ではなく、爽やかな対応と

人に好かれる素直さ、こういう子が息子だったら、孫だったらと思う世の

お母さん、お父さん達。

遼君に憧れる青少年の間では遼君カットという髪型が流行。

小学生の男のこの将来なりたい夢の第1位はスポーツ選手だそうだ。

きっとサッカーや、野球選手の他に遼君のゴルフに取り組む姿も

子供達の夢なのだろう(因みに女の子の夢はお菓子屋さん、ケーキ屋さんだそうだ)

マスターズには遼君の両親、妹、弟が家族が駆けつけ、一緒に生活している。

その他に「チーム遼」といわれる、スポンサートレナー、レッスンコーチが

8人帯同してオーガスタの近くに家2軒を借りている。

「チームタイガー・ウッズ」があるが、石川遼という巨大プロジェクトだ。
18番を終え同伴選手と握手
クリックすると元のサイズで表示します

去年の怪我から復帰3戦目で優勝したタイガー・ウッズは2アンダーの20位発進。

まだ3日あると余裕のコメント。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します




AutoPage最新お知らせ