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2015/12/30  天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも  詩吟

奈良時代に遣唐使として唐に渡った阿倍仲麻呂(698年唐70年)

(百人一首では安倍仲麿と名が残っている)

仲麻呂と言えば以下の歌が良く知られている。

天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも

大空をはるかにふり仰いでみると、月がさしのぼって来たが、

この月はむかし日本にいたころ]故郷の春日にある三笠の山にのぼったあの月なのだなあ。

遣唐使藤原清河に従って帰国しようとして、明洲の海辺で、

折からの満月を異郷の空に眺め、望郷の情を詠んだ歌とも言われている

歌の注釈には「もろこしにて月を見てよみける 安倍仲麿」とあるそうだ・・。

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718年、20歳の時に遣唐使(留学生)として唐に渡り、科挙に合格して唐朝の官吏となった。

玄宗皇帝のもと従三品の高位に至り、李白・王維らと交流して文人としても名を成す。

753年に帰国を許され、友人王維らとの別れを惜しむ宴の後、仲麻呂は長安を発ちました。

長江を下り、蘇州あたりでいよいよ出帆という時に仲麻呂が詠んだのが、

上掲の百人一首の中にあるあの歌でした
  
人生の大半を中国で暮らした仲麻呂でしたが、その時の思いを詠んだのは、

漢詩ではなく和歌だったのも、仲麻呂の望郷の念の深さを思わせます。

しかし帰国の途につくものの、暴風に遭って安南(今のベトナム)に漂着し、

又長安の戻り玄宗皇帝に仕え、あの安禄山の乱(755年〜763年)の後、

帰国を果せぬまま唐に五十余年、唐の国に骨を埋めた。

     奈良・・三笠山クリックすると元のサイズで表示します

仲麻呂と親交のあった李白は仲麻呂(中国名「朝衡」・・「晁卿衡」とも言う)の

遭難を知り彼を悼む惜別の詩を残している。

    晁卿衡を哭す  李白

 日本の晁卿帝都を辞し 征帆一片蓬壺を遶る

 明月帰らず碧海に沈み 白雲愁色蒼梧に満つ


(帝都=長安のこと)

(蓬壺=海上の神仙の島々)

(蒼梧=中国東南の海岸地帯をさす

仲麻呂と同い年の友人李白は仲麻呂を「明月」にたとえています。

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唐時代には外国からの留学生を受け入れていた大国であったに違いない、

当時の日本から見れば唐は憧れの国であり、小野妹子からの遣隋使、遣唐使として

渡り、彼等が日本へ帰って、唐の文化・書物や政治・経済や食物の諸制度を持ち帰り

彼等は当時の官僚機構の中では重要な位置を占め、日本国のリーダーであったのだ。

しかし当時の舟で大海を渡り、また戻ってくる事も大変な事であり、

幾多の遭難によって有意な人材を失ったものとも思われる。

又当時、隋・唐に渡った若者も言葉で苦労し、望郷の念に駆られたことは容易に想像できる

因みに当時の日本の人口は500万人程度と推定されているが、勇気ある若者は居たのだ。






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