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2016/4/30  「余り苗四隅に束ね置かれあり」  日記


連休2日目は朝5時に起きてしまいました・・。

6時前に犬を連れて散歩に・・・。

早苗田の隅に余り苗が置かれている4月末の風景です

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第5土曜日は大網地区の詩吟5教場の師範研修会です。

午前中から講議の実践を一人づつ15分から20分の持ち時間で漢詩一題を

教場長5人を生徒代わりに行います。

伴奏も講師が工夫して自分の出きる楽器を、もしくはテープの自動伴奏を用い行います。

他の6教場は第3木曜日に上野教室の夜の時間に行っているのですが、

各教場長の今後の活躍を楽しみに見守っています。



2016/4/29  健康寿命伸ばす一日や若葉風  日記

連休初日はゴルフです・・・

何時ものことですが 連休中のゴルフ場は空いてます。

今日はメンバーの組み合わせで2人で回りましたが、ハーフ1時間50分と、

午後は2時間と早く上ったので、終わってからの打ち込み練習、

海辺の散歩と密度の濃い連休初日でした・・・。

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花粉が無くなったので自分自身が伸び伸びしていますね。

男性の健康寿命は71.11歳、女性が75.56歳だそうですが、

70歳にあと僅かの自分にとっては健康寿命を延ばすことが一番のことですね。

そのためには歩くこと・・。

ゴルフが自分にとっては一番いいですね。

しかもゴルフの後の余力が結構余っていたことは嬉しいことです。

おまけにヤクルトスワローズが勝って今夜も焼酎が旨いね・・・。

明日は詩吟の研修会ですが、午後は浜辺を一万歩歩こう。

明後日の日曜日もお天気のようでゴルフの予定です。

連休中は仕事を忘れて健康作りだ・・・。

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タグ: 健康寿命

2016/4/28  木鶏に及ばず  エッセイ

木鶏に及ばず

木鶏(モッケイ)は中国の荘子に収められている故事に由来する言葉で、

木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態をさすのですが、

その逸話は

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昔、闘鶏を飼い育てる紀悄子という名人がいて、

王が献上された一羽の優れた鶏をこの名人に託した。

王が「もうぼつぼついいかな」・・・と尋ねると、

「まだいけません、今、カラ元気の最中です」

10日ばかりして再び聞くと

「まだまだ相手を見ると興奮します」

さらに10日ほどして、待ちかねた王が催促すると

「まだ、ダメです。相手に対して、カサにかかるところがあります」

又、10日ほど待って、しびれを切らした王が聞くと

「もういいでしょう、いくら挑戦してきても、一向に平気、

木彫りの鶏(木鶏)のようにその徳が完全なのです。

どんな相手も、みんな退却するでしょう」と言ったと言う。

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第三十五代横綱双葉山は安岡正篤先生に傾倒していたそうですが、

彼は当時前頭4枚目の安藝ノ海(後の三十七代横綱)に敗れて記録が

69連勝でストップした時、洋行中であった安岡先生に

「未だ木鶏に及ばず」と打電したという逸話があります。


安岡正篤↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E7%AF%A4

親しい友人で8年前になくなった業界新聞の社長さんI氏が「モッケイ二オヨバズ」を

上梓し、その2巻を頂いたことがあったが、あの達人から見れば、

さてさて、自分は今どの辺なのだろうか?

生涯木鶏に及ばずなのだろう。

I氏は大正の生まれで、年は親子ほどの差があったが「ウマ」が合い、

I氏行きつけの日暮里下町の安いカラオケ屋で良く歌ったものだった。

詩吟もやり、「芳野懐古」の詩文が好きで得意にしていたものだ

I氏を思い出し、氏の残した著書「モッケイ二オヨバズ」を思い出し読み返してみる。

連休に入ったら墓参りに行きたいと思っている。

2016/4/26  駄菓子屋の並ぶ下町躑躅燃ゆ  日記

都心は夏日の陽気です。

根津神社のツツジを見に会社から散歩のつもりで歩いたら7千歩。

勿論上着がはは置いてYシャツだけですが、汗が噴き出てきます。

たまたま夕べのテレビで「鶴瓶江の家族に乾杯」でゲストの織田信成さんと

谷中、根津、千駄木の下町を歩く番組でしたが、

その一つ下町根津商店街は昔懐かしい昭和の間口の小さいお店が軒を連ねている。

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カリントウ屋さんや金太郎飴を商っている店など、駄菓子屋さんや「あんみつ屋」さんや

小さな喫茶店などが並ぶ嬉しい街です。

根津神社はそんな下町商店街にあって、境内のツツジは今が見頃ですね。

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今朝テレビで今が見頃ですなどとやってたので、中高年のおばさん達で一杯です。

狭い境内ですが、200円の拝観料を払って、

小山の傾斜地に咲くツツジは赤、紫、白、ピンク、黄と色さまざまに

品質もいろんな種類がありますね。

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急に暑くなって日傘のご婦人も多く居られましたね。

谷・根・千の下町は俳句のグループも吟行に来るところですね。
タグ: 根津神社

2016/4/25  小鹿本にごり  日記

家で飲むことの多くなったこの頃ですが、

今宵は薩摩の小鹿酒造の芋焼酎「本にごり小鹿」を頂く。

以前に取り寄せたことのある昔懐かしい

「本にごりの芋焼酎」の味が恋しくなり、又取り寄せた・・。

昔なつかしい芋焼酎の香りと口当たりが何ともう美味いものだ

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昨日のゴルフ場で掘ってきた竹の子が、掘って直に茹でたので特に柔らかい。

今日の筍ご飯や焼き筍は特に柔らかく感じられた。

一年の内でほんの短い間に味わえる竹の子、旬とは良く言ったものです。





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2016/4/24  花散るや地上に宴あるごとし  日記

日曜日は久々のゴルフになりました。

芽吹きの木々の若葉も緑鮮やかな新緑の季節です。

田圃も大方田植えが終わったようで早苗がしっかり付いてきたようです。

ゴルフ場はソメイヨシノが青葉となり、八重桜が花びらを落としながらも見頃です。

八重は八重でソメイヨシノは違った華やかさがあるようだ・・・・。

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とりわけ大きな花びらが地に落ちた華やかさは地上に楽園が在る如しだ。

テイグランド傍の竹薮で竹の子を足で掘り、本日の戦利品です。

早速灰汁抜きし夕べの酒のつまみの一品に。

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今日は気温は上らず、風が冷たい日だったが、カートに乗らず1万5千歩を歩いた。

まあ健康寿命を延ばす一日でした




2016/4/23  躑躅燃ゆ  日記

近所のツツジ屋敷のツツジが見頃になっていました。

いつもながら丹精した立派な躑躅です・・・.

東金市になりますが車で10分ほどの近さです。

土曜日は詩吟の日で東金教室へ向かう途中にあるので、いつもより速めに出て

ゆっくり見学させてもらいました。

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我が家のオオムラサキ躑躅はまだ三分程度ですが、

このツツジ屋敷はいつも早いようです。

こうして躑躅を丹精して他人の目を楽しませ、自らも楽しむ達人の叔父さんと

ゆっくりお話をさせて頂きたいものだ。

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タグ: つつじ屋敷

2016/4/22  芽吹きの春  日記

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近所に沢山有る竹林。

竹の子が沢山出ています、足裏に当りが感じられる位の物を掘るといいそうです。

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採る人が居ないとこんなに伸びてしまいます。

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美味しそうなタラの芽です

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クリックすると元のサイズで表示しますこれは漆(うるし)です

タラの木と漆の木は今の時期良く似ていますので要注意。

タンポポ      クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します  綿毛


満天星(どうだんツツジクリックすると元のサイズで表示します

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どうだんは、灯台が訛ったものという。灯台と言っても海路を照らす灯台ではなく

満天星の細い小枝の交錯して出ている形が、たいまつを燃やす「結び灯台」の脚に

似ている意味からきているようだ。

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田植の済んだ田圃も大分苗が付いて落ち着いてきました。


2016/4/20  日本人と乃木希典  エッセイ

石原慎太郎氏が「天才」田中角栄と言う書を世に出して注目されている。

徳川幕府の大政奉還から149年、

その後に活躍した日本人として印象深い英雄を3人並べるとすると、

西郷南洲、乃木希典、田中角栄かもしれないとする見方がある。

乃木希典は我々の良く歌う詩吟の最も人気のある「金州城」はあの「川中島」と双璧と言える。

吟詠家が好きな「金州城」の詩文は以下のように、詩吟をやらない人にも知られている。

     金州城下の作

   山川草木転(うた)た荒涼

   十里風腥(なまぐさ)し新戦場

   征馬前(すす)まず人語らず

   金州城外斜陽に立つ


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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より乃木希典について引用し、研究してみた。

1849年12月25日 − 1912年9月13日

乃木 希典(のぎ まれすけ、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) − 大正元年(1912

年)9月13日)は、日本の武士・長府藩士、軍人。陸軍大将従二位勲一等功一級伯爵。

第10代学習院院長。贈正二位(1916年)。「乃木大将」、「乃木将軍」などの呼称で

呼ばれることも多い。吉田松陰は親戚に当たる。

東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」と呼ばれた。

しかしいわゆる「殉死」の評価についても諸説あるように、

司馬遼太郎など「愚将」とする考え方もあるが、これに対する反論・擁護論も

数多くある[1]。若い頃は放蕩の限りを尽くしたが、ドイツ帝国留学に

おいて質実剛健な普魯西(プロイセン)軍人に感化され、帰国後は

質素な古武士のような生活を旨とするようになったという。

乃木は他の将官と違い省部経験・政治経験がほとんどなく、

軍人としての生涯の多くを司令官として過した。

また、明治天皇の後を追った乃木夫妻の殉死は、

当時の日本国民に多大な衝撃を与えた。

山口県、栃木県、東京都、北海道など、複数の地に乃木を祀った乃木神社がある。

クリックすると元のサイズで表示します水師営会見 中央二人が乃木将軍とステッセル将軍

旅順攻略戦後にロシア軍旅順要塞司令長官アナトーリイ・ステッセリとの間で

水師営の会見が行われた。

そこでの乃木の紳士的で寡黙な雰囲気は、諸外国の記者が持つ日本人観に

大きな影響を与えたといわれている。

乃木はステッセルらロシア軍幕僚にも帯剣を許し、

従軍記者たちの再三の要求にも関わらずロシア軍との会見風景は一枚しか撮影させず、

彼らの武人としての名誉を重んじた。

乃木の姿勢は世界中から賞賛され、日本の国際的地位すら向上させたことから、

やがて乃木は「旅順の凡将」から、東郷平八郎とならぶ日露戦争の英雄となり、

その後、長く軍人精神の具現者と見なされるようになった。

乃木がこの戦争で勝典、保典の二人の子息を失ったことへの同情や、

旅順攻囲戦が極めて困難な作戦であったことが伝わったことから、

乃木の凱旋は最も多くの国民が押し寄せたといわれる。

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日露戦争時の乃木、特に旅順攻略戦に対する乃木の評価は識者の間だけでなく、

歴史好きの人たちの間でも度々議論になっている。

乃木が優秀な将軍であるという認識は、日露戦争当時の主流であったが、

一部に乃木無能論もあった。これが一般的になったのは

司馬遼太郎の『坂の上の雲』によるところが大きい。

乃木について厳しい評価をした司馬の『坂の上の雲』発表後すぐに、

乃木擁護論が発表されるなど大きな議論ともなった。

第二次世界大戦以前、乃木は彼自身の名声と軍部の情報操作もあって、

軍神となったある種の信仰の対象であり、『坂の上の雲』発表当時

もまだ乃木に対する評価は高かった。一方、より多くの部下を戦死させたほうが、

活躍した将軍であるという偏屈な視点を、明治・昭和期の軍人・日本人に植えつけた

とも評され、現在も議論は続いているが平行線となっている。

乃木の評価の大部分は人格的功績や軍人精神などにあり、

必ずしも軍事的才能ではない事なども要因である。近年では、

複雑な背景下でロシア軍は3年は持ちこたえれると考えていた旅順攻囲戦を

半年で勝利したことや、奉天会戦では4万数千の兵力でロシア軍10万と互角以上に

戦ったことによりロシア軍司令官クロパトキンに重大な戦局の誤断を生じさせ

日本軍の勝利に導くなど、乃木の軍事的な才能も再評価されていると言う意見も

肯定派からあるが否定派からは地理・条件・要塞を考慮せず合理性に欠ける作戦を

取り続け多数の兵を犠牲にしたとの評価も根強くあり、評価は定まってはいない。

日露戦争での日本の勝利は、ロシアの南下政策に苦しめられていたトルコでも喜ばれ

乃木は国民的英雄となった。同国では、子どもに乃木の名前を付ける親までいた。

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爾霊山(にれいさん)は203高地の当字で、乃木のこの詩によって有名になった。

漢詩作家として世に残した乃木将軍の名詩には、他に日本を神州と詠った「富岳」

などが、「金州城下の作」、「爾霊山」と共に詩吟愛好家に好まれている。

     爾霊山  乃木希典

   爾霊山険なれども豈に攀(よ)ぢがたからんや

   男子功名克艱を期す

   鉄血山を覆て山形改む

   万人斉しく仰ぐ爾霊山


 乃木希典の代表作とも思われる「富岳」の書き落とし文は以下の通りです。

      富岳 乃木希典

   崚曾たる富岳千秋に聳え

   赫灼(かくしゃく)たる朝揮八洲を照す

   説くを休めよ区区たる風物の美

   地霊人傑是れ神州

クリックすると元のサイズで表示します乃木将軍と静子婦人

自決する朝の写真と言われる

乃木は、1912年9月13日、明治天皇大葬の夕に、妻とともに自刃して亡くなった。

まず静子が乃木の介添えで胸を突き、つづいて乃木が割腹し、

再び衣服を整えたうえで、自ら頚動脈と気管を切断して絶命した。

遺書には、明治天皇に対する殉死であり、西南戦争時に連隊旗を奪われたことを

償うための死であるむねが記されていた。このときに乃木は

うつ志世を神去りましゝ大君乃みあと志たひて我はゆくなり

という辞世を詠んでいる。

この事件は当時の社会にあってきわめて衝撃的にうけとめられ、

結果的に死後乃木の盛名をさらに高からしめることになった。

事件に対する態度は主として、

(1)天皇に忠誠を誓う武士道的精神、

(2)軍人精神の極致として賞賛するうけとめか封建制の遺風による野蛮で

時代遅れの行為として皮肉にとらえるうけとめかた 作戦失敗を繰り返し、

多くの部下を無為に死傷させた、当然の結果といううけとめかた 。

(4)古武士のような徹底した清廉な生き方を称賛するうけとめかたの

4種類に区分できる。

生前から(4)の受け止め方は国民の間で主流であった。

事件直後は(1)(2)(3)(4)が混在していたが、やがて大正デモクラシーの影響によって

(2)の立場を取る側とそれに対抗して乃木を神格化しようとする

(1)の立場が主流になる。昭和初年ごろから社会全体が右傾化してゆく風潮のなかで

(1)が圧倒的な勢力を得たこともあった。

戦後は、陸軍悪玉論や軍人に対する嫌悪感から(3)を支持する意見と、

(4)を支持する意見がある。

(1)の立場はもちろん、何時の世にも存在する。

なお、夏目漱石の『こころ』における受け止め方がその典型であるという意見が

極めて一部にあるが「こころ」の先生も、漱石自身も乃木の自殺を

(1)のような立場で「天皇に忠誠を誓う武士道的精神を賞賛する」受け止め方は

していない。「こころ」の先生と遺書、56節を一読すればわかることである。

(2)については森鴎外の『興津弥五右衛門の遺書』、『阿部一族』などが挙げられる。

(鴎外は乃木の殉死に衝撃を受けてこの作品を執筆した)。

(3)については京都帝国大学教授谷本富(とめり)、信濃毎日新聞主筆桐生悠々なが、

事件直後に新聞紙上で殉死批判を展開した結果物議を醸すこととなった。

(4)については乃木夫妻の殉死後、日本各地に乃木神社が建てられたのが、

代表的な例として挙げられる。

このほか、彼を題材にした文学作品に櫻井忠温の『将軍乃木』『大乃木』、

司馬遼太郎の『殉死』、芥川龍之介の『将軍』、渡辺淳一の『静寂の声』などがある。

また、第三軍に従軍していた記者スタンレー・ウォシュバンは乃木の殉死を聞いて、

『乃木大将と日本人(原題『Nogi』)』を著し故人を讃えた。

乃木伯爵家は成人した息子は二人とも日露戦争で戦死、長女と三男は夭折した。

息子の戦死後、乃木家の戸籍に入っていた実弟集作を大館氏に養子として出したため

嗣子がおらず、山縣有朋や寺内正毅らは養子を立てて相続させようと画策したが、

乃木の遺言により廃絶している。しかし乃木夫妻の死からちょうど3年後にあたる

大正4年(1915年)9月13日、乃木家の旧主にあたる長府藩主の後裔、

毛利子爵家の次男元智が伯爵に叙爵され、姓も乃木に改めた上で新乃木伯爵家を

創設したが批判の声が強く、元智は昭和9年(1934年)に爵位を返上、

姓も毛利に戻した。

乃木は明治天皇からの信望が厚く、明治天皇が後継者と期待していた

裕仁親王(後の昭和天皇)の教育係として学習院院長に命じられる。

幼親王も乃木を慕い、乃木も聡明な親王に陽明学を勧めた。

殉死の前日、乃木は親王に自ら写本した山鹿素行の『中朝事実』と『中興鑑言』を

渡し、この本がいかに素晴らしいかを説き、熟読するよう念押しした。

当時弱冠10歳の親王は、乃木のただならぬ気配に、これは遺言だと気付き、

思わず「閣下はどこかに行ってしまわれるのですか?」と聞いたという。

昭和天皇は晩年まで、生涯で最も尊敬する人物として乃木の名を挙げ続けた。

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長々と乃木希典を列記しかもフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』よりの

ペーストが殆どで中味が希薄ですが、より正確に詳しく書かれていましたので

乃木希典を吟ずる詩吟愛好者の参考になれば幸と思います。

乃木希典と日本人の琴線というものがあるように思うこの頃です。

昨日は午前、午後と幕張、西浦和で教室があり、月に一度は顔を出すことにしているので

両方に出かけ、平日なのに会社には夕方顔を出しただけ。

今日は詩吟教室はなしなので朝から会社、そして真直ぐに家に帰る予定。

明日夜は上野教室、土曜日は東金、土気教室と、

乃木希典を詠いたい気分ですね。
タグ: 乃木希典

2016/4/18  山吹伝説  詩吟

我が家の庭の山吹の花が咲き始めました

この頃になるといつも太田道灌の山吹伝説の逸話を思い起こす 

今週の各詩吟教室では山吹伝説に纏わる「太田道灌蓑を借るの図に題す」をやろう。   

   道灌の追憶

江戸城築きし道灌は広野のなかを降る雨に

笠求むれば乙女子がうら恥ずかしく山吹の

みのなきさまを歌に寄せ贈れば心乱れけり

歌詠む道を諭されて文武にたけき人となる


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              クリックすると元のサイズで表示します

「七重八重 花は咲けども 山吹の みの一つだに なきぞ悲しき」

古今和歌集のこの歌が江戸城を創ったとされる豪傑太田道灌を変えたのだ。
  
       

太田道灌(道灌蓑を借るの図に題す) 作者不詳
  
  孤鞍雨を衝いて茅茨を叩く 少女為遣る花一枝

  少女言わず花は語らず 英雄の心緒乱れて糸の如し


クリックすると元のサイズで表示します(白山吹)

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通訳・・・太田道潅はただ一騎狩りへ出たが、折からの雨に、とある「あばら屋」

に立ち寄って蓑(みの)を乞うた。出てきた少女は黙って一枝の山吹を差し出すばかり

さすがの英雄も古歌を知らず、なぞを解きかねて心乱れるばかり。

歌読む道を諭された道潅はその後歌人しても名を残す文武に長けた人となった。

この少女を道灌は後日、城に招き入れ、一緒に歌を詠み暮らしたという。

道灌亡き後に、成人した少女は尼となり、今の新宿辺りに、庵を結び余生を過ごしたという。

その公園がは、都庁近くにあり、太田道灌公園として残っている。

大田道灌の墓、銅像も方々にあり、山吹伝説が広く伝わっているのだが

主君上杉定正の館のある神奈川伊勢原の地で、謀略により暗殺されることとなってしまいます。

こうした道灌の非業の死など道灌贔屓もあったのでしょう。

太田道潅・・・室町中期の歌人、上杉定正の家臣、築城・兵馬の法に長じ、

       学問・文事を好んだ。

昨年の清風会の旅行は西熱川温泉だったが、きしくも宿泊した夜に

太田道灌祭りをやっていた・・。

道灌がこの熱川より江戸城建設のための石垣を組む大きな石を運んだ故事に習い、

みんなでその大きな石を当時のように大勢の人で曳いたものだった。

今年も10月後半のこの時期に熱川へ行ってみたいものだ。
タグ: 太田道灌 熱川

2016/4/16  朝取りの焼き筍の香ばしき  日記

土曜日は詩吟の日です。

裏山に竹山を持っている仲間から「朝取りの筍」を頂きました。

早速焼いて一口頂きました。

大半はアク抜きをして、筍の煮物、筍ご飯ですかね・・・楽しみです。

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タグ: 焼き筍

2016/4/12  花人となりゐし日々を惜しみけり  日記

日曜日の暖かさから一転して週明けの昨日から寒くなり

朝方は風に冷たい日和です。

昨日は東北・甲信越地方では桜が咲いているのに雪が降ったそうで、

梅に雪なら風情はあるものの、桜の雪では興ざめです。

昨日もコートを着ている人も沢山おり、

今朝はコートを着て出るか迷いましたが、

結局見栄を張ってコートなしで出てきましたが、日中はお日様が出て

風もないのでホットしています。

2日前の日曜日はは初夏だったのにね。

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おかげで上野公園の桜も我が家の桜も一気に散ってしまって

3日見ぬ間の桜と言うけで・・・花の命の短さよ・・・ですね。

しかしながら、今年ほど長い間桜を楽しませてもらった年もありませんね。

東京は先月21日に開花し、一昨日の10日頃までは見頃でしたから

20日以上も桜を楽しめました。

途中に寒の戻りのような寒さがあったりしたので長かったのでしょうね。

余花を楽しんだらツツジの季節・・そしてアジサイの季節ですね。

2016/4/10  「山笑ふ明るき里となりにけり」」  日記

九十九里から市原へ行く409号線の長南町では田植えの済んだ田圃を見かけました。

我が家の近所はまだですが、さすがに早いところは早いものです。

芽吹き始めた里山に桜が残っており農耕車が国道を走っていたり、

両側の田圃は田植の準備で、里山の計が動き出し山笑う良い風景です・・・。

ゴルフ場も桜が満開からやや散り始めでお花見ゴルフになりました。

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今日の組み合わせは若い飛ばし屋さん達で大分置かれてしまいますが

上ればスコアは負けてないのがゴルフの面白さかな・・。

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2016/4/9  「咲き満ちて白き巨艦のごと桜」  日記

土曜日は詩吟の日です・・。

東金、土気の教室で満開の花をめでる詩歌を詠い

東金・土気・大網の近所の満開の桜並木をドライブして桜を満喫した一日でした・・・。

本当に今年の桜は寒の戻りのような寒さを交え

開花して2週間以上経つ今が満開です・・・この様に永い間桜を楽しめる年もないですね・・。

我が家の26年目の桜も満開です・・。

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桜はいろいろなことを思い出させてくれます。

お花見が何より好きだった母のこと・・一緒ににお花見をして今は彼岸に行った友、

松尾芭蕉の「さまざまなこと思い出す桜かな」の句を思い吟じてみました。

やはり「花は桜木、人は武士」・・・のDNAをたっぷり引き継いでいるのでしょうね。

明日は早起きをしてマスターズを見てお花見ゴルフへ行きましょうか

早めにお休みなさい、

2016/4/8  木の芽風日々終活と思ふべし  漢詩

毎朝の通勤の外房線から京葉線に入り東京駅へ向かいますが、

車窓から見える景色は楽しみです。

外房線の大網から蘇我までは田園風景で畑の中、里山に桜がたくさん見かけます。

木々の芽吹きも始まり、里山は細やかな薄緑です。

蘇我から東京に向かうにつれ、散り始めた桜が、だんだんに葉が見えてくるようです。

本当のこんなに桜が方々に在るものだと、やはり桜の国、日本と思います。

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千鳥が渕もお堀に落花した花びらが「花筏」をなして綺麗なことでしょう。

今日は横浜の詩吟教室に向かいましたが、品川から横浜に向かうにつれ、

桜も落下盛んになってきました。

横浜教室でも桜の詩歌を中心に3時間びっしりと謳いあげました。

    花筏 (道元)

諸行無情と流れる水に 諸法を無我と棹差して

涅槃寂静の花と流れる 花とともに流れて行こう花筏

道元・・・鎌倉時代の思想家、曹洞宗の開祖、悟りの境地を多くの詩歌に託して残した。

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タグ: 花筏 道元




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