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2016/9/30  日本吟道学院HPリニューアル  日記

公益社団法人「日本吟道学院」のホームページリニューアルしました。

ご覧頂ければ幸いです。

http://gindoh.jp/wp/

多くの優れた詩歌に親しむ詩吟

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いつも明るく元気一杯、未来の星たち

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詩歌はロマンの世界にあなたを誘います

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詩吟はストレスの解消に最適で、沢山の仲間が出来ます

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さあ、詩吟を始めてみませんか

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2016/9/27   安宅関 網谷一才  詩吟

兄頼朝に追われ、山伏姿で奥州の藤原氏の元に向う義経主従が通った安宅関。

源義経が武蔵坊弁慶らとともに奥州藤原氏の本拠地平泉を目指して通りかかり

弁慶が偽りの勧進帳を読み義経だと見破りはしたものの

関守・富樫泰家の主従の情に見逃したという

歌舞伎18番でお馴染みの「勧進帳」の名場面。

最近の詩吟教室はこの勧進帳の名場面「網谷一才」の漢詩

「安宅関」範典の4巻に差し掛かっている。

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  安宅関 網谷一才

 知るも知らぬも逢坂の霞に包む旅衣

 露けき袖を萎らせてここは安宅の関の中

朗々読み終わる勧進帳 君を打ち涙を吞む金剛の杖

誰か忠臣の心情に動かざるなし此の情人をして長く忘れざらしむ


18年前にこの地を詩吟の仲間数百人で吟行に訪れ、

全員でこの像の前でこの詩を合吟したことがあった。

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関所を通る山伏の一行のしんがりの義経が関守・富樫に呼び止められ

弁慶が「お前が九朗判官義経に似ているので迷惑な話だ」と

義経を金剛の杖で打つ弁慶・・・主従の心情を察して見逃す関守・富樫・・・・・。

日本人の琴線に触れる名場面の一こま・・・・。

悲劇的英雄、判官源義経に同情する気持ち。転じて、弱者・敗者に同情し声援する感情で

義経びいきの日本人の心意気が「判官びいき」と言うのだが・・・。

今の世の中で「判官びいき」の対象になる人は誰なんだろうね・・・・。


 

2016/9/26  「虫の夜薀蓄言いし友偲ぶ」  日記

9月の長雨は26日のうち23日が雨で、

今日も大網地区では昼間雷雨があり、

湿っぽい所為か芝生に無数の黒キノコが出てきた。

こんなことも始めてのことですが、今夜は虫すだく静かな夜です。

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今宵は鹿児島屋久島の原生林から濾過された名水で作られた、

芋焼酎「三岳」をロックで頂く・・。

すっきりした飲み口だ・・・・。

スーパーの入り口の焼き鳥屋さんで買った焼き鳥をツマミに今日も居酒屋メニューです・・・。

今宵もまた虫の音に良き飲み仲間を偲ぶこ夜となる。

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2016/9/25  古希若し白寿目指さう秋高し  日記

日曜日はゴルフの日にしたいのですが、

やはり行けるのは一ヶ月に1−2回ですね・・。

自分の運動不足解消にはゴルフが一番なのですが、

急な予定が入ったり、雨や猛暑で止めたりして、なかなか行けないものです。

40代の頃は、年に50回くらい行っていたものですが、

次第の回数は減ってゆくようです。

まあ思えば、70歳までゴルフが出来ることには感謝ですが、

欲を言えば、80歳までは続けたいものです。

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今日は雨はなかったけど、風が全くなく蒸し暑い日で

一日低音サウナに入っているような感じでしたが、

1万4千歩を歩き心地よい疲れです。

明日からの仕事も気合を入れてゆこう・・・。



2016/9/22  愛ちゃんのダイヤモンド  日記

卓球の「福原愛」ちゃんのダイヤモンドリング・・大きいですね。

写真見ると3 ct 程度の大きさかな・・・3000万と伝えられているので、

品質はDカラー、IF(インタナリーフローレス)EX(エクセレント)の最高品質でしょうか?

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愛ちゃんいい笑顔ですね・・おめでとう。

愛ちゃんは中国に卓球留学して、流暢な北京語を話してましたが、

台湾人との国際結婚は国際化の今、いいことだね・・・。

大きなダイヤモンドを買ってくれたことも

ダイヤモンド業界の為には有り難いことだったね・・。



2016/9/21  妻の留守  日記

カミサンがお彼岸の墓参りで岩手に帰り、

愛犬「ハナ」も居なくなり、ただ一人の夕食ですが、

日ハムVSソフトバンクを見るために6時半には帰宅しました。

軽い運動をしながら、また最近はまっているホッピーを飲みながら

テレビで大谷VSチ賀の気魄の投手戦に見入ってしまいました。

流石にパ・リーグの天王山、レベルも高いと唸ってしまう。

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明日の休みは早起きをしてゴルフへ行きますかね。

2016/9/18  久々のゴルフ  日記

2ヶ月ぶりのゴルフです・・・久々の1万4千歩でした。

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ゴルフに行かないと運動不足になるので、小雨もなんのそのの快汗でした。

日頃こまめに柔軟体操や、自転車などの有酸素運動で足腰を鍛えておかないと

男性の健康寿命に近づいて、トラブルを抱えて、騙しながらの日々になる

ゆめゆめ油断は出来ない。

とはあれ今夜の焼酎は一段と美味しいね・・・。

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タグ: 南総CC

2016/9/15  カリナン (Cullinan) ダイヤモンド  宝石ジュエリー

カリナン (Cullinan) ダイヤモンド

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1905年、世界一大きなダイヤモンド原石として南アフリカのトランスバールで産出しました。

その鉱山会社の主任であり、また所有者でもあった人の名にちなんで、

カリナン・ダイヤモンドと命名されました。 

原石の重さは 3106 カラットありました。 

このカリナン・ダイヤモンドは最後には英国のエドワード七世に献上され、

王はこれをカットして9 個の大きな石と 96 の小さな石にしました。 

そのうちの一つカリナンT (530.20 carats) はペアシェープでアフリカの星と呼ばれるもので、

カットされたダイヤモンドでは世界最大のものです。

現在、タワー・オブ・ロンドンに保管されています。

原石であるカリナンをカットするに当たっては、

当時世界最高と呼ばれたダイヤ加工技師が呼ばれたそうです。

しかし、当時(そして今も)世界最大のダイヤモンド原石を前にした彼は

自信を失いかけたそうです。

それでも彼は何日も不眠不休で原石のどこからカットすればいいのかを調べ、

ダイヤモンドというのは、鉄より硬いその硬度で知られるが、

ある一点をつけば容易に砕ける性質(へき開性)がある。

ところがその一点というのは、経験をつんだ技師にしかわかりえないものである。

どうにか、その一点を見つけた彼はいざ、

そこに一撃を入れようとしたが、確信は持てなかったそうです。

そしてカットしたまさにその時、技師は極度の緊張で失神してしまったそうです。

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失神から立ち直った彼は、カットが成功したのを見てまた気絶したという。

カリナンI世〜IX世

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ガラスで作られたカリナンI-IXのコピー

「偉大なアフリカの星(The Great Star of Africa)」と呼ばれる

「カリナンI世」は530.20カラット。

これは世界最大のカットダイヤモンドとして有名で、

王笏(Royal Scepter)に飾られている(現在は世界第2位)。

現在もイギリス王室が所有しており、ロンドン塔で永久展示されている。

カリナンII世(317.40カラット)は「大英帝国王冠

(Imperial State Crown of Great Britain)」に飾られている。

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カリナンIII世(94.40カラット)、カリナンIV世(63.60カラット
)は

「メアリー王女の王冠(Queen Mary's Crown)」に飾られており、

2つを合わせてペンダントとして使うこともできる。

カリナンV世(18.80カラット)はメアリーのブローチに飾られているが、

新たな王冠を作るためにメアリーの王冠からコ・イ・ヌールが外されたため、

その代わりにはめられることもある。

カリナンVI世(11.50カラット)は、エドワード7世が妻アレクサンドラに贈り、

現在ではエリザベス2世所有のネックレスの一部となっている。

カリナンVII世(8.80カラット)とカリナンVIII世(6.80カラット)は

合わせてひとつのブローチとして使われている。

カリナンIX世(4.39カラット)はメアリーのために作られた指輪に飾られている。

伝説ともなっているカリナンダイヤモンドは

Cullinanダイヤモンド鉱山は南アフリカ共和国の

ダイヤモンド大手De Beers(デビアス)傘下の

De Beers Consolidated Mines(DBCM)が所有していたが、

2007年11月にPDCCにトータル10億ランド(149万米ドル)での売却を発表、

2008年7月に売却が完了している




2016/9/15  広島カープ優勝記念セールに純金のバット  時事

広島三越は、純金製の野球ボール(約500グラム、550万円)と

バット(約430グラム、510万円)を販売したそうで、

バットは同日中に買い手が付いたそうで、今年一年間のカープ熱の象徴のようだ。

素材の「金」は グラム当たり16日の小売り価格は4759円で510gでは238万円だが、

加工費用、業者の利益、優勝記念と言う付加価値が付いて倍以上になるのですが、

いささか商業ベースに乗せられ過ぎかな?

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今年のカープは熱いね

日本シリーズまで進出して日本一になって欲しいね

2016/9/11  呪われたホープダイヤモンドの歴史  宝石ジュエリー


呪われたホープダイヤモンドの歴史

このダイヤモンドが発見されたのは数百年も前の1600年代だそうです。

当時、ダイヤモンドの産地として有名だったインド南部のコラールという町で、

農夫が発見しました。

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それから間もなくペルシア軍がその地に侵入してきて、農夫を殺しその石を持ち去ります。

ペルシア軍の司令官はその青いダイヤモンドを国王に献上し、その後、

その司令官は息子の失敗を取らされ死刑になり、国王も臣下の謀反で殺されてしまいました。

そして17世紀。フランスの業商人、ジャン・バティスト・タヴェルニエが

インドの寺院に祀られていた ラマ・シタという神像の眼から

それをくり抜いて盗み取りました。

タヴェルニエは帰国するとルイ14世に売り、男爵の位を授けられます。

しかしその後ダヴェルニエは、息子が投資に失敗し全財産を失い、

野犬の群れに殺され変死体で発見されました。

ダイヤを買ったルイ14世は天然痘で死に、 それを受け継いだルイ16世と

王妃マリー・アントワネットはフランス革命でギロチンで処刑されました。

フランス革命後、新政府に保管されていましたが、1972年に再び盗まれてしまいます。

持ち主が何度変わっても、呪いが終わることはありませんでした。

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盗まれた青いダイヤはアムステルダムの宝石師のところへ。

その宝石師の息子が密かにそのダイヤモンドを盗み出しそのショックのあまり

宝石師は死んでしまいます。

息子も盗んだダイヤモンドで大金を手に入れますが、すぐに使い果たし自殺・・・。

1830年頃、このダイヤモンドはロンドンで競売に出され、

呪いの噂は誰もが知ってはいましたが、

ダイヤの価値はもちろん数々の伝説から誰もが手に入れたがりました。

ブルーダイヤを競り落としたのは、実業家のヘンリー・フィリップ・ホープでした。

彼は、オークションでホープを手に入れた時が人生の絶頂期で、

それからは坂道を転がるかのように多くの不幸に見舞われました。

ホープはダイヤを買った数年後に破産、ホープも死亡しました。

しかし、一族はこのダイヤを手放さず、ホープ家は4代に渡ってダイヤを所有、

そして富豪だった一族は地に落ちました。

そしてこのダイヤは、呪いのホープダイヤモンドと呼ばれるようになるのです。

この後、ホープダイヤモンドはしばらく人々の手を転々とします。

フランスの宝石ブローカーは、気が狂って自殺し、

パリの女優ラドル嬢は舞台上で愛人のロシア人に射殺され、

その愛人も革命家に殺されてしまいました。

トルコのスルタンは革命によって王位を追われ、

ギリシアの宝石ブローカーは妻子と一緒に自動車で崖から転落死。

あの有名なマリリン・モンローも、主演映画の中で、本物のホープダイヤを身につけました。

彼女の変死も周知の事実です。

そしてホープダイヤモンドはピエール・カルティア氏の手によってマクリーン夫人の元に。

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カルティア氏はマクリーン夫人にホープダイヤモンドの不幸な呪われた歴史を話すと、

興味を持ったマクリーン夫人は、

ホープダイヤモンドを見せられるとすぐにそれを購入しました。

アメリカで出版業を営む大富豪の息子マクリーン氏の夫人は鉱山業者の大富豪の娘でした。

そして夫人はホープダイヤモンドを牧師のところに持って行き、

祝福をしてもらい、それをお守りとして身につけ、

愛犬の首にかけて、パーテイに現われたり、婦人の絶頂期でした。

マクリーンの長男が交通事故死しました。

さらに夫は精神病で死に、娘までも変死しました。

マクリーン夫人のダイヤモンドを100万ドルで買い取ったニューヨーク宝石商の

ハリー・ウィンストンは1958年、スミソニアン博物館にこれを寄贈しました。

なおスミソニアン博物館への寄贈は2ドル44セントの普通郵便で配達が行われました。

今でもホープダイヤモンドはこの博物館の一部屋にあり、

このダイヤモンドが一つだけが展示されてあり、一番の人気スポットとなっています。

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(ホープダイヤモンドは写真のようにデザインが変わって展示されてます)









2016/9/11  重陽後一日(菅原道真)  漢詩

重陽後一日とされる「九月十日」に当たる昨日土曜日は詩吟の日です。

やはりこの日は「菅原道真」の詩を思い出される

845年から903年の人ですから平安の時代、平清盛の時代背景より200年ほど前の頃ですが、

宇多天皇の時代から信任の厚かった菅原道真は醍醐天皇の右大臣として権勢を誇っていた。

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重陽後一日の九月十日、清涼殿では醍醐天皇の主催する詩を作る宴が開かれていた。

その時の醍醐天皇の出された[題」は「秋思」・・・。

居並ぶ重臣が日がな一日、詩を作り、それを発表して一日を送る優雅な貴族文化だった・・。

そこで作った道真の[秋思」の詩に醍醐天皇は痛く感動し、

ご自身の召されていた衣を脱いで道真に褒美として下されたという。

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    秋思 菅原道真

  丞相年を度って幾度か楽思す 今宵物に触れて自然に悲し 

  声は寒し絡緯風吹くの処 葉は落つ梧桐雨打つの時 

  君春秋に富み臣漸く老ゆ 恩に涯無く報猶お遅し知らず  

  此の意何かに安慰せん 酒を飲み琴を聴き又詩を詠ず


詩の心・・・自分は多年のわたり、天皇の御恩を授かり、

お蔭でもって、幸運な生活を送ることができた。

今宵は、秋の風に触れ、感傷的になり、悲しくなってきました。

虫の声は寒々としており、吹き渡る風の中に、桐の葉に雨が落ちる音が聞こえ、

それが益々、孤独感を強めていきます。

天皇はは、まだ若く、これからの未来に楽しみもいっぱいあろうかと思いますが、

臣である私共は、既に老境を越えるところにあります。

それゆえ、陛下へのご恩に対して報いるには、時間がないことを悲しみます。

このようなどうしようもない状況で、自分の心を慰める術が見当たりません。

せいぜい、酒を飲み、琴を聴き、詩を詠じて、気を紛らわすしかない状況です。

私が十分にご奉公できないことをお許しください・・と道真の素直な心境を詩に託したもの。

今の社会と変わらないような、同僚のねたみ、嫉みから、道真は天皇に左遷され

九州大宰府に流され、門を一歩も出ることなく蟄居の暮らしの中、

失意のうちに2年後になくなるのですが、その後の都で道真を陥れた左大臣藤原時平親子、

天皇一家が非業の死を遂げ、清涼殿に雷が落ちたり、都には疫病が流行り・・・

道真の祟りと怖れられ、道真の霊を慰めるために天満宮がもうけられ、

代々の学問所の出身である道真を学問の神様として祀り、

全国に天満宮が出来たという。

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さて、道真の左遷の理由ですが

「醍醐天皇を廃して、道真の娘が嫁いだ斎世親王(醍醐天皇の弟)の擁立を企てている」

というもので、道真には一言の弁解も許されなかったというのが、通説のようです。

そして、大宰府に流された道真が二年後に作った詩とされるのが

詩吟の最初の頁に出てくる「九月十日」である

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      九月十日 菅原道真

   去年の今夜清涼に待す 秋思の詩編独り断腸
 
  
   恩賜の御衣今此に在り 捧持して毎日余香を拝す


詩の心・・・思えば昨年の今夜、重陽後の宴に召され、

 清涼殿で陛下のおそばに侍べっていた。

 秋思の題を賜り、諸臣それぞれ詩を作ったが、

 ひとり自分の詩だけが悲しみに満ちたものになってしまった。

しかるに、陛下は大層おほめになり、御手みずから御衣をぬいで賜った。

それをいまも大切に持参している。

 毎日その御衣を捧げては、その移り香を拝しているのである。

冤罪にてこうして太宰府に流されているのに、少しも君を怨むことはない。

重陽とは五節句の一つで、9月9日のことで、

旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれ、邪気をはらい

小高い山に登って豊作を祝い、宴を催す習慣があったと言う・・・

平安の貴族もこれに習いさまざまな宴を催したのだそうです。

旧暦の9月9日は10月の中旬頃に当たりますから、もう少し秋が深まってからですね。

昨日午前の東金教室では菅原道真作の「九月十日」を吟じた会員の方が居られました。

2016/9/4  茹で落花生それぞれにある塩加減  日記

週末の土曜日は詩吟の日で、午前中は大網で3時間、午後は茂原教室でした。

日曜日は朝8時から、フジサンケイクラシックのテレビ中継で石川遼くんを応援し、

男子ゴルフの後は女子ゴルフの穴井詩選手の初優勝を見届け、

夕方大河ドラマ「真田丸」を見て、ナイターヤクルトVS広島を見て、

9時からドラマ「仰げば尊し」を見て一日テレビをお友達に過ごしてしまった。

運動不足を考えて、家の中で自転車漕ぎを30分、夕方の散歩だけ・・・。

九十九里は稲刈り真っ盛りですが、

青々とヒツジの伸びてきた田圃と黄金田の混在する風景も今の時期ですね・・・。

刈入れの済んだ田圃ばかりとなると寂しい景に思えますね・・・。

切り株から伸びたヒツジが青々として、5月頃の青田に見違えてしまいます。

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落花生の生が出始めて、我が家でも茹で落花生の初物です・・。

これがビールのつまみに最高です。






2016/9/2  2016ジャパンジュエリーショー  日記

2016ジャパンジュエリーショーが昨日から東京有明の「ビッグサイト」で開催されてます。

弊社メリンダ・ダイヤモンドも珊瑚製品を出品して国内外のバイヤーさんたちと商談中です。

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ダイヤモンドを中心に45年やっていますが、珊瑚を手がけて8年です。

折からの中国の珊瑚ブームの追い風があって、大きな部門に育ちました。

中国では珊瑚を七宝の一つとして昔から信仰心とお守りとして重宝されてきました。

今や家運長久、一族の繁栄、権力、冨の象徴として珊瑚は広く支持されております。

昔の日本では江戸時代から簪や帯止めなどで広く普及していました。

高地沖で採取される珊瑚は数年で数ミリの成長と限りある海産資源として

ワシントン条約で乱獲を禁止され、保護されてきましたが、

現実的に生産量は限られており、新しい製品を作るのにも材料となる珊瑚の仕入れが

思うように出来ないことです。

珊瑚の仕入れに東南アジアの国々の過去に販売された珊瑚を買い取る為に

現地の取引先を道案内に宝石店の展示商品までも仕入れ交渉して足を運ぶこともあります。

珊瑚は海産物ではありますが、真珠のように劣化することがなく、

半永久的に宝石として楽しめます。

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2012年末の中国の珊瑚採取の漁船が日本領海に侵入して国際問題になりましたが、

今は中国側が沈静化して正常な珊瑚採取が高知沖、小笠原沖の珊瑚漁師の手で行われています。

明日3日までやってます.

一般の方もホームページから来場登録すれば、宝飾業界の仲間取引の模様に参加できます。



2016/9/1  「寄せ太鼓蓮池の萎みけり」  日記

夕方5時ごろになると日中の暑さも和らぎ、爽やかな秋の風です。

不忍池の蓮は、さすがに萎んでますが、まだ見どころは残っています。

お化けのような大きな蓮の葉の間に台が沢山あります。

泥水を吸い上げて美しい花を開く「蓮」はやはり魅力があります。

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演芸場の鈴本では夕方の高座が始まるのでしょうか、

若い衆が寄せ太鼓を打ってます

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タグ: 不忍池の蓮

2016/9/1  「寄せ太鼓蓮池の萎みけり」  日記

夕方5時ごろになると日中の暑さも和らぎ、爽やかな秋の風です。

不忍池の蓮は、さすがに萎んでますが、まだ見どころは残っています。

お化けのような大きな蓮の葉の間に台が沢山あります。

泥水を吸い上げて美しい花を開く「蓮」はやはり魅力があります。

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演芸場の鈴本では夕方の高座が始まるのでしょうか、

若い衆が寄せ太鼓を打ってます

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タグ: 不忍池の蓮




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