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2017/10/31  ロシア中央銀行がゴールド「金」の在庫を増やしている  仕事


ロシア中央銀行がゴールドを買い続けています。

IMFへの報告によると、過去2年間でほぼ一年200トンものゴールドを

その外貨準備に加えています。

先月9月には34.2トンのゴールドを購入し、今年の累積購入量は163トンとなり、

今年はまだ3ヶ月あることを考えると200トン以上の購入の可能性は非常に高いようです。


中央銀行の「金」保有高」

1 アメリカ 8,133.5トン  外貨準備に占める割合 75.1 % 

2 ドイツ  3,395.5トン   外貨準備に占める割合  71.9 % 

3 国際通貨基金(IMF) 2,814.0トン  
- 
4 イタリア  2,451.8トン   外貨準備に占める割合 71.3 % 

5 フランス  2,435.4トン   外貨準備に占める割合 71.6 % 

6 中国    1,842.1トン   外貨準備に占める割合 1.6 % 

7ロシア    1,715.0トン   外貨準備に占める割合  9.2 %

8スイス   1,040.1トン   外貨準備に占める割合 14.2 %  

9 日本    765.2トン    外貨準備に占める割合 3.1 %
 
10 オランダ 612.5トン   外貨準備に占める割合  60.2 %


(GFMS Gold Survey 2017)より

ロシアのゴールド保有量は1779トンとなり、国別では世界6位のままですが、

第5位の中国との差は63トンです。

ロシアが外貨準備におけるゴールドの割合を増やすということの裏返は

米ドルへの依存を極力減らし、

西側経済システムから一歩引いた形を作ろうとの意図があるのかもしれません。

2016年年初にロシアルーブルの暴落時に、ロシアが持ちこたえたのは、

大量のゴールドをロシア中央銀行がゴールドを持っているという安心感があったからだそうです

ロシア政府の外貨準備におけるゴールドの割合は17%。まだ増やしていきそうです。

半面、日本のゴールド保有量は僅かに765.2トン、外貨準備の中での比率は僅かに2.4%で、

米国のゴールドの保有比率74%に比べると極端に低く、

ドイツ、フランス、イタリヤの60%台に比べても極端に低く

問題視されるところになっています。




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2017/10/30  木枯し一号宝石街に吹き荒るる  日記

週末の寒い雨模様から久々の秋晴れの週明け・・晴れ晴れとした気持ちの出勤です。

こんな日は会社内に一日居るのはもったいない・・。

お昼休みに散歩に出たら気温は暖かそうだが、北風が強く帽子が飛ばされそう・・。

どうやら関東一帯に木枯らし一号が吹いたそうですね・・。

FBなどの個々の記録を見ると、毎年十月の末日近辺に木枯らし一号が吹いている様だ。

宝石の町御徒町を3時間ほど知人の所で昔話をしたり、

今は商売をやめた知人の会社跡を尋ねたり・・思い出も拾って歩きました。

久々のお得意先知人と景気動向を話したり、

ご家族の世間話をしたり、たまには外に出ないとね・・。

2017/10/30  プラチナの憂鬱  仕事


プラチナ相場が冴えない動きが続いています。


NYプラチナの5年間の動きを見ても1900ドル台から800ドル台へ下落して、


現在は930ドル近辺です。


東京工業品のグラム建て価格も5年間で5000円台から3600円近辺に下落しています


それも80円前後から113円前後への円安によって下げ幅が縮小されているので


現在の3600円近辺です。

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(上はNYプラチナの2011年からの月足チャートです)


プラチナが弱含んでいるのはプラチナの地上在庫が280トン前後あることや、


プラチナ需要の全体の約6割を占めるとされるデイーゼル自動車の排気ガスの


触媒需要の落ち込みが嫌気されている。


半面ガソリン車が好調なことからガソリン車の触媒需要として使用されるパラジューム需要が


伸びて、プラチナとパラジューム価格が逆転して2001年以来のパラジューム高が続いている。


今後電気自動車の実用化が進み、電気自動車が一般的になれば、排気ガスを出さないために


排気ガス触媒需要は極端に少なくなってゆくであろうプラチナの憂鬱がある。


プラチナカードなどと年間200トン前後の生産量しかない希少品として、


長く「金」よりも高くあり続けたプラチナ上位の展望は予想しがたい。

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(上は東京工業品プラチナ相場21011年からの月足チャートです)

2017/10/29  エルサレムシンドローム(イスラエルの思い出)  エッセイ


エルサレムシンドローム(イスラエルの思い出)

イスラエルにダイヤモンドの仕入れに出かけていた頃の1990年代から

2000年代のイスラエルでは、パレスチナとの長年の紛争のほかに、

自爆テロが人ごみを狙ったテルアビブのターミナルや

マーケットなどで1990年以降も度々起きていた。


それでも、イスラエルへの歴史を訪ねる旅行熱は年々高まっている。

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現地法人であるメリンダ・ダイヤモンド・イスラエルは、

新潟出身のM氏を社長とし、経営を任せていた。


彼に万が一のことがあれば、ご両親に申し訳ないので、

くれぐれも身の安全には気を配るようにと忠告していた。

住居とラマトガンの会社の行き来には自分の車で移動し、

バスや電車には乗ってはいけない。

人の集まるマーケットには近寄ってはいけない、など。

駐イスラエル大使館と領事館が邦人に向けて

密な連絡と情報提供を行っているので、

日本人が巻き込まれる事故は少ないと聞いている。


領事の話によると、事故とはいえないが、

エルサレムのホテルから宿泊の日本人のことで呼び出しがよくあるそうだ。

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日本からの旅行者の多くは、「嘆きの壁」や旧市街、

イエスが十字架を背負って歩いた丘「ゴルゴダの丘」などを観光するが、

散策しているうちに興奮しする人がいる。


「神が私の元に降りてきて、命じている……」など錯乱する。

暫くすると平静を取り戻すそうだが、

これを「エルサレム・シンドローム」と呼ぶ。

あの頃の小生の場合、この地で見る夢は、飛び切りに安いダイヤモンドを仕入れる、

ヘブライ語で言う「ミツイヤ」(掘り出し物とか、格安品の意)だが、

そういった算盤がちらちら見える夢だろう。

振り返ってイスラエルでの仕入れをしながらのエルサレムや

イエスの生地ベツレヘム、死海や歴史のある街を歩いたのは

いい思い出で、これからは仕事を離れてイスラエルを又ゆっくりと旅をし、

陽気なイスラエリイと語り、昔のユダヤ人仲間と楽しみたいものです




2017/10/24  新走り選挙総括語りけり」  日記

京都伏見の松本酒造の純米吟醸酒「まつもと」を頂く・・。

スパークワインを思わせるようなをマスカット風の飲み口から

切れ口のある喉越しが特徴だ・・。

カミさんも一緒にどんどん進んでしまう・・・要注意だ・・。

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広島VSDeNを見ようと思ったがテレビ中継がない・・何とも寂しいことだ・・。

しかもペナントレースぶっちぎりの優勝を決めた広島が、同三位のDeNに負けて

日本シリーズ出場を逃した。

どうもこのプレーオフという仕組みは折角一年間のリーグ戦130試合の結果を

覆してしまったりする何とも後味の悪い制度だね。

2017/10/23  青空の台風一過や庭掃除  日記

夕べから朝方までの強風で外房線は午後3時まで運休で、」会社に行けずに

家で仕事し、庭で折れた楢の木や杉の葉などを片付けてゴルフのアプローチ地練習などをして

思いがけずのお休みになった。

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スーパーへ買い物に行って旨そうな「イナダ」を見つけ・・・・よし捌いてみるかと

俄か板前の血が騒いで、夕方は包丁を研いで三枚に下ろしてみる・・。

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一本465円の魚だったけど・・・まあまあかな。

旨そうな魚があると旨い酒を飲みたくなるもの・・。

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2017/10/23  ユダヤ人と共存する(ニューヨークの思い出)  エッセイ


ユダヤ人と共存する(ニューヨークの思い出)

大分前の事になるのですが、NYでの商売のことを今でも夢に出てきたりします。

ニューヨークに進出した頃の1979年頃のニューヨークは

実にエキサイティングな街で、あらゆる業種も時代の先端を走りたくて

ニューヨークにオフィス、駐在事務所を作り、

また研修社員を送り視察団を波状攻撃のように送っていた時代でした。

音楽家の卵もブロードウエイに憧れて、着の身着のまま住み着いて

みんなが夢を追いかけていた時代でした。

もちろんバブルのずーっと前で右肩上がり経済の、総中流意識が芽生える前です。

当会社がマンハッタンの五番街の角のビル580のビル8階のユダヤ人の会社を間借りして、

パートナーにコミッションを支払ってスタートしたことは正解でした。

お蔭でユダヤ人の商法「寄らしめず、知らしめず」の

ユダヤ人同士の生の取引を知ることが出来ました。

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(30年前の筆者とユダヤ人相手の仕入れ風景)

この時のパートナーB氏は、最初にNYに行って何10件か会った業者で

最も相性の良さそうな人でした。

何度か日本の会社にも招待したりし、日本食好きの、日本贔屓でもありました。

自分の亡くなった父親と同じ年配の人でしたが、ダイヤモンドビジネスだけでなく、

経済や歴史にも詳しく、彼から学ぶことが多かったのでした。

ある時、ミスターオー(小野寺の通称を彼らはこう呼んでいた)は

飛行機に乗ることが多いので、万が一のビジネス上の支払の為に

保険に加入してくれ」と申し出があり、

彼の友人の保険会社のセールスマンが来て、面白い話を聞くのですが、

「ミスターオーはタバコを吸うか?」と聞かれるので、

当時メンソレ入りのモアというタバコをアクセサリー代わりに持っていて、

「吹かす」程度で煙を肺まで吸い込んだことはありませんでした。

B氏の友人の保険セールスマン曰く、

「明日保険会社のドクターがインタビューに来るが、タバコは?と聞かれたら

「今まで一度も吸ったことがない」と答えてくれと言うのです。

何故?

「保険料が倍以上も違うから」ということでした。

判ったことは、37年以上も前のことですが、いかにタバコは健康に有害であるかが、

この保険セールスマンの一言で知り、その日からタバコは辞めて、

一本も吸ったことがないのです。

そのセールマンと接して、やはり米国の保険セールスマンは

社会的に尊敬される立派な地位を持っていることを感じたのでした。

その後から保険業の方には「良い仕事をしているね」・・・と

心から話しかけるようにもなったのですが・・。

暫くして取引先が引越しで、彼のオフィスが空くので、

「使わないか」と申し出があり、

B氏とパートナーを解消し47丁目の通りを挟んだ20WESTのビル14階の

広いオフィスに引っ越しました。

このオスィスからメリンダ・ダイヤモンドの歴史が日本のバブル景気に乗って、

大きく動き出すのでした。

1982年の秋でした。

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日本では中曽根内閣が発足した年で、

羽田沖に日航のジャンボ機が機長の狂乱で逆噴射して墜落した年でした。

ほどなくハシディクジューのブローカー諸君の紹介で、

彼らの仲間の黒マントのジューが当社に入り仕入れを担当するようになったので、

ユダヤ人ハシデック仲間を採用した日本人の自分を親しく感じてくれたのかもしれません。

当初にパートナーとしてお付き合いのあったB氏も20年前に亡くなって

また最初のNYメリンダの基礎を作ってくれた、

弊社の有能な秘書であり、NYメリンダのI女子も亡くなって8年、

この商売の長い歴史を感じるのですが、この頃のNYと東京を行ったりきたりしていた20余年の

思い出が強く残っています。

ユダヤ人はまだまだダイヤモンドビジネスの中心ですが、

今は当時の日本人バイヤーに変わり、インド人、中国人が大きく

台頭してきました。

かれこれと46年間もこの業界で、今も現役で当初からオーナー経営を細々とやっている訳です。

2017/10/22  親愛なるブローカー・ジュ―イッシュ諸君(ニューヨークの思い出)  エッセイ

親愛なるブローカー・ジュ―イッシュ諸君(ニューヨークの思い出)

ニューヨークへ会社を設立したのが、1979年で今から38年前であり、

筆者も32歳の怖いもの知らずだった。

ニューヨークのダイヤモンド街に会社を出すということは

ユダヤ人社会の中に生きるということだった。

ニューヨークのダイヤモンド商は殆んどがユダヤ人で、

当時は当地でインド人やその他のアジア系を見かけることはなかった。

ユダヤ教の中でも宗派が沢山あって正統派の一年中、

黒マントを着て宗教の教えに従っての日常生活は食べ物や

休息日などいろいろと違った生活ですが、

シナゴーグ(お寺)の違いによって黒帽子の形も微妙に違うようだが、

総じて家族思いで、ユーモアを解し、

義理人情に通じた彼らには当初から親しみを感じていた。

彼らは食べ物にも宗教上の決まりを守って爪のある動物のもの,

甲羅のあるものなどは食べず、殆ど外食もせず、ランチのサンドウイッチを持ってきて

クラブや事務所で食べるので、どう?・・ランチ行かない・・とか

今夜一杯どう?

などということはない。

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(ブローカー相手に値段交渉中の35年前の若き日の筆者)

ダイヤモンド産業に働く人々は大きく分けて、

@マニファクチュア呼ばれるダイヤモンド原石を仕入れ、研磨する人と、

その工場で働く研磨職人、

A原石や研磨済みダイヤモンドを買って商売をするデーーラー、

B売り手と買い手の間に立って商売の仲介をするブローカー、

47丁目の路面店舗には

Cエクスチェンジと呼ばれるダイヤ・宝石の小売店があり、

また宝石の器材や本を売る店やダイヤモンド・宝石の鑑別(レポート)の付帯ビジネスもあり、

五番街の47丁目角の五八〇はビルごとダイヤモンド業者数百社が入っている。

メリンダ・ダイヤモンドは1979年にこの五八〇ビルの8階801号室の

ユダヤ取引業者の事務所内に設立登記し開設された.

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NYの会社での仕事はダイヤモンドの買い付け、仕入れです。

販売先である日本のお得意様の注文と売れ行きの良いものの品筋を買うことだった。

常時は駐在している日本人社員のI女子が指示を受けながら仕入れをするが、

毎月1,2週間は自分もNYへ来て仕入れをし、3週間は日本の会社で販売に精を出す日々だった。

競争力のあるダイヤモンドが 2 ct、3 ct,5 ctが当時は飛ぶように売れたものでした。

高度経済成長の真っ只中で、毎年給料は上がり、右肩上がりの平和ないい時代だったですね

現在の中国も香港も及ばぬ経済力と消費意欲が1970〜80年代はあったのでした。

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2017/10/20  30年前のブラックマンデイの思い出  日記

30年前の昨夜、1987年10月19日がにNY株式が22%強も暴落した

ブラックマンデイと記憶された日だった・・.

30年前のあの日は、NYのオフィスに居て周りが大騒ぎしていたので、

DDC(ダイヤモンドディラーズクラブの株式市場中継の大型テレビ画面を

見に行ったものだった・・

あれからNY株式は約10倍に東証株価はあの頃の21,910円よりも少し安い状況だ・・。

1980年代は日本でダイヤモンド・宝石が良く売れた時代で、

1979年に開設したニューヨークメリンダ・ダイアモンドがダイヤモンドビジネスの中心地の

マンハッタン5番街の47丁目にあって、毎月のようにニューヨークへ仕入れに行っていた。

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(30年前のダイヤモンド仕入れをしている筆者)

1-2週間の出張から日本に帰るとお客様が待っていて、

100万ドル位(2億円)の商品が直ぐに売れたものだった。

そんな好景気が1990年代の後半までは続いたが、その後は日本では全く売れなくなり、

今では輸入ダイヤモンドが日本では見かけなくなり、

海外へ仕入れに行く人も皆無となった。

ブラックマンデイの頃はダイヤモンドの仕入れを専門にやるバイヤーというプロも居たのだが、

30年で世の中も大きく変わりました。

2017/10/19  雨ニモ負ケズ  宮沢賢治  日記

雨ニモ負ケズ  宮沢賢治

「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケヌ丈夫ナ体ヲ持チ、

決シテ怒ラズ、イツモ静カニ笑ッテイル。

一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ食ベアラユルコトヲ自分ヲ勘定ニ入レズニ、

ヨク見聞キシ分カリ、ソシテ怒ラズ、野原ノ松ノ林ノ陰ノ小サナ藁ブキノ小屋ニイテ、

東ニ病気ノ子ドモアレバ、行ッテ看病シテヤリ、西ニ疲レタ母アレバ、

行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ、南ニ死ニソウナ人アレバ、

行ッテ怖ガラナクテモイイト言イ、北ニ喧嘩ヤ訴訟ガアレバ、

ツマラナイカラヤメロト言イ、日照リノトキハ涙ヲ流シ、寒サノ夏ハオロオロ歩キ、

ミンナニデクノボウト呼バレ、褒メラレモセズ、苦ニモサレズ、ソウイウ者ニ私ハナリタイ」


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雨にも負けず、風にも負けず・・」の詩は誰でも何度か朗誦し、

聞いた事があり、知っています。

この詩を韻読調に読み、若干節を付けて詩吟界で初めて朗誦したのが、

我々の所属する公益社団法人日本吟道学院の創始者です。

宮沢賢治は1896年、質屋・古着商を営む商家に生まれ、

凶作や飢饉に見舞われる過酷な風土の中で育ち、

決して体が丈夫でなかった賢治は、「将来は農家の人達の役に立ちたい」という思いを

一層深めていったものと思われます.

花巻市にある宮沢賢治記念館にはその足跡の「風の又三郎」や「銀河鉄道」等

イートハーブの作品が沢山残されているが

「この雨にも負けず」の詩文は賢治の没後の1934年以降に、

弟の清六によって遺稿として世に出たもの。

東北砕石工場の嘱託を務めていた賢治が壁材のセールスに上京して再び病に倒れ、

花巻の実家に戻って闘病中だった1931年秋に使用していた黒い手帳に記されていたものでした。

この東北砕石工場と言うのが岩手県東山町松川の石灰採掘工場なのだが、

実は小生はこの松川村で小学校時代の6年間を過ごし、

宮沢賢治の「雨にも負けず」を書いた地に賢治が没した20年後に居たのだ。

日本の原風景のような長閑な「山河豊かな自然の恵みのある地」で育ててもらった訳です。

しかし、この「雨にも負けず」詩は賢治そのものではなく、実在のモデルが居たらしいのです。

斉藤宗次郎
さんという賢治より20年先輩のキリスト信奉者だったそうです。

宗次郎さんはお寺の子として生まれたそうですが、小学校の教員の頃に

キリストの洗礼を受けクリスチャンとなったそうで、

当時の世相は耶蘇教(ヤソ)と言われなき迫害を受けた時代で、

耶蘇の教師は要らないとクビになり、毎朝3時に起きて新聞配達を職業としながら、

詩文にあるような暮らし振りであったそうですが、

自分の娘が村の子供たちに耶蘇教(ヤソ)の子といじめられ,

お腹を蹴られたのが元で腹膜炎で亡くなるなど、

キリストのように自らへの受難に耐え、博愛周囲に及ぼすその生き方に、

賢治は結びの詩文にあるように「そういう者に私はなりたい」と

斉藤宗次郎さんを讃えている。

1926年に彼は内村鑑三に招かれて、花巻を去って東京に引っ越したが、

花巻の地を離れる日には、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、

神主、僧侶、一般の人が駅で見送ったそうです。

その群衆の中に宮沢賢治もいたのだそうです。

1938年結核が元で38歳で没したが、賢治のイートハーブ理想郷)は今も受け継がれている

詩吟をやっていると、こうした昔親しんだ詩歌にも再び親しむことが出来て、

子供の頃の昔と違って今はその詩歌の背景や意味を調べたりもするので、

自らが勉強になる訳です。

2017/10/18  「天高し脚力いまだありにけり」  日記

雨の続く中の久々の晴れ間です・・洗濯物日ですね・・・。

我らゴルフ好きには絶好のゴルフ日和でした・・。

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ここ一週間は雨にたたれ、このチャンスを逃すわけには行きません・・。

何と36ホールある南総CCは今日は満員御礼の人出で、ハーフ3時間近く掛かってしまいました。

久々の青空を見上げながら芝生を1万4千歩・・体が喜んでいるようです。

明日から又雨の寒い日が続くそうですね・・。

秋晴れの日々は何処へ行ったのでしょうか?

2017/10/17  「新走り秘めたる闘志今もあり」  

月の砂漠の像が立つ九十九里御宿の岩瀬酒造の「ひやおろし岩の井」を頂く・・

やさしい甘味とスッキリとした飲み口で

女性でもスイスイと進んででしまうので要注意・・。

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(ひやおろしとは、夏がすぎ秋空が広がると、春先から蔵内で眠っていたお酒が熟成され、

落ち着いた味になったお酒のことです)。

御宿は大網から40キロほど南下した勝浦の手前ですが、

人情豊かな温暖な港町です。

2017/10/12  若山牧水を詠う  日記

今夕6時半から恒例の会社での詩吟教室です(第一、第二第三木曜日18時半〜20時半)

今夜から気温はどんどん下がって、明日の日中も16度〜17度としかも長雨が続くそうです

上野教室では夜の教室なので、お稽古の途中からしらたまのお酒がお茶代わりに出てくる。

冗談半分に酒吟教室などとも言ったりしていますが、

今夜は牧水のお酒の歌を取り出して大いに吟じよう。

しらたまの歯に沁みとおる秋の夜の

    酒はしずかに飲むべかりけり


放浪の歌人若山牧水は8700首の歌を残しているそうだ。

中でも詩吟愛好家は上掲の歌が好きでよく吟じる。

牧水は1928年、沼津の千本松原を終の棲家として43歳で肝硬変がもとでなくなるのだが

旅を愛し、酒を愛した牧水の歌碑は全国259基あるそうで、短い人生であっても

素晴らしい足跡を全国に残し酒を友として生涯を送った人だ。

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しらたまは白珠の真珠のように透き通るお酒を、

白玉(はくぎょく)お酒の枕詞に掛けているようだ

九十九里のほうにも足を伸ばし、又良く愛吟される以下の歌を残している

  白鳥はかなしからずや海の青

     空の青にも染まずただよう


晩年は医者に酒を止められていたそうだが、以下の盗み酒の歌も残っているのが牧水らしい

 妻が眼を盗みて飲める酒ならば

           惶(あわ)て飲み噎(む)せ鼻ゆこぼしつ

 うらかなしはしためにさえ気をおきて

           盗み飲む酒とわがなりにけり

 足音を忍ばせて行けば台所に
             
           わが酒の壜(びん)は立ちて待ちをる


牧水のお酒への執念を人間らしく現している歌だ

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  幾山川越えさり行かば寂しさの

        果てなむ国ぞ今日も旅行く


カールブッセの影響を強く受けたとされる「幾山川・・・」の歌もよく吟じられる歌だ。


2017/10/11  「虫の夜にデンキブランの走りけり」  日記

最近は家飲みが多くなりました。

ビールと枝豆でスタートしてもう一杯飲みたいかな?・・の仕上げに

棚の奥にあった神谷バーの「デンキブラン」を見つけた・・・・。

グラノマニュエルの味によく似た40度の大正ロマンのブランディが体を通り抜ける。

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浅草の神谷バーに又顔を出してみたくなったなあ・・。

このデンキブランは神谷バーでは一杯260円ですが・・・3杯飲むと腰がヤバイですよ。

大正時代には電気はハイカラなもので電気をとってデンキブランと名付けたのだそうです。

2017/10/9  脚力を確かめゐたり体育の日  日記

体育の日の祭日はゴルフです・・

組み合わせで始めてのご夫婦の方々と1万4千歩の快汗です・・。

60台後半のとても中の良い温厚ご歩夫婦で、傍目にも気持ちが良い。

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玄関の孔雀草が綺麗でした。

プロが栽培しているのでしょうね・・毎年この時期にお目見えします。

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