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2018/7/29  ライフサーバー高波の浜駆け出せり  日記

「遠浅の波に親子の素足かな」

台風一過の日曜日の九十九里大網白里海水浴場は高波で遊泳禁止ですが

遠浅の渚で若い人達や親子連れにはいい遊び場です。

さすがに人出は少なく浜辺のパラソルもまばらです。

昨日は台風接近で白里海岸の「浜まつり」は中止になり

高波で海の家の床下から駐車場まで波が来ていたようです

書き入れの週末に海の家もメインエベントの浜まつり中止も痛かったかな?・・。

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2018/7/24  古代人棲みゐし窟朝曇  旅行

万座温泉の旅3日目は朝早く起きて、硫黄の山を再度早朝の散策です。

6時から山道を歩き、石くれの道を登り熊四郎山の展望台まで・・。

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熊四郎洞窟には弥生時代の土器が出土したそうで、

古代人がこの地に暮らし、硫黄の温泉に浸っていたであろうことが偲ばれる。

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大昔の火山の爆発で溶岩が、岩山の残る標高1800Mの温泉街の硫黄の湯は効くこと間違いない。

もう少しゆっくりしたい温泉でした。

浅間山、白根山、御前岳と2000Mを越える高山は日頃海抜数メートルの地に住み、

周辺の山々はせいぜい2,3百メートルの千葉県からは別世界、

雄大な山々はいいですね・・。

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冷房のない嬬恋の地から東京に戻れば熱風の街・・・。

大網に戻ればやはり冷房を入れなければ今夜は暑くなりそうだ・・。

2018/7/23  大西日嬬恋の里覆ひけり  旅行

全国的に危険な猛暑日の続く日々、幸いなこと群馬県の嬬恋村の 万座温泉に来ています。

猛暑のニュースのなか、涼しいところに居て申し訳ないような気がしますが

夜は20度位、日中は30度ほどになるようですがホテルの部屋にもロビーにも冷房がなく、

標高1800Mの山間を散歩すれば、赤トンボが飛び交う秋ですね。

硫黄と温泉の吹き出る石くれの散策は楽しかったが

残念ながら明日は自宅に戻ります。

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2018/7/15  暑気払ふ魂の吟続きけり  日記

14日は詩吟も会・・清風会の合同一吟会でした。

暑い中元気な叔父さん、叔母さん達が何時もの新小岩の活動センターに集り

朝から夕方まで熱吟が続きました。

好きな趣味を持つことはいいことで、自身を元気にしてそして回りと元気を分かち合います。

心からの友も出来ることが嬉しいことでもあります。

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タグ: 詩吟の仲間

2018/7/4  本能寺の変の黒幕は?  詩吟

天昌10年(1582年)6月2日、(今年の旧暦6月2日は7月14日に当たる)

織田信長が本能寺で明智光秀に打たれ、業火の中に自刃・・・。

大きな歴史のターニィングポイントになった本能寺の変の記念となる日が今年も近づいてきた

戦国の最大のミステリーと言われる[本能寺の変」は明智光秀単独犯説から、

朝廷黒幕説から最近は土佐の長宗我部元親氏と光秀の交流を示す文献が見つかったとして

ニュースになったりしましたが、黒幕には他に家康説や秀吉説もあり、

いずれも説得力があるのだが、

最近改めて本能寺の変の関連の本を図書館で借りて読んでみた・・。」

幕末の頼山陽は大作「日本外史」の中でも光秀を戒めているが、

以下の有名な七言の律詩「本能寺」の一詩は本能寺の変の有様を生々しく描写している。


 本能寺 頼山陽

本能寺溝は幾尺ぞ 吾大事を就すは今夕に在り

茭粽手にあり茭を併せて食らう 四簷の梅雨 天墨の如し

老ノ坂 西に去れば備中の道 鞭を揚げ、東を指せば天猶ほ早し

吾が敵は正に本能寺に在り敵は備中に在り、汝能く備えよ


「時は今天の下知る五月哉」、「敵は本能寺に在り」、「是非もない」・・・

歴史に残る言の葉だ。

頼山陽の詩文が「本能寺の変」の多々ある説の中で根幹をなしているように思えるが・・。

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本能寺の変You Tube↓

http://www.youtube.com/watch?v=I06Uh4LWgqU&feature=related

信長が好んで舞い、本能寺の業火の中で、最後に舞ったといわれる幸若舞の敦盛の一節↓

 幸若舞の敦盛の一節

人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり

一度生を受け滅せぬ者の有るべきか


この敦盛の一節は熊谷次郎直実が「一の谷」の戦で、平敦盛と組み合い、

一度は「敦盛」を助けようとした直実も、味方の手前、

無残にも若き首を落とさなければならなかった直実の心内を語ったのですが、

そして直実は世の無常を感じ、その後は出家して敦盛の菩提をとむらうのですが、

信長の愛唱した敦盛の一節は

人の世は儚く短いものだ、だからこそ死を恐れず短い人生を思う存分生きようではないか・

・・との戦国の風雲児信長の心境であったのかもしれない。

信長がここで死ななかったら日本の歴史はどうなっていたのだろうか

人間50年の一生は「仏の世界の下層の四天王」の一昼夜に過ぎず、

人の世の命のはかなさを語っている。

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本能寺の跡地はビルの片隅の小さな空き地となって残っているだけで、

当時を偲ぶものはなかったが、本能寺の能の字の右側が去るの字になっている。

本能寺で信長の首を上げておれば、光秀の天下になったかも知れず、

骨一片の残さず、信長の怨念というか、ミステリーを深めてしまった。

この黒幕説のあれこれを調べてゆくと中々眠れなくなってくる・・。

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光秀は山崎の合戦で死んでおらず、天海和尚となって歴史に再び登場し、

天海和尚は家康、家光に使え日光東照宮を作ったが、

東照宮の柱に明智の桔梗の紋所があったり、

日光には「明智平」という地名も今も残っている。

一昨日は2時半に起きてはサッカーをみて寝不足だったが、

昨夜は本能寺の変の本などを見ていてまた夜更しをしてしまった。

真夏の夜は歴史ミステリーが似合う

2018/7/2  「梅雨明くるジャガイモ暫し日に当てて」  日記

梅雨明けて日差しが厳しくなり畑仕事も早朝のまだ涼しい時間に・・

ジャガイモを二畝掘って、お昼に頂きました・・。

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昨日からの海開きで海辺も賑わっていることでしょう・・・

夕方になったら浜辺に散歩に行ってみましょう・・。

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