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2019/10/20  「きのうけふ詩吟仲間の秋祭り」  詩吟

昨日は船堀で詩吟名人大会&地区予選を通った104人の吟士の

全国吟詠コンクールを見て聴いて、

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今日は大塚で140名の参加の合同独吟大会と二日間朝から夕方まで詩吟三昧でした・・

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さあ後一時間後のラグビー日本を応援しよう。




2019/10/15  山中の月(真山民)  漢詩

今日の詩吟教室は下記の中国・南宋の詩人「真山民」作の山中の月を学習。

隠者の暮らしをするこの作者は美しい抒情詩を数多く作詞しているが、何よりも

1993年(26年前)に他界した小生の師の十八番の詩であった。

民謡も得意であった先生の情緒豊かな高音の吟声は今でも耳に残っている。

そんなことを思い起こしながらこの詩歌を一節づつ伝えてゆくのだ。

しかし何時になっても師の情感はなかなか出せないものだ。

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  山中の月  真山民

我は愛す山中の月

烱然(けいぜん)として疎林(そりん)に掛かるを 
 
幽独(ゆうどく)の人を憐(あわれむ)が為に

流るる光は衣襟(いきん)に散ず

我が心本(もと)月の如く

月も亦また我が心の如し

心と月と両つながら相い照らし

清夜長とこしなえに相尋ぬ


「詩の心」

作者は山中にかかっている月、まばらな林を照らしている月を最も愛す。

この静かに隠棲している自分を憐れむかのように、

月の光は私の着物の襟の辺りを照らしてくれる。

自分の心はもとより月のように無欲で清らかだ。

あの清々しい月もまた自分の心と同じだ。

我が心と月とが互いに照らし合い、この素晴らしい、

美しい夜をいつまでも相尋ね合うのである。

「語 訳」

烱然=月の光り輝くさま。

疎林=木のまばらに生えている林。

幽独の人=静かに一人でいる人。ここでは真山民自身。

流光=月の光。

衣襟=着物のえり。

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隠棲(隠者の暮らし)は世捨て人ではなく、詩歌の境地や思想を深める為に

山中に暮らす詩人が多かったようで、李白の詩にも多く見受けられる。

中国4000年の歴史には素晴らしい詩歌や孔子・孟子などの中華思想が流れている。

最近の学校教育には漢詩は無くなってしまったが、

漢詩の深さにはいつも感動するものがあります。






2019/10/13  「台風一過一夜浸せし種を蒔く」  家庭菜園

夕べの恐怖の台風が過ぎ、秋晴れのもとホウレンソウ、小松菜、レタスなどの種を蒔く・・

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大根の芽台風の強風にも耐え、少し大きくなってきました・・。

さあ、ラグビー日本の勝利を信じて応援しよう。

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2019/10/9  「団栗や森に木霊の悲鳴あり」  日記

先月9日の台風で20日余りクローズしていた千葉県市原市のホームコース南総CCへ

久々に出かけてみました・・・。

千本近い木々が倒れて復旧に大変だったようですが、

方々に倒木の残骸があり、近所の民家にはブルーシートの屋根が沢山見かけます・・

あの台風が、市原市、鋸南町辺りではいかに強烈だったことが判りました。

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ゴルフ場の社員の方々が自虐的に言ってました・・

ゴルフ場殺すに刃物は要らぬ・・大型台風来れば済むと

週末の19号の直撃がまた心配になってきます。

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2019/10/7  九月十日(重陽後一日)  漢詩

重陽後一日とされる「九月十日」は今年の暦では十月八日だそうです。。

この時期はどの教室でも「菅原道真」の詩を吟じます

845年から903年の人ですから平安の時代、平清盛の時代背景より200年ほど前の頃ですが、

宇多天皇の時代から信任の厚かった菅原道真は醍醐天皇の右大臣として権勢を誇っていた。

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重陽後一日の九月十日、清涼殿では醍醐天皇の主催する詩を作る宴が開かれていた。

その時の醍醐天皇の出された[題」は「秋思」・・・。

居並ぶ重臣が日がな一日、詩を作り、それを発表して一日を送る優雅な貴族文化だった・・。

そこで作った道真の[秋思」の詩に醍醐天皇は痛く感動し、

ご自身の召されていた衣を脱いで道真に褒美として下されたという。

    秋思 菅原道真

  丞相年を度って幾度か楽思す 今宵物に触れて自然に悲し 

  声は寒し絡緯風吹くの処 葉は落つ梧桐雨打つの時 

  君春秋に富み臣漸く老ゆ 恩に涯無く報猶お遅し知らず  

  此の意何かに安慰せん 酒を飲み琴を聴き又詩を詠ず


詩の心・・・自分は多年のわたり、天皇の御恩を授かり、

お蔭でもって、幸運な生活を送ることができた。

今宵は、秋の風に触れ、感傷的になり、悲しくなってきました。

虫の声は寒々としており、吹き渡る風の中に、桐の葉に雨が落ちる音が聞こえ、

それが益々、孤独感を強めていきます。

天皇はは、まだ若く、これからの未来に楽しみもいっぱいあろうかと思いますが、

臣である私共は、既に老境を越えるところにあります。

それゆえ、陛下へのご恩に対して報いるには、時間がないことを悲しみます。

このようなどうしようもない状況で、自分の心を慰める術が見当たりません。

せいぜい、酒を飲み、琴を聴き、詩を詠じて、気を紛らわすしかない状況です。

私が十分にご奉公できないことをお許しください・・と道真の素直な心境を詩に託したもの。

今の社会と変わらないような、同僚のねたみ、嫉みから、道真は天皇に左遷され

九州大宰府に流され、門を一歩も出ることなく蟄居の暮らしの中、

失意のうちに2年後になくなるのですが、その後の都で道真を陥れた左大臣藤原時平親子、

天皇一家が非業の死を遂げ、清涼殿に雷が落ちたり、都には疫病が流行り・・・

道真の祟りと怖れられ、道真の霊を慰めるために天満宮がもうけられ、

代々の学問所の出身である道真を学問の神様として祀り、

全国に天満宮が出来たという。

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さて、道真の左遷の理由ですが

「醍醐天皇を廃して、道真の娘が嫁いだ斎世親王(醍醐天皇の弟)の擁立を企てている」

というもので、道真には一言の弁解も許されなかったというのが、通説のようです。

そして、大宰府に流された道真が二年後に作った詩とされるのが

詩吟の最初の頁に出てくる「九月十日」である

      九月十日 菅原道真

   去年の今夜清涼に待す 秋思の詩編独り断腸
 
  
   恩賜の御衣今此に在り 捧持して毎日余香を拝す


詩の心・・・思えば昨年の今夜、重陽後の宴に召され、

 清涼殿で陛下のおそばに侍べっていた。

 秋思の題を賜り、諸臣それぞれ詩を作ったが、

 ひとり自分の詩だけが悲しみに満ちたものになってしまった。

しかるに、陛下は大層おほめになり、御手みずから御衣をぬいで賜った。

それをいまも大切に持参している。

 毎日その御衣を捧げては、その移り香を拝しているのである。

冤罪にてこうして太宰府に流されているのに、少しも君を怨むことはない。

重陽とは五節句の一つで、9月9日のことで、

旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれ、邪気をはらい

小高い山に登って豊作を祝い、宴を催す習慣があったと言う・・・

平安の貴族もこれに習いさまざまな宴を催したのだそうです。

今週のこれからの教室ではこの道真の詩歌を、

また上杉謙信作の「九月十三夜陣中の作」なども季節のマッチした吟題として詠ってみましょう




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