2020/5/29 風薫る世の中動き始めけり 日記
緊急事態が解除され、少しづつ世の中動き出したようですが
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。

2020/5/29 風薫る世の中動き始めけり 日記
緊急事態が解除され、少しづつ世の中動き出したようですが
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。

2020/5/29 風薫る世の中動き始めけり 日記
緊急事態が解除され、少しづつ世の中動き出したようですが
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。

2020/5/29 風薫る世の中動き始めけり 日記
緊急事態が解除され、少しづつ世の中動き出したようですが
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。

2020/5/29 風薫る世の中動き始めけり 日記
緊急事態が解除され、少しづつ世の中動き出したようですが
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。

2020/5/29 風薫る世の中動き始めけり 日記
緊急事態が解除され、少しづつ世の中動き出したようですが
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。

2020/5/29 風薫る世の中動き始めけり 日記
緊急事態が解除され、少しづつ世の中動き出したようですが
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。
第二次感染の兆候もあって、なかなか油断できないのですが、
幸いに我が大網白里市は感染ゼロ。
お隣の東金市が1名、茂原市が3名で近隣が平穏なのは幸いです。
自宅を出ることなく、畑仕事が日課で、月に12回出かけている詩吟教室も
3月から全て休みとなり、自宅待機そのものの日々です。
6月からは公民館が開くようですが、
茂原教室では公民館が詩吟やカラオケはもう少し待って下さいとのことですね。
さて、3ヶ月自宅に居ると近所の教室に車で出かけるのはいいけど、
横浜、浦和、春日部、幕張へ電車を乗り継いで他県をまたがる外出には
まだ抵抗感があるかな?
畑では蚕豆、サヤエンドウ、玉葱の収穫が終わり、
毎日食べていたエンドウ豆、ビールのお供に美味しかった蚕豆がなくなると寂しいね。
馬鈴薯の花が咲き始めました。

2020/5/6 平家物語 日記
常なるものなどなにもなく、権勢を誇っているものもやがては
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)
驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。
(扇の的を射る那須の与一)
琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)
清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)

驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。

琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)

清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
2020/5/6 平家物語 日記
常なるものなどなにもなく、権勢を誇っているものもやがては
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)
驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。
(扇の的を射る那須の与一)
琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)
清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)

驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。

琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)

清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
2020/5/6 平家物語 日記
常なるものなどなにもなく、権勢を誇っているものもやがては
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)
驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。
(扇の的を射る那須の与一)
琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)
清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)

驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。

琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)

清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
2020/5/6 平家物語 日記
常なるものなどなにもなく、権勢を誇っているものもやがては
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)
驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。
(扇の的を射る那須の与一)
琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)
清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)

驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。

琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)

清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
2020/5/6 平家物語 日記
常なるものなどなにもなく、権勢を誇っているものもやがては
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)
驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。
(扇の的を射る那須の与一)
琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)
清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)

驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。

琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)

清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
2020/5/6 平家物語 日記
常なるものなどなにもなく、権勢を誇っているものもやがては
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)
驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。
(扇の的を射る那須の与一)
琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)
清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)

驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。

琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)

清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
2020/5/6 平家物語 日記
常なるものなどなにもなく、権勢を誇っているものもやがては
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)
驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。
(扇の的を射る那須の与一)
琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)
清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
滅びの道に向かうものである「平家物語の祇園精舎」の始めの言葉だ。
コロナ禍の昨今、詩吟教室も全てお休みで、お風呂の中でこの一節を吟じた。
平家物語(祇園精舎の一節)
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

*祇園精舎の鐘の声
「祇園精舎」はインドにあるお寺の名前を日本語に音訳したもの。「声」は「音」の意。
*諸行無常の響きあり
「諸行」は「万物」、つまりこの世に存在するありとあらゆる物という意味の仏教用語。
前の文と合わせて、鐘をついたときにだんだんと小さくなっていく音に永遠に続くものは
無いと悟らせてくれるような響きがあるという意味のようです。
*沙羅双樹の花の色
沙羅双樹は、ツバキ科落葉樹の「ナツツバキ」のことで、この白い花は朝咲いて夕べには散り、
花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。
この沙羅双樹の下で釈迦は入滅したとされている。
(沙羅双樹の花)

驕り高ぶった人も、いつまでも驕りに耽っていることは出来ず、
それはあたかも春の夜の夢のように儚いもの、
勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうもの
それはあたかも風の前の塵のようなものだ。
平家物語を夢中で読んだ昔もあったが、
誰もが我が人生を振り返り、
我が身とその周辺に盛者必衰の理(ことわり)を見たり感じたりしてきたものです。
歴史の中にある数多の「驕れる人も久しからず」を知り、
今の世の中にも、「偏に風の前の塵に同じ」と切に聞かせてやりたい人も居るかも?・・・。

琵琶法師が物語風に津々浦々で平家滅亡の有様を伝えたと言われますが、
詩吟のルーツも琵琶法師から始まっているとの説もあります。
琵琶の先生方が、昭和になって大挙して詩吟に転向した歴史は事実です。
(安徳天皇入水)

清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院徳子は入水後に助けられ、
「平家滅亡の後の菩提を大原で弔ったとされているが「三種の神器」の内
「宝剣」は海に沈み戻らなかったとそうだ。
もう一度ゆっくり平家物語を読み直してみたいと思う。
吟詠「平家物語の一節」
https://www.youtube.com/watch?v=y3o0_sK8QiM
2020/5/2 コロナ禍の世相も知らず躑躅燃ゆ 日記
近所の躑躅屋敷です


夏日となった今日も裏の畑で耕運機を動かしてたら
汗ビッショリです・・今までも畑作業は汗ばむ位で下着を替えてタオルで拭く程度でしたが、
今日は水のシャワーです。
気持ちのよい季節ですね。
何処にも出かけず、畑を耕し、カミさんは週に二度の買い物を空いている時間に出かけるだけ。
今はじっとしているのが自分の為でもあり人の為ですね。
詩吟教室も三月、四月に続いて五月も全休となりました。


夏日となった今日も裏の畑で耕運機を動かしてたら
汗ビッショリです・・今までも畑作業は汗ばむ位で下着を替えてタオルで拭く程度でしたが、
今日は水のシャワーです。
気持ちのよい季節ですね。
何処にも出かけず、畑を耕し、カミさんは週に二度の買い物を空いている時間に出かけるだけ。
今はじっとしているのが自分の為でもあり人の為ですね。
詩吟教室も三月、四月に続いて五月も全休となりました。