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2020/9/25  辛口の酒酌む秋の夜長かな  日記

台風が逸れてホッとした今日は一日シトシトと秋の雨です・・

急に寒くなって今夜は新潟の超乃「景虎」の熱燗です・・。

超辛口と銘打ってますが、程よき飲み口かな・・。

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2020/9/24  奥の細道(最上川の一節)  詩吟

松尾芭蕉の「奥の細道」では「平泉の一節」が最も知られているが

新庄の本合海(もとあいかい)に到る「最上川舟下り」を記した

「最上川の一節」も 躍動感がある。 

最上川はみちのくより出て山形を水上とす

碁天・隼など云う恐ろしき難所あり

板敷山の北を流れて果ては酒田の海に入る

左右山覆ひ茂みの中に船を下す

これに稲つみたるをや 稲船といふならし

白糸の瀧は青葉の隙隙に落ちて仙人堂岸に臨て立つ

水みなぎつて舟あやうし


芭蕉一行が船下りをしたのは陽暦7月中頃で梅雨明け前の水嵩の多い頃だったのだ。

碁天・隼は地名で川底の石を、又流れの速さを隼に比喩し、最上川の急流を芭蕉は詠んでいる。

昔は稲を船に積んで山間のせり出す急勾配な両岸のこの急流を下っていったのだ。

有名な「五月雨や」の句は背景を理解すると容易に景が広がってくる。

  五月雨をあつめて早し最上川  

こうした詩を口にして吟じるのだが、当然芭蕉の立石寺から羽州街道を北上し

最上川の舟に乗っている姿を重ねて吟じるのだが、

芭蕉の旅を辿っての数々の句を吟味し芭蕉の世界に浸っていられるのも詩吟の魅力だ・。

出羽三山を訪ねた芭蕉の句碑の有名なものには次の三句が良く知られている

 * 涼しさやほの三日月の羽黒山

 * 雲の峯いくつ崩して月の山

 * 語られぬ湯殿に濡らす袂かな


芭蕉の「奥の細道」の旅は千住・深川からゴールの大垣まで約5ヶ月、

その距離は約2500キロにもなるそうで、当然歩いての旅だが、

一行の路銀も相当なものと推察されるが、有名な俳人であった芭蕉の弟子や

その地方の豪農や豪商から宿泊を提供され、

そして彼等は、全国をくまなく歩いている芭蕉から情報を得ていたに違いない。

「芭蕉忍者説」は、当時としては各地の情報を知りえていた旅人であったことで

そんな風な説もあるのだろうが、俳人芭蕉はあくまでも俳人であっただろうね。

又、文化人を逗留させることは彼等には当時のステータスであったのだろう。

  * 閑さや岩にしみ入る蝉の声(立石寺)

  * あつみ山や吹浦かけて夕すヾみ(酒田)

  * 珍しや山をいで羽の初茄子び(鶴岡)

  * 象潟や 雨に西施が ねぶの花(象潟)


     西施(せいし)は中国春秋時代の美女の名。

芭蕉の句にはいずれも品格があっていいね

芭蕉の出身地三重には「俳人芭蕉」という純米酒があるのだそうだが、

一度あやかって飲んでみたいもの・・・。

2020/9/22  「新涼にしらたまの酒酌みにけり」  詩吟

しらたまの葉に染み透る秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり(若山牧水)

日本酒が美味い季節になりました

因みにお銚子に入れてありますが、常温で頂いています

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今日は特別な日程で午後から土気教室が有りました

8巻の終盤、ありがとう(竹田恵子)、あじさいの花(高田敏子)、

奥野細道(最上川の一節.芭蕉)、一茶連吟の詩歌を吟じました。

それぞれ個々に吟じてもらいましたが、皆さんお上手なものです・・。

2020/9/9  九月十日(重陽後一日)  詩吟

重陽後一日とされる「九月十日」は今年の暦では十月八日だそうです。。

この時期はどの教室でも「菅原道真」の詩を吟じます

845年から903年の人ですから平安の時代、平清盛の時代背景より200年ほど前の頃ですが、

宇多天皇の時代から信任の厚かった菅原道真は醍醐天皇の右大臣として権勢を誇っていた。

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重陽後一日の九月十日、清涼殿では醍醐天皇の主催する詩を作る宴が開かれていた。

その時の醍醐天皇の出された[題」は「秋思」・・・。

居並ぶ重臣が日がな一日、詩を作り、それを発表して一日を送る優雅な貴族文化だった・・。

そこで作った道真の[秋思」の詩に醍醐天皇は痛く感動し、

ご自身の召されていた衣を脱いで道真に褒美として下されたという。

    秋思 菅原道真

  丞相年を度って幾度か楽思す 今宵物に触れて自然に悲し 

  声は寒し絡緯風吹くの処 葉は落つ梧桐雨打つの時 

  君春秋に富み臣漸く老ゆ 恩に涯無く報猶お遅し知らず  

  此の意何かに安慰せん 酒を飲み琴を聴き又詩を詠ず


詩の心・・・自分は多年のわたり、天皇の御恩を授かり、

お蔭でもって、幸運な生活を送ることができた。

今宵は、秋の風に触れ、感傷的になり、悲しくなってきました。

虫の声は寒々としており、吹き渡る風の中に、桐の葉に雨が落ちる音が聞こえ、

それが益々、孤独感を強めていきます。

天皇はは、まだ若く、これからの未来に楽しみもいっぱいあろうかと思いますが、

臣である私共は、既に老境を越えるところにあります。

それゆえ、陛下へのご恩に対して報いるには、時間がないことを悲しみます。

このようなどうしようもない状況で、自分の心を慰める術が見当たりません。

せいぜい、酒を飲み、琴を聴き、詩を詠じて、気を紛らわすしかない状況です。

私が十分にご奉公できないことをお許しください・・と道真の素直な心境を詩に託したもの。

今の社会と変わらないような、同僚のねたみ、嫉みから、道真は天皇に左遷され

九州大宰府に流され、門を一歩も出ることなく蟄居の暮らしの中、

失意のうちに2年後になくなるのですが、その後の都で道真を陥れた左大臣藤原時平親子、

天皇一家が非業の死を遂げ、清涼殿に雷が落ちたり、都には疫病が流行り・・・

道真の祟りと怖れられ、道真の霊を慰めるために天満宮がもうけられ、

代々の学問所の出身である道真を学問の神様として祀り、

全国に天満宮が出来たという。

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さて、道真の左遷の理由ですが

「醍醐天皇を廃して、道真の娘が嫁いだ斎世親王(醍醐天皇の弟)の擁立を企てている」

というもので、道真には一言の弁解も許されなかったというのが、通説のようです。

そして、大宰府に流された道真が二年後に作った詩とされるのが

詩吟の最初の頁に出てくる「九月十日」である

      九月十日 菅原道真

   去年の今夜清涼に待す 秋思の詩編独り断腸
 
  
   恩賜の御衣今此に在り 捧持して毎日余香を拝す


詩の心・・・思えば昨年の今夜、重陽後の宴に召され、

 清涼殿で陛下のおそばに侍べっていた。

 秋思の題を賜り、諸臣それぞれ詩を作ったが、

 ひとり自分の詩だけが悲しみに満ちたものになってしまった。

しかるに、陛下は大層おほめになり、御手みずから御衣をぬいで賜った。

それをいまも大切に持参している。

 毎日その御衣を捧げては、その移り香を拝しているのである。

冤罪にてこうして太宰府に流されているのに、少しも君を怨むことはない。

重陽とは五節句の一つで、9月9日のことで、

旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれ、邪気をはらい

小高い山に登って豊作を祝い、宴を催す習慣があったと言う・・・

平安の貴族もこれに習いさまざまな宴を催したのだそうです。

今週のこれからの教室ではこの道真の詩歌を、

また上杉謙信作の「九月十三夜陣中の作」なども季節のマッチした吟題として詠ってみましょう

2020/9/4  「新米に梅干ひとつ有れば良し」  日記

九十九里の刈り入れも大分進みました。

8月末に何時もの馴染の農家の新米を買ってましたが、今夜は待望の新米ご飯でした・・。

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珍しくお替りを頂きました
タグ: 新米




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