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平野次郎國臣  詩吟

幕末維新前後には、憂国勤王の志士が多く出ましたが、

その中でも優れた勤王の志士として名高いその一人に筑前黒田家に仕え、

大西郷の盟友であった平野次郎國臣がいる。

クリックすると元のサイズで表示します(平野國臣自画像)

維新に名を残す村田新八らの手引きで薩摩へ入るが、藩主島津久光は浪人を嫌い、

大久保一蔵利通も浪人とは一線を画す方針で、結局、国臣は退去させられることになる。

失望した平野國臣は

「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」と詠じている

9/15に日本芸能の集い(東金文化会館)での清風会の吟詠吟詠と上総吟詠会の剣舞で

平野國臣作「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」を演じた。

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You Tubu動画「我が胸の」↓




平野國臣は安政の大獄で公家と通じ、勤皇の僧として幕府に追われた「月照」を

薩摩藩に案内した人物としても知られている。

しかし薩摩藩は幕府からの追求を恐れ、「月照」を藩から追放し、暗殺しようと試みます。

西郷隆盛と月照、平野國臣は錦江湾に船を出し、薩摩藩から脱出を図るが、

西郷隆盛と月照は失望し互いに相抱き合って寒中の海に身を投げ心中を図るが、

それに気づいた平野國臣が船を止め懸命に暗い海上を探すが、海面に浮いてきた

二人を救い上げ、介抱するが月照は既に絶命、西郷はすんでのところで命を吹き返す。

幕末の志士として活躍した國臣も幕府に捕らえられ京へ護送され六角獄舎につながれ、

禁門の変を端にして発生した火災(どんどん焼け)は京都市中に広く延焼、

獄舎に火が及び、囚人が脱走して治安を乱すことを恐れた京都所司代配下の役人が

囚人の処刑を決断、他の囚人とともに斬首された。

辞世は「みよや人嵐の庭のもみぢ葉はいづれ一葉も散らずやはある」

享年37、明治24年(1891年)に正四位を贈られ名誉回復されている。

上掲の「わが胸の・・・」歌は広く知られており、福岡市西公園には銅像が建っている




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