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諸葛孔明  エッセイ

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先週のゴルフはマスターズ帰りの期待の石川遼君は時差ぼけとパットに苦しみ37位に

終ったがプレーオフを制して優勝したのは、小田孔明

三国志の諸葛孔明から名を頂戴したというこれまた3年前から注目していた逸材。

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元々は飛ばし屋で定評があったが大きい身体に細く小さい目が何とも三国志の英雄と

対比して面白い。子供の昔夢中で読んだ三国志の諸葛孔明を思い出してみたい。

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諸葛 亮(しょかつ りょう、181年 - 234年)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・

武将・軍略家・発明家。字は孔明(こうめい)。
蜀漢の建国者である劉備玄徳の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐し

伏龍、臥龍とも呼ばれる。

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 三顧の礼

諸葛亮は晴耕雨読の毎日を送っていたが、友人の徐庶が劉備の下に出入りして、

諸葛亮のことを劉備に話した。

人材を求める劉備は徐庶に諸葛亮を連れてきてくれるように頼んだが、

徐庶は「諸葛亮は私が呼んだくらいで来るような人物ではない」と言ったため、

劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、やっと幕下に迎えることができた。

これが有名な「三顧の礼」である

三顧の礼を尽くして人材を迎え入れて成功した企業は歴史に数多ある。

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泣いて馬謖を切る

蜀(蜀漢)の武将・馬謖(ばしょく)が、街亭の戦いで諸葛亮の指示に背いて

敗戦を招いた。この責任をとり馬謖は処刑されることになるが、

馬謖は諸葛亮の愛弟子であり、他の武将の一部からも「馬謖ほどの有能な将を」と

慰留の声があがった。しかし諸葛亮は「軍律の遵守が最優先」と涙を流しながらも

処刑に踏み切った。

諸葛亮は「馬謖のために涙を流した」と書かれている。

つまり、軍律を守る為に愛弟子を処刑することになり、

彼のことを思って諸葛亮は泣いたとされている

これが故事成語の「泣いて馬謖を切る」の語源とされている。

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  天下三分の計

諸葛亮が劉備に説いた戦略。日本では一般的に天下三分の計(てんかさんぶんのけい)

として知られているが、「天下三分の計」すなわち「三勢力が鼎立し均衡を保つ戦略」

を示す場合、この戦略は諸葛亮独自による発想ではなく、

言葉の用法として注意が必要である。諸葛亮の「天下三分の計」は

「天下を三分して均衡を保つ」ことが目的ではなく、あくまでも「天下を統一する」

ことを目的とした戦略であって三分すること自体はその手段にすぎない。

後漢末期より前の楚漢戦争の時代に説客蒯通が漢の将軍で斉王に即位した韓信に

楚、漢、斉による天下三分の計を提案したり、

現代でも国家レベル、企業レベルなどにおいて三勢力が拮抗し均衡を保つ手法を、

隆中策の故事に倣い「天下三分の計」と表現することがある。

さてさて、小田孔明君、三国志の英雄諸葛孔明のように天下に歴史に名を残す事が

出来るかどうか、本人はマスターズに出てタイガー・ウッズと戦い自分を試して

みたいと夢は大きい。大いに注目して見てゆきたい。








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