にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村 にほんブログ村 経済ブログ 世界経済へ
にほんブログ村 にほんブログ村 ゴルフブログ ゴルフ情報へ
にほんブログ村
2021/2/26  菅原道真の忌  詩吟

昨日25日は学問の神様「菅原道真」の忌日でした。

道真公ゆかりの大宰府天満宮では恒例の梅花祭りが行われます

やはり「菅原道真」の詩を思い出される

845年から903年の人ですから平安時代の人ですが、

今なお学問の神様として若い人たちにも慕われているのは、

道真公の醍醐天皇への忠誠心や大宰府に左遷された不運な境遇や

道真の祟りとして怖れられた雷神の魂を鎮めるために建てられた

全国の多くの天満宮の為でしょうか。

 * 東風吹かば思い起こせよ梅の花

       あるじなしとて春な忘れそ


(大宰府天満宮正面の飛び梅伝説として伝えられている梅の木)

クリックすると元のサイズで表示します

(同飛び梅の秋の風情)

クリックすると元のサイズで表示します

平清盛の時代背景より200年ほど前の頃ですが、

宇多天皇の時代から信任の厚かった

菅原道真は醍醐天皇の右大臣として権勢を誇っていた。

重陽後一日の九月十日、

清涼殿では醍醐天皇の主催する詩を作る宴が開かれていた。

その時の醍醐天皇の出された[題」は「秋思」・・・。

居並ぶ重臣が日がな一日、詩を作り、

それを発表して一日を送る優雅な貴族文化だった・・。

そこで作った道真の[秋思」の詩に醍醐天皇は痛く感動し、

ご自身の召されていた衣を脱いで道真に褒美として下されたという。

クリックすると元のサイズで表示します

    秋思 菅原道真

  丞相年を度って幾度か楽思す 今宵物に触れて自然に悲し 

  声は寒し絡緯風吹くの処 葉は落つ梧桐雨打つの時 

  君春秋に富み臣漸く老ゆ 恩に涯無く報猶お遅し知らず  

  此の意何かに安慰せん 酒を飲み琴を聴き又詩を詠ず


詩の心・・・自分は多年のわたり、天皇の御恩を授かり、

お蔭でもって、幸運な生活を送ることができた。

今宵は、秋の風に触れ、感傷的になり、悲しくなってきました。

虫の声は寒々としており、吹き渡る風の中に、桐の葉に雨が落ちる音が聞こえ、

それが益々、孤独感を強めていきます。

天皇はは、まだ若く、これからの未来に楽しみもいっぱいあろうかと思いますが、

臣である私共は、既に老境を越えるところにあります。

それゆえ、陛下へのご恩に対して報いるには、時間がないことを悲しみます。

このようなどうしようもない状況で、自分の心を慰める術が見当たりません。

せいぜい、酒を飲み、琴を聴き、詩を詠じて、気を紛らわすしかない状況です。

私が十分にご奉公できないことをお許しください・・と

道真の素直な心境を詩に託したもの。


今の社会と変わらないような、同僚のねたみ、嫉みから、道真は天皇に左遷され

九州大宰府に流され、門を一歩も出ることなく蟄居の暮らしの中、

悲嘆のうちに2年後になくなるのですが、

その後の都で道真を陥れた左大臣藤原時平親子、

天皇一家が非業の死を遂げ、清涼殿に雷が落ちたり、都には疫病が流行り・・・

道真の祟りと怖れられ、道真の霊を慰めるために天満宮がもうけられ、

代々の学問所の出身である道真を学問の神様として祀り、

全国に天満宮が出来たという。

さて、道真の左遷の理由ですが

「醍醐天皇を廃して、道真の娘が嫁いだ斎世親王(醍醐天皇の弟)の擁立を企てている」

というもので、道真には一言の弁解も許されなかったというのが、通説のようです。

そして、大宰府に流された道真が二年後に作った詩とされるのが

詩吟の最初の頁に出てくる「九月十日」である

クリックすると元のサイズで表示します

      九月十日 菅原道真

   去年の今夜清涼に待す 秋思の詩編独り断腸 
 
  
  恩賜の御衣今此に在り 捧持して毎日余香を拝す


詩の心・・・思えば昨年の今夜、重陽後の宴に召され、

 清涼殿で陛下のおそばに侍べっていた。

 秋思の題を賜り、諸臣それぞれ詩を作ったが、

 ひとり自分の詩だけが悲しみに満ちたものになってしまった。

しかるに、陛下は大層おほめになり、御手みずから御衣をぬいで賜った。

それをいまも大切に持参している。

毎日その御衣を捧げては、その移り香を拝しているのである。

冤罪にてこうして太宰府に流されているのに、少しも君を怨むことはない。

重陽とは五節句の一つで、9月9日のことで、

旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれ、邪気をはらい

小高い山に登って豊作を祝い、宴を催す習慣があったと言う・・・

平安の貴族もこれに習いさまざまな宴を催したのだそうです。

さて週明けには近畿、福岡、岐阜の緊急事態宣言が解除されるそうですが

東京近県4都県は予定通り3月7日までだそうです

詩吟教室も3月7日以降の予定が立ち始めて漸く動きが始まりそうです

巣篭もりで大きな声を出せず多くの詩吟愛好家はストレスが多く溜まって

いることでしょう

もう少しですね



2020/10/24  鞭聲肅肅夜河を過る  詩吟

第4週土曜日は東金教場の詩吟教室です。

新しい方たちが多いため9月から第一巻から順番に進めている

今日は頼山陽作の「川中島」です。

 「川中島の戦いの一節」を吟じた

450年その昔、三太刀七太刀切り込めば

軍配団扇で打ち払う甲越主将の一騎打ち

 降るとみて笠とる暇もなかりけり

 川中島の夕立の雨

鞭聲肅肅夜河を過る 曉に見る千兵の大牙を擁するを

遺恨なり十年一劍を磨き 流星光底長蛇を逸す


詩の心・・・副題を「不識庵 機山を打つの図に題す」とあり

不識庵(上杉謙信)が機山(武田信玄)を襲う図である

馬の鞭の音さえもたてないよう、

上杉謙信軍は静かに夜に乗じて川を渡った。

夜が明けると武田軍の目の前までに迫っていた。

西条山を降り立った上杉軍は「車懸かり」の陣形で

渦巻き返す犀川を渡り川中島の中州へ突入すると、

武田群は鶴が翼を広げたような「鶴翼の陣」を敷いて待ち受ける

しかし長い年月で磨き上げた謙信の腕前もかいなく、

流れ星のごとく一瞬の差で、信玄を打ち逃がしてしまった。

クリックすると元のサイズで表示します

川中島の戦いの主な戦闘は、計5回、12年余りに及び

実際に「川中島」で戦闘が行われたのは、

第二次の犀川の戦いと第四次のみであり、

一般に「川中島の戦い」と言った場合、

最大の激戦であった第4次合戦(永禄4年9月9日(1561年10月17日)から10日(18日))を

指すことが多いようです。

この戦いの模様を頼山陽が生き生きと描写したのが上掲の詩で

詩吟といえば「鞭聲肅肅(べんせいしゅくしゅく)」とも言われている。

クリックすると元のサイズで表示します

石原詢子さんの吟じる川中島(不識庵機山を撃つの図に題す)と武田武士もいい↓

http://www.youtube.com/watch?v=olguD6WJ3Qc

2020/10/3   東照公遺訓   詩吟

土曜日は詩吟の日です

午前中の大網教室は九巻の東照公遺訓の歌として添えられている「人はただ・・・・」の一節を

人はただ身のほどを知れ草の葉の露も重きは落つるものかな

芋の葉に溜まった露の落ちるのを見て、人生訓に例えた歌として知られている。

家康の一生も幼くして織田家、今川家の人質として暮らし、武田軍との戦に破れ、

信長の命により長男の信康、正妻の「築山殿」をも死に陥れ、秀吉の妹の旭姫を正妻とし、

数多の試練を経た苦労人にして天下を取り得た人の人生訓だ・・・。

     東照公遺訓 徳川家康

人の一生は 重荷を負うて遠き道を行くが如し急ぐべからず 

不自由を常と思えば不足なし心にに望みおこらば 

困窮したる時を思い出すべし堪忍は無事長久の基怒りは敵と思え

勝つことばかり知り負くる事を知らざれば害その身に至る

己れを責めて人を責むるな及ばざるは過ぎたるに勝れリ 
 

徳川幕府265年の礎を築いた 徳川家康公の処世訓だ・・・・。

「座右の銘」としてこの遺訓を書斎や職場に掲げて己の戒めとしている方達も多い。

クリックすると元のサイズで表示します

 クリックすると元のサイズで表示します

我々子供の頃の「家康像」イメージは狸親父そのものだったが、

歴史の評価は変わってきている。

この教訓詩を吟じるのも己の戒めとして良いものだ・・。

麒麟が来る」ではどのように家康像が描かれているのか楽しみだ。

タグ: 徳川家康

2020/9/24  奥の細道(最上川の一節)  詩吟

松尾芭蕉の「奥の細道」では「平泉の一節」が最も知られているが

新庄の本合海(もとあいかい)に到る「最上川舟下り」を記した

「最上川の一節」も 躍動感がある。 

最上川はみちのくより出て山形を水上とす

碁天・隼など云う恐ろしき難所あり

板敷山の北を流れて果ては酒田の海に入る

左右山覆ひ茂みの中に船を下す

これに稲つみたるをや 稲船といふならし

白糸の瀧は青葉の隙隙に落ちて仙人堂岸に臨て立つ

水みなぎつて舟あやうし


芭蕉一行が船下りをしたのは陽暦7月中頃で梅雨明け前の水嵩の多い頃だったのだ。

碁天・隼は地名で川底の石を、又流れの速さを隼に比喩し、最上川の急流を芭蕉は詠んでいる。

昔は稲を船に積んで山間のせり出す急勾配な両岸のこの急流を下っていったのだ。

有名な「五月雨や」の句は背景を理解すると容易に景が広がってくる。

  五月雨をあつめて早し最上川  

こうした詩を口にして吟じるのだが、当然芭蕉の立石寺から羽州街道を北上し

最上川の舟に乗っている姿を重ねて吟じるのだが、

芭蕉の旅を辿っての数々の句を吟味し芭蕉の世界に浸っていられるのも詩吟の魅力だ・。

出羽三山を訪ねた芭蕉の句碑の有名なものには次の三句が良く知られている

 * 涼しさやほの三日月の羽黒山

 * 雲の峯いくつ崩して月の山

 * 語られぬ湯殿に濡らす袂かな


芭蕉の「奥の細道」の旅は千住・深川からゴールの大垣まで約5ヶ月、

その距離は約2500キロにもなるそうで、当然歩いての旅だが、

一行の路銀も相当なものと推察されるが、有名な俳人であった芭蕉の弟子や

その地方の豪農や豪商から宿泊を提供され、

そして彼等は、全国をくまなく歩いている芭蕉から情報を得ていたに違いない。

「芭蕉忍者説」は、当時としては各地の情報を知りえていた旅人であったことで

そんな風な説もあるのだろうが、俳人芭蕉はあくまでも俳人であっただろうね。

又、文化人を逗留させることは彼等には当時のステータスであったのだろう。

  * 閑さや岩にしみ入る蝉の声(立石寺)

  * あつみ山や吹浦かけて夕すヾみ(酒田)

  * 珍しや山をいで羽の初茄子び(鶴岡)

  * 象潟や 雨に西施が ねぶの花(象潟)


     西施(せいし)は中国春秋時代の美女の名。

芭蕉の句にはいずれも品格があっていいね

芭蕉の出身地三重には「俳人芭蕉」という純米酒があるのだそうだが、

一度あやかって飲んでみたいもの・・・。

2020/9/22  「新涼にしらたまの酒酌みにけり」  詩吟

しらたまの葉に染み透る秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり(若山牧水)

日本酒が美味い季節になりました

因みにお銚子に入れてありますが、常温で頂いています

クリックすると元のサイズで表示します

今日は特別な日程で午後から土気教室が有りました

8巻の終盤、ありがとう(竹田恵子)、あじさいの花(高田敏子)、

奥野細道(最上川の一節.芭蕉)、一茶連吟の詩歌を吟じました。

それぞれ個々に吟じてもらいましたが、皆さんお上手なものです・・。

2020/9/9  九月十日(重陽後一日)  詩吟

重陽後一日とされる「九月十日」は今年の暦では十月八日だそうです。。

この時期はどの教室でも「菅原道真」の詩を吟じます

845年から903年の人ですから平安の時代、平清盛の時代背景より200年ほど前の頃ですが、

宇多天皇の時代から信任の厚かった菅原道真は醍醐天皇の右大臣として権勢を誇っていた。

クリックすると元のサイズで表示します

重陽後一日の九月十日、清涼殿では醍醐天皇の主催する詩を作る宴が開かれていた。

その時の醍醐天皇の出された[題」は「秋思」・・・。

居並ぶ重臣が日がな一日、詩を作り、それを発表して一日を送る優雅な貴族文化だった・・。

そこで作った道真の[秋思」の詩に醍醐天皇は痛く感動し、

ご自身の召されていた衣を脱いで道真に褒美として下されたという。

    秋思 菅原道真

  丞相年を度って幾度か楽思す 今宵物に触れて自然に悲し 

  声は寒し絡緯風吹くの処 葉は落つ梧桐雨打つの時 

  君春秋に富み臣漸く老ゆ 恩に涯無く報猶お遅し知らず  

  此の意何かに安慰せん 酒を飲み琴を聴き又詩を詠ず


詩の心・・・自分は多年のわたり、天皇の御恩を授かり、

お蔭でもって、幸運な生活を送ることができた。

今宵は、秋の風に触れ、感傷的になり、悲しくなってきました。

虫の声は寒々としており、吹き渡る風の中に、桐の葉に雨が落ちる音が聞こえ、

それが益々、孤独感を強めていきます。

天皇はは、まだ若く、これからの未来に楽しみもいっぱいあろうかと思いますが、

臣である私共は、既に老境を越えるところにあります。

それゆえ、陛下へのご恩に対して報いるには、時間がないことを悲しみます。

このようなどうしようもない状況で、自分の心を慰める術が見当たりません。

せいぜい、酒を飲み、琴を聴き、詩を詠じて、気を紛らわすしかない状況です。

私が十分にご奉公できないことをお許しください・・と道真の素直な心境を詩に託したもの。

今の社会と変わらないような、同僚のねたみ、嫉みから、道真は天皇に左遷され

九州大宰府に流され、門を一歩も出ることなく蟄居の暮らしの中、

失意のうちに2年後になくなるのですが、その後の都で道真を陥れた左大臣藤原時平親子、

天皇一家が非業の死を遂げ、清涼殿に雷が落ちたり、都には疫病が流行り・・・

道真の祟りと怖れられ、道真の霊を慰めるために天満宮がもうけられ、

代々の学問所の出身である道真を学問の神様として祀り、

全国に天満宮が出来たという。

クリックすると元のサイズで表示します

さて、道真の左遷の理由ですが

「醍醐天皇を廃して、道真の娘が嫁いだ斎世親王(醍醐天皇の弟)の擁立を企てている」

というもので、道真には一言の弁解も許されなかったというのが、通説のようです。

そして、大宰府に流された道真が二年後に作った詩とされるのが

詩吟の最初の頁に出てくる「九月十日」である

      九月十日 菅原道真

   去年の今夜清涼に待す 秋思の詩編独り断腸
 
  
   恩賜の御衣今此に在り 捧持して毎日余香を拝す


詩の心・・・思えば昨年の今夜、重陽後の宴に召され、

 清涼殿で陛下のおそばに侍べっていた。

 秋思の題を賜り、諸臣それぞれ詩を作ったが、

 ひとり自分の詩だけが悲しみに満ちたものになってしまった。

しかるに、陛下は大層おほめになり、御手みずから御衣をぬいで賜った。

それをいまも大切に持参している。

 毎日その御衣を捧げては、その移り香を拝しているのである。

冤罪にてこうして太宰府に流されているのに、少しも君を怨むことはない。

重陽とは五節句の一つで、9月9日のことで、

旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれ、邪気をはらい

小高い山に登って豊作を祝い、宴を催す習慣があったと言う・・・

平安の貴族もこれに習いさまざまな宴を催したのだそうです。

今週のこれからの教室ではこの道真の詩歌を、

また上杉謙信作の「九月十三夜陣中の作」なども季節のマッチした吟題として詠ってみましょう

2020/7/18  「稲の花農薬を撒く無人ヘリ」  詩吟

稲の花が咲き、小さいですが穂をつけ始めた田圃です・・。

6月末から毎日雨が降ってますが、振り返ると結構毎日畑仕事に出てましたね。

さて土曜の詩吟の日が戻ってきました。

午前は大網、午後は茂原教室で各2時間づつ、

道元、親鸞の短歌ほか高田敏子作「あじさいの花」など

皆さん気魄を込めた吟詠です。

クリックすると元のサイズで表示します

  あじさいの花  高田敏子

あじさいの花は散ることをしない 雨の日を咲きつづけ

秋風の中を咲き続け 咲きつづける心をそのまま残して枯れてゆく

散る花より あわれなさびしさ

ひとりの人を 想いつづける心に にている


クリックすると元のサイズで表示します

2020/1/26  「暖かや貸し借りのなき友と居て」  詩吟

25日は詩吟の会「清風会」の昇段一吟会を新小岩で開催、

熱吟と懇親会の和やかさの一日でした・・。

大網方面の5教場と横浜、戸塚、西浦和、豊春、幕張、花見川の各教場の中間点位にある

総武線の新小岩駅から歩5分程度の新小岩活動センターで行っています。

クリックすると元のサイズで表示します

             クリックすると元のサイズで表示します

皆さん会場に9時前後に集合しますから、それぞれ7時過ぎに家を出てきます。

毎年、冬・夏と二回行っていますが、やはり舞台で一人吟じるのは緊張するものです。

どこかのテレビ番組の「私失敗しないので・・・」という具合にゆかぬもので、

クリックすると元のサイズで表示します

しかし、70歳、80歳になって緊張する時があるというのも、また良いもの・・・。

クリックすると元のサイズで表示します

             クリックすると元のサイズで表示します

お一人二吟づつ独銀をして、教場ごとの合吟をやり、吟じた後の一時間の懇親も

参加者がそれぞれ一人一人が主役で盛り上がりました。

クリックすると元のサイズで表示します

5時前に散会となったが、有志が連れ立ってカラオケに繰り出して行くのも何時ものこと。

若い人たちの入会が少なくなってきますが、団塊世代へ中心の詩吟の普及をしながら

お互いに楽しくやっているのです。

2019/10/20  「きのうけふ詩吟仲間の秋祭り」  詩吟

昨日は船堀で詩吟名人大会&地区予選を通った104人の吟士の

全国吟詠コンクールを見て聴いて、

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

今日は大塚で140名の参加の合同独吟大会と二日間朝から夕方まで詩吟三昧でした・・

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

さあ後一時間後のラグビー日本を応援しよう。




2019/8/14  種田山頭火  詩吟

山頭火の詩歌の陰陽取り合わせの吟じ方が好きな人達が結構多い詩吟教室です。

陰陽の伴奏のCDが出来てから詠い易くなった所為でもあるようです・・。

 山頭火連吟(しぐれの旅) 種田山頭火

しぐるるやしぐるる山にへ歩み入る

へうへうとして水を味う

笠も漏り出したか

ほろほろ酔うて木の葉ふる

すべってころんで山がひっそり

            クリックすると元のサイズで表示します

山頭火連吟 (ふるさと) 種田山頭火

生まれた家はあとかたもないほうたるほうたる

雨ふるふるさとははだしで歩く

かすんで重なって山がふるさと

ひとりの火の燃えさかりゆくを

うれしいこともかなしいことも草しげる

太字の部分を陽旋律で詠い、他を陰旋律で詠うのですが、伴奏の切り替えには

陽へ転換するにはミソラと陰へ転換するにはラドミときっかけの音を出してあげると

吟者は吟じ安くなります。

種田山頭火は、1882 (明治15)年、山口県防府市に大地主の長男として生まれた。

若くして文学の才能を現したが、子供の頃に井戸に身を投げた母親の自殺、

大酒造家であった本家の事業失敗、一家離散とその人生は波瀾に満ちたものであった。

クリックすると元のサイズで表示します

43歳の時、熊本で泥酔して進行中の電車を止め、

かつぎこまれた禅寺でそのまま仏門に入ったという。

45歳から一鉢一笠の行脚を始め、妻子を捨てて山陰、山陽、四国、

九州、近畿、東海各地を放浪し句作を続けたそうっだ。

(晩年を過ごした一草庵)クリックすると元のサイズで表示します

日本吟道学院の2代目総裁の渡辺吟神先生は子供の頃に

托鉢姿の山頭火を見かけて、その奇抜な姿に驚いた記憶があると

生前に仰っていた。

山頭火の詩には多くのファンが多いが、

俳句の詩形とは聊か離れている彼の句を理解するのはなかなか難しい。



2019/7/6  「紫陽花や魂の吟続きけり」  詩吟

公益社団法人日本吟道学院の千葉・茨城地区吟士権コンクールが

新小岩地区センターで開催されました・・。

例年会場としていた吟道学院ホールが改修工事中で急遽会場が新小岩に来ました。

92名の参加者の」中から15名の方が10月19日の全国決選大会に進むことになりました・・

審査員の一人としては、全ての人を決選大会に推薦したいような熱吟が続きました。

クリックすると元のサイズで表示します

8月24日、25日は夏期吟道大学講座が川口リリアホールで開催されます


2019/7/2  「足裏を踏ん張り声出す半夏かな」  詩吟

千の風の歌手、秋川雅史さんが言ってましたが、

よく声を出すために【お腹に力を入れる】というのは間違ってるそうです。

たしかに入れますが、お腹に力を入れすぎると横隔膜が下がらなくなり、

変えって声が出なくなる!とのこと。

なので、声は背中から出すイメージだそうです。

歌うときは腹に力を入れるのではなく、

踏ん張る→身体中を集中させて声を響かせるのだそうで、

詩吟の発声にも大いに勉強になります。

クリックすると元のサイズで表示します

              クリックすると元のサイズで表示します

2019/6/1  「生ビール貸し借りのなき友と居て」  詩吟

31日は公益社団法人「日本吟道学院」の第69回全国大会でした。

浅草公会堂に全国の詩吟仲間が集い、旧交を温めながら、充実の一日でした・・。

オープニングは櫻川流江戸芸かっぽれで幕が明き、全国の吟友の熱吟が続きます

クリックすると元のサイズで表示します

合吟コンクールや全国の所属団体の一般吟詠に続き構成吟は「お札のモデルぶらり旅」で

吟士権者の吟詠などで盛り沢山の一日でした。

クリックすると元のサイズで表示します

              クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

我々の清風会は大合吟「諸生と月を見る」と5人立ちコンクールでは「汪倫に贈る」を吟じ、

全体の弁当の配布当番を仰せつかり、8時半からの準備に、昼過ぎの配布にと大忙し・・。

閉会のあとは仲間と浅草寺をお参りして恒例のお疲れ会を・・。

大きな声を出し、汗を出した後はビールが旨い・・。

クリックすると元のサイズで表示します

              クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

2019/5/9  元号「令和」を詠う  詩吟

「令和」に元号が変り、清風会の詩吟教室では

今、元号「令和」 万葉集より・・・を詠っています

   元号「令和」 万葉集より

初春の令月にして 気淑く風和らぎ

梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす


「令和」の典拠

出 典

「万葉集」巻五、梅花の歌三十二首併せて序

引用文

初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

現代語訳


時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、

梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、

蘭は身を飾った香りの如きかおりをただよわせている。



2019/4/16  元号令和を詠う  詩吟

元号 「令和」  万葉集より

初春の  令月に して  気淑く 風和らぎ

梅は  鏡前の粉を 披き  

蘭は  珮後の 香を 薫らす

「令和」の典拠

出 典

万葉集巻五、梅花の歌三十二首

引用文


初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

書き下し文

初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ

梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす

現代語訳

時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、

梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、

蘭は身を飾った香りの如きかおりをただよわせている。




AutoPage最新お知らせ