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2019/5/9  元号「令和」を詠う  詩吟

「令和」に元号が変り、清風会の詩吟教室では

今、元号「令和」 万葉集より・・・を詠っています

   元号「令和」 万葉集より

初春の令月にして 気淑く風和らぎ

梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす


「令和」の典拠

出 典

「万葉集」巻五、梅花の歌三十二首併せて序

引用文

初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

現代語訳


時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、

梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、

蘭は身を飾った香りの如きかおりをただよわせている。



2019/4/16  元号令和を詠う  詩吟

元号 「令和」  万葉集より

初春の  令月に して  気淑く 風和らぎ

梅は  鏡前の粉を 披き  

蘭は  珮後の 香を 薫らす

「令和」の典拠

出 典

万葉集巻五、梅花の歌三十二首

引用文


初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

書き下し文

初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ

梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす

現代語訳

時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、

梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、

蘭は身を飾った香りの如きかおりをただよわせている。

2018/8/9  稔田に龍這ひしごと野分過ぐ  詩吟

台風13号が九十九里沖50キロを北上し、昨日から避難準備地区として

地元大網白里市も全国区に有名になり、隣町の茂原市は一宮川の氾濫から全世帯に

避難勧告が出て、昨夜は懐中電灯とローソクをよういしてヒヤヒヤでしたが、

無事通り過ぎ、庭の楢の木が倒されることも畑の支柱が倒れることもなくやれやれでしたが、

明けて今日は蝉時雨のなか、又急に気温が上がり30度越え、

昨日、一昨日が24度から25度と涼しかったのに猛暑がまた戻ってきそうです。

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こんな時期によく詠う詩が夏日悟空上人の院に題すするの詩  杜荀鶴(とじゅんかく)です。


昔、武田信玄が禅に帰依し、その師「快川和尚」の恵林寺は武田家の菩提寺とも言われますが、

天正10年(1582年)4月3日織田と武田の戦によって

武田の残党がこの恵林寺に逃げ込んだとして、信長の息子織田信忠によって取り囲まれ

快川和尚は寺を頼って来たものは全て仏弟子として渡すわけにはまいらぬと断り、

火をかけれれ、快川紹喜以下、僧100名近くが業火の中、経を唱え、辞世の言葉を残して

生きながら刮然として焼死するのですが、その時快川和尚が唱えた

「心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」という言葉が残っていますが、

詩吟の各教室では猛暑の夏に、己を励ます意味に於いても、以下のこの詩を吟じます

夏日悟空上人の院に題すするの詩  杜荀鶴(とじゅんかく)

三伏門を閉じて披一衲を披く

兼ねて松竹の蔭房廊を蔭う無し

安禅は必ずしも山水を須いず

心頭を滅得すれば 火も亦涼し
 

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快川 紹喜(かいせん じょうき)は、戦国時代、安土桃山時代の臨済宗の僧。

織田信長の甲州攻めにより武田氏が滅亡して領内が混乱すると、

中世において寺院は聖域であるとする社会的観念があったため信長に敵対した

六角義弼らを恵林寺にかくまい、織田信忠の引渡し要求を拒否したことから焼討ちにあった。

快川和尚の兄の子の朴蔵主はまだ子供なので、

快川和尚は「お前はここから脱して、私達の最後を後世に伝えなさい。」と命じます

その若い僧は後に末宗和尚となり、徳川家康からの寄進を受けて恵林寺を再建しています。

こうして恵林寺の「心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」の名言が

今にも伝えられているのかもしれません。

板垣退助が暗殺された時に「板垣死すとも自由は死なず・・・」といったのは

おそらく後世の創作されたものでしょうが、

心頭を滅却の話は焼死を免れた当時子供の僧たち、或いは取り囲んだ織田方の武将から

伝わっていったものでしょう。

猛暑の昨今、家の中でも暑いですが、この詩を思い出したいものです。

2018/7/4  本能寺の変の黒幕は?  詩吟

天昌10年(1582年)6月2日、(今年の旧暦6月2日は7月14日に当たる)

織田信長が本能寺で明智光秀に打たれ、業火の中に自刃・・・。

大きな歴史のターニィングポイントになった本能寺の変の記念となる日が今年も近づいてきた

戦国の最大のミステリーと言われる[本能寺の変」は明智光秀単独犯説から、

朝廷黒幕説から最近は土佐の長宗我部元親氏と光秀の交流を示す文献が見つかったとして

ニュースになったりしましたが、黒幕には他に家康説や秀吉説もあり、

いずれも説得力があるのだが、

最近改めて本能寺の変の関連の本を図書館で借りて読んでみた・・。」

幕末の頼山陽は大作「日本外史」の中でも光秀を戒めているが、

以下の有名な七言の律詩「本能寺」の一詩は本能寺の変の有様を生々しく描写している。


 本能寺 頼山陽

本能寺溝は幾尺ぞ 吾大事を就すは今夕に在り

茭粽手にあり茭を併せて食らう 四簷の梅雨 天墨の如し

老ノ坂 西に去れば備中の道 鞭を揚げ、東を指せば天猶ほ早し

吾が敵は正に本能寺に在り敵は備中に在り、汝能く備えよ


「時は今天の下知る五月哉」、「敵は本能寺に在り」、「是非もない」・・・

歴史に残る言の葉だ。

頼山陽の詩文が「本能寺の変」の多々ある説の中で根幹をなしているように思えるが・・。

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本能寺の変You Tube↓

http://www.youtube.com/watch?v=I06Uh4LWgqU&feature=related

信長が好んで舞い、本能寺の業火の中で、最後に舞ったといわれる幸若舞の敦盛の一節↓

 幸若舞の敦盛の一節

人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり

一度生を受け滅せぬ者の有るべきか


この敦盛の一節は熊谷次郎直実が「一の谷」の戦で、平敦盛と組み合い、

一度は「敦盛」を助けようとした直実も、味方の手前、

無残にも若き首を落とさなければならなかった直実の心内を語ったのですが、

そして直実は世の無常を感じ、その後は出家して敦盛の菩提をとむらうのですが、

信長の愛唱した敦盛の一節は

人の世は儚く短いものだ、だからこそ死を恐れず短い人生を思う存分生きようではないか・

・・との戦国の風雲児信長の心境であったのかもしれない。

信長がここで死ななかったら日本の歴史はどうなっていたのだろうか

人間50年の一生は「仏の世界の下層の四天王」の一昼夜に過ぎず、

人の世の命のはかなさを語っている。

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本能寺の跡地はビルの片隅の小さな空き地となって残っているだけで、

当時を偲ぶものはなかったが、本能寺の能の字の右側が去るの字になっている。

本能寺で信長の首を上げておれば、光秀の天下になったかも知れず、

骨一片の残さず、信長の怨念というか、ミステリーを深めてしまった。

この黒幕説のあれこれを調べてゆくと中々眠れなくなってくる・・。

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光秀は山崎の合戦で死んでおらず、天海和尚となって歴史に再び登場し、

天海和尚は家康、家光に使え日光東照宮を作ったが、

東照宮の柱に明智の桔梗の紋所があったり、

日光には「明智平」という地名も今も残っている。

一昨日は2時半に起きてはサッカーをみて寝不足だったが、

昨夜は本能寺の変の本などを見ていてまた夜更しをしてしまった。

真夏の夜は歴史ミステリーが似合う

2018/5/17  第68回日本吟道全国大会(鎌倉芸術館)  詩吟

公益社団法人日本吟道学院の主催する第68回日本吟道全国大会が

鎌倉芸術館で開催され大盛況でした、

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清風会でも全体合吟では28名が参加して稲村懐古、

5人立ちの合吟コンクールでは男子チームが「両英雄」に挑戦、

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オープニングの大学生の和太鼓演奏、構成吟・・古都鎌倉の祈り(武士の野望と新仏教)も

感動的でした・・

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剣詩舞入り吟詠も華やかで素晴らしい舞台でした。

今年は5人の吟士権者が誕生しました・・・。

文部科学大臣賞には松山輝夫さん(緑神会)が選ばれました。

5人立ちの皆さんの慰労に大船駅前の居酒屋でみんなで詩吟談義を・・。

大網から鎌倉まで片道2時間余りでしたが、充実した一日でした

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2017/10/8  秋高し練成の吟競ひけり  詩吟

公益社団法人日本吟道学院の全国吟詠コンクール決選大会と名吟大会に

昨日は一日中、船堀タワー大ホールの客席で詩吟芸術を堪能しました。

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日本吟道全国吟詠コンクールでは全国の予選を突破した105名の吟士の練成の吟はさすが、

以下の7名の方々が吟士権者補に選ばれ、

来年5月鎌倉市で開催される全国大会で吟士権者を目指し吟詠いたします。

選ばれたのは今城栄子さん(富山千吟会)、米長喜美子さん(平成吟道連合会)、

松山輝夫さん(緑神会)、田岸梓沙さん(富山千吟会)、梅津宏さん(緑神会)、

永井実千代さん(富山千吟会)、浅野恵美子さん(富立吟詠会)の7名でした。

日本吟道名吟大会の吟士権者の吟はレベルが高いね。

自分の出番がなく、運営の役割もなく客席でのんびり聴く詩吟もいいね。

見る人、聴く人に感動を与える詩吟は大したものです。

ここまでくると芸術の役ですね。

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構成番組は音響、映像、光りを駆使した吟道学院の得意の演出で

「時空を超えて」をテーマのドラマ構成ではお婆役の案内人が舞台を更に盛り上げた

第二部は「華のごとく」を語りと映像、吟と舞いで客席を魅了しました

いずれDVDに編集して公開してまいりますが、沢山のかたがたに見ていただきたいものです。

公益社団法人日本吟道学院のでは詩吟の普及と研究を行っています。

全国105の公認団体と千ヶ所以上の詩吟教室で何処でも体験が出来ます

公益社団法人日本吟道学院が詩吟の普及をしています。

お問い合わせは↓

〒113-0024 東京都文京区西片2-12-23

TEL(事務局) 03-5684-0124

ホームページ→http://gindoh.jp/wp/


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2017/9/7  重陽の節句  詩吟

九月九日は重陽の節句で平安時代から貴族が邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、

菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていたそうですが、

最近は五節句の最後を飾る「重陽の節句」が季節感のズレからやや廃れて来たようです。

ところで五節句をご存知ですか?

知っているようで上げてみてと言われると…なんだったっけ・・。

1月7日が人日の節句(七草粥)、3月3日が桃の節句、5月5日が端午の節句、

7月7日が七夕、そして9月9日が重陽の節句・・・・ウン判った・・。

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でも重陽の節句は明治以降だんだん廃れて、やはり馴染みが少ない。

古来中国では、奇数は良いことを表す陽数、偶数は悪いことを示す陰数と考え、

その奇数が連なる日をお祝いしたのが五節句の始まり。

その中でも一番大きな陽数(9)が重なる9月9日を、陽が重なると書いて「重陽の節句」と

定め、不老長寿や繁栄を願ってお祝いをしてきました。

芭蕉の句にも重陽を詠んだ句が↓

草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒

山中や 菊はたおらぬ 湯の匂 
(奥の細道より)

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決して物知りではないが、詩吟や俳句をやっているお陰で、

詩文や季語から紐解き学ぶことが多いのですが、

詩吟の第一歩の菅原道真の「九月十日」の副題が「重陽後一日」となっており、

重陽を良く知った次第なのですが・・・。

   九月十日「重陽後一日」 菅原道真

去年の今夜清涼に待す 秋思の詩編独り断腸
 
恩賜の御衣今此に在あり 捧持して毎日余香を拝す


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上野の詩吟教室は木曜日の夕方6時半から会社が終わってからやりますが

今日はあいにくの雨模様で果たして何人の叔父さん、叔母さんが見えられるかな?
 

2017/7/30  夏季吟道大学講座  詩吟

公益社団法人日本吟道学院の主催する,恒例の「夏期吟道大学講座」が

川口駅前のリリアホールで全国の吟友約千人を集め、

11人の講師陣による昨日から2日間で12時間の集中講座が行われました。

講師陣も今年は、秋田、富山、」鹿児島、群馬、埼玉、千葉、神奈川からの

会長先生を迎え、真剣な、そして斬新な講義雅続きました。

各講師の先生は50分の限られた時間に、取り上げた吟題を通し、

自分の積み上げた吟技、伝いたい奥義を凝縮して講義するので、

いつも習っている自分の先生から一時離れ、他の先生の詩吟講座を聞くわけで、

とても勉強になるのです。

会場の皆さんは教室のように一緒に声を出して詠うので大満足です


2017/6/20  平泉懐古  詩吟

世界遺産に指定され、一躍脚光を浴びる「平泉

小生が中学・高校を過ごした一関の隣町である。

何年か前の市町村合併の折には、一関市、平泉町、西磐井郡が平泉市となることが

ほぼ決まっていたが、一関市の市議員の反対で話がこじれまとまらなかった経緯があった。

「平泉市となる家郷」と喜んだものだが、ガッカリした事を憶えている。

平泉の新幹線の玄関口は一関で駅前には大槻三賢人の銅像が建っている。

仙台藩の儒学者であり、蘭学者の大槻磐渓が詠んだ

「平泉懐古
」が今注目されている

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   平泉懐古 大槻磐渓

三世の豪華 帝京に擬す

朱樓碧殿 雲に接して長し

只今惟東山の月のみ有って

来たり照らす当年の金色堂


清衡、基衡、秀衡の藤原三代の繁栄は豪華を極め、平泉を京の都に擬らえた。

朱塗りの楼台や碧色の殿堂は雲に届かんばかりで、長々と並んでいた。

今は只一場の夢となり、ただ残るのは、東山に出る月のみだけだ。

それに照らされているのは当時から残る金色堂(光堂)である


平泉が鎌倉に滅ぼされた500年後に訪れた松尾芭蕉は一関に逗留して

日帰りで平泉を訪れ、義経が自害したと伝えられる高館に立ち、以下のように感慨を記した

 三代の栄養一睡の内にして・・・・

 さても義臣すぐって この城にこもり

 功名一時の 草むらとなる

 国破れて山河あり 城春にして
    
 草青みたりと かさ打ち敷きて
    
 時の移るまで 涙を落としはべりぬ


  * 夏草や兵どもが夢の跡

  * 五月雨の降り残してや光堂


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奥の細道(平泉の一節)↓

http://wind.ap.teacup.com/uminoko/1701.html

秀衡を頼った義経は鎌倉へ駆けつける前と、鎌倉を追われた後にも、

平泉を頼って来た訳ですが、当時は西の平家、東の鎌倉、

蝦夷の藤原と三つの勢力が均衡していたようでしたが、

平家を滅ぼした鎌倉は間違いなく平泉を攻めると読んだ秀衡は

息子の泰衡や重臣に自分亡き後は義経を総大将にして鎌倉と戦えと遺言して病死した。

泰衡が鎌倉に屈して義経を攻めて、ついには藤原三代を滅ぼしてしまう訳だが

秀衡の遺言を守り義経を総大将にして戦っていたなら

歴史にもしはないが、藤原が勝利していたかもしれない。

まさか泰衡に攻められようとは義経も思っていなかったのだ。

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奥州の藤原が当時力を持っていた理由は

当時の貴重品「馬、金、鷲羽」だったという・・鷲羽は朝廷の儀式に欠かせなかった。

「金売り吉次」は全国の豪商や朝廷に「金」を売り歩いており、

当時としては全国の情報を収集していたのだ。

仏像や柱が黄金の光堂は、海外諸国から見ると黄金の国「ジパング」だったのだ

又藤原一族は酒田から日本海ルートで博多を経由し、中国側の貿易港だった寧波(明州)に

つなぐ海路で中国の白磁製品などを入手したり、中国との交易も盛んにしていた。

奥州藤原氏の富裕さと繁栄は当時から知られ、平安末期の東大寺再建には第3代・秀衡は

源頼朝の5倍の黄金を寄進したという。

奥州藤原氏が京都の公家を政治顧問格などとして積極的に迎えたり、

朝廷の中枢人脈を開拓しようとしていたことが義経研究家によって明らかになっている。

思えば義経を立てて覇権を争ったら、平泉は日本の都になっていたかもしれない。

そうしたら、自分は都人だったかな・・・・しかし歴史に、もしはないか・・・。

最近の清風会のどの教室も6巻に入っている。

平泉懐古が其処にあるのだが、今週はこの詩を吟ずる教室が多い。

2017/4/18  詩情  詩吟

本日の幕張教室の叔父さん達は、渡辺龍神さん作詞の「詩情」、「大和(やわらぎ)」の

詩二詩を朗々と吟じ、詩の心を語る雨上がりの爽やかな午前となった。

  詩情 渡辺龍神

花に吟じて詩情をみがき

月に詠じて魂を練る

松風流水皆はらからと

声なき声の詩を吟ず
 

  大和(やわらぎ)渡辺龍神」

やはらぎを水に浮かべて水に問う

水は振り向くいとまなく

低きを求めひたすらに

流れ続けるばかりなり


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タグ: 渡辺龍神

2016/10/9  「秋高し練成の吟競ひけり」  詩吟

公益社団法人日本吟道学院の全国吟詠コンクール決選大会と名吟大会に

昨日は一日中、川口市のリリアホールの客席で詩吟芸術を堪能しました。

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全国の予選を突破した105名の吟士の練成の吟はさすが、

名吟大会の吟士権者の吟はレベルが高いね。(写真は構成番組の幕開け女子合吟)

自分の出番がなく、運営の役割もなく客席でのんびり聴く詩吟もいいね。

見る人、聴く人に感動を与える詩吟は大したものです。

ここまでくると芸術の役ですね。

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構成番組は音響、映像、光りを駆使した吟道学院の得意の演出で

「平和を祈る」、「動乱を生きる」をテーマのドラマ構成。

沢山の方たちに見ていただきたいものです。

いずれDVDに編集して公開してまいります。

公益社団法人日本吟道学院のでは詩吟の普及と研究を行っています。

全国105の公認団体と千ヶ所以上の詩吟教室で何処でも体験が出来ます

公益社団法人日本吟道学院が詩吟の普及をしています。

お問い合わせは↓

〒113-0024 東京都文京区西片2-12-23

TEL(事務局) 03-5684-0124

ホームページ→http://gindoh.jp/


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2016/9/27   安宅関 網谷一才  詩吟

兄頼朝に追われ、山伏姿で奥州の藤原氏の元に向う義経主従が通った安宅関。

源義経が武蔵坊弁慶らとともに奥州藤原氏の本拠地平泉を目指して通りかかり

弁慶が偽りの勧進帳を読み義経だと見破りはしたものの

関守・富樫泰家の主従の情に見逃したという

歌舞伎18番でお馴染みの「勧進帳」の名場面。

最近の詩吟教室はこの勧進帳の名場面「網谷一才」の漢詩

「安宅関」範典の4巻に差し掛かっている。

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  安宅関 網谷一才

 知るも知らぬも逢坂の霞に包む旅衣

 露けき袖を萎らせてここは安宅の関の中

朗々読み終わる勧進帳 君を打ち涙を吞む金剛の杖

誰か忠臣の心情に動かざるなし此の情人をして長く忘れざらしむ


18年前にこの地を詩吟の仲間数百人で吟行に訪れ、

全員でこの像の前でこの詩を合吟したことがあった。

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関所を通る山伏の一行のしんがりの義経が関守・富樫に呼び止められ

弁慶が「お前が九朗判官義経に似ているので迷惑な話だ」と

義経を金剛の杖で打つ弁慶・・・主従の心情を察して見逃す関守・富樫・・・・・。

日本人の琴線に触れる名場面の一こま・・・・。

悲劇的英雄、判官源義経に同情する気持ち。転じて、弱者・敗者に同情し声援する感情で

義経びいきの日本人の心意気が「判官びいき」と言うのだが・・・。

今の世の中で「判官びいき」の対象になる人は誰なんだろうね・・・・。


 

2016/8/25  吟品と言うには遠し秋の空  詩吟

我々を含め全国の詩吟愛好家の諸兄は

なぜ詩吟に没頭するのかなと・・・

分析すると「詩文」に理由があるような気がする。

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歌の歌詞としての詞に対して、詩は歌われることを期待したり、

目的として作られるものではなく、

それ自体が言語芸術としての文学の分野に属しているとされています。

されていると言うのは、少なくても詩人といわれる人達は、

そのように自負しているからです。

吟詠の対象としている漢詩、和歌、俳句、新体詩、現代詩等はすべて文学としての詩です。

従って、吟詠は歌われるものではないものを対象としているところに、

一般の歌物との最大の違いが有ります。

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節をつけて歌うが如くにみえても、歌謡や民謡等とことなるのは、

その対象が詞か詩かとの違いがあるからなのです。

では、この詞と詩の大きな違いはどこにあるのでしょうか?

詞はとメロデー一体になって人に聴かせるものですから、

聴いてすぐその意味と情景が伝わることが求められます。

それに対して詩は読者が読んで味わうものですから、

聴覚的な要件はさほど必要とせず、言葉の裏にある作者の心、

あるいは散りばめられた詩語に触発される読者の連想に重きが置かれます。

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その詩人の深い思いを込めた短い詩の品格は冒すことが出来ない品格が人の心を動かす。

だからこそ吟詠をする態度には礼節・謙虚さと俗碑をさけ、

巧まざる品格が必要とされるのだろう。


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タグ: 詩吟の品格

2016/5/31  ちはやぶる  詩吟

NHKの朝ドラで百人一首で家族が遊ぶ場面がありましたが、

その時に、「ちはやぶる神代も聞かず竜田川」・・・上の歌が詠まれて

下の「から紅に水くぐるとは」を君子さんが取った場面がありましたが、

最近、漫画や映画で“競技かるた”「ちはやぶる」の上の句がブレークしているそうだ。

「ちはやぶる神代も聞かず竜田川 から紅に水くぐるとは」

本来の内容とは若干違うのだそうですが、大変人気なのだそうです。

詩吟の会清風会の各教室では百人一首を一番から順番に詠って、

17番のこの「ちはやぶる」辺りまで進んでいるのですが、

この歌は落語のネタになったりしていて面白い。

これは伊勢物語の主人公のモデルとされる在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)の

古今集秋294に収められている。

歌の意味は龍田川に散り流れる紅葉の華麗な美しさと、屏風に描かれた錦絵を題材に

龍田川を真っ赤な紅葉がちりばめ、

その水を紅色に美しくくくり染めにしている様子を描写したもので、

「ちはやぶる」とは荒々しいものに掛ける枕詞で

落語の竜田川という相撲取りと、ちはや、神代という花魁でもなく豆腐屋でもない。

しかしこの落語非常に面白い・・↓

https://www.youtube.com/watch?v=S_VhMZrAGNc

2016/4/18  山吹伝説  詩吟

我が家の庭の山吹の花が咲き始めました

この頃になるといつも太田道灌の山吹伝説の逸話を思い起こす 

今週の各詩吟教室では山吹伝説に纏わる「太田道灌蓑を借るの図に題す」をやろう。   

   道灌の追憶

江戸城築きし道灌は広野のなかを降る雨に

笠求むれば乙女子がうら恥ずかしく山吹の

みのなきさまを歌に寄せ贈れば心乱れけり

歌詠む道を諭されて文武にたけき人となる


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              クリックすると元のサイズで表示します

「七重八重 花は咲けども 山吹の みの一つだに なきぞ悲しき」

古今和歌集のこの歌が江戸城を創ったとされる豪傑太田道灌を変えたのだ。
  
       

太田道灌(道灌蓑を借るの図に題す) 作者不詳
  
  孤鞍雨を衝いて茅茨を叩く 少女為遣る花一枝

  少女言わず花は語らず 英雄の心緒乱れて糸の如し


クリックすると元のサイズで表示します(白山吹)

              クリックすると元のサイズで表示します

通訳・・・太田道潅はただ一騎狩りへ出たが、折からの雨に、とある「あばら屋」

に立ち寄って蓑(みの)を乞うた。出てきた少女は黙って一枝の山吹を差し出すばかり

さすがの英雄も古歌を知らず、なぞを解きかねて心乱れるばかり。

歌読む道を諭された道潅はその後歌人しても名を残す文武に長けた人となった。

この少女を道灌は後日、城に招き入れ、一緒に歌を詠み暮らしたという。

道灌亡き後に、成人した少女は尼となり、今の新宿辺りに、庵を結び余生を過ごしたという。

その公園がは、都庁近くにあり、太田道灌公園として残っている。

大田道灌の墓、銅像も方々にあり、山吹伝説が広く伝わっているのだが

主君上杉定正の館のある神奈川伊勢原の地で、謀略により暗殺されることとなってしまいます。

こうした道灌の非業の死など道灌贔屓もあったのでしょう。

太田道潅・・・室町中期の歌人、上杉定正の家臣、築城・兵馬の法に長じ、

       学問・文事を好んだ。

昨年の清風会の旅行は西熱川温泉だったが、きしくも宿泊した夜に

太田道灌祭りをやっていた・・。

道灌がこの熱川より江戸城建設のための石垣を組む大きな石を運んだ故事に習い、

みんなでその大きな石を当時のように大勢の人で曳いたものだった。

今年も10月後半のこの時期に熱川へ行ってみたいものだ。
タグ: 太田道灌 熱川




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