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2022/5/11  哀悼の詩  漢詩

暦の上では立夏を過ぎましたが、風にはまだ爽やかさのある初夏の陽気です❗️

午前中に伸びてきた雑草を刈り、昼から春日部の詩吟教室です。

先月29日に亡くなったた吟友のK氏を偲び「哀悼の詩」の献吟をしました。

  哀悼の詩 本宮三香

百歳の人生ついにに全ったからず 哀しむ君が客と為りて黄泉に到るを

墓前 涙を呑んで冥福を祈る 腸は断ず薫香一片の煙


詩の心・・・百歳まで生きるべき命を全うすることなく痛ましくも

君は永久に帰らぬ人となってしまった。

お墓の前で、涙をおさえて君の冥福を祈り、線香の煙に断腸の思いでいっぱいである

(短歌)
 
亡き人を終いの別れと弔えど

        心は消えずありし面影


時節柄葬儀のお見送りは有りませんでしたが、

日を改めて追悼の偲ぶ会を催したいものです。

2022/5/10  惜別の歌  漢詩

漢詩を歌うたびに思うことは、やはり自分自身の琴線に触れる詩文に

出合った時ですが、中国梁 の時代400年代の詩人「 范 雲」の別詩も

そうした詩の一つです。


別 詩 (范 雲 )451 〜 503年

洛陽 城 の東 西 長 らく時 を経るの別 れを作 す

昔 去 るとき雪 花 の如 く今 来 るとき花 雪に似 たり


詩の心・・・・都洛陽の町で東と西に別れて以来、そのままになってしまっていたが、

その友をおもい懐かしむ詩です。

叙情と叙景が織り交じって、尽きせぬ思いが伝わってきます。

別れた昔は、雪が散る花のように美しく降っていたが

今ここでは、再び友に会えぬことを悼むかのように、

散る花もあの時の冷たい雪のように思われるのである。

日本吟道学院ではこの詩に小林旭のヒット曲になった

かの古賀政男さんが詩吟の節調こそ「日本人の琴線に最も響く」と言われたそうですが、

良い詩に巡り合い、それを声にして歌うときに自分の琴線に触れる喜びが

詩吟の魅力でもある。

2022/4/14  大田道灌蓑を借るの図に題す  漢詩

道灌の追憶

江戸城築きし道灌は荒野の中を降る雨に

笠求めれば乙女子がうら恥ずかしく山吹の

みのなきさまを花によせ贈れば心乱れけり

歌詠む道を諭されて文武にたけき人となる



連翹の黄に変わって山吹の貴が庭を彩ってくれます。
山吹が咲くと思い出すのが、太田道灌の逸話だ。

          

  「七重八重 花は咲けども 山吹の みの一つだに なきぞ悲しき」
古今和歌集のこの歌が江戸城を創ったとされる豪傑太田道灌を変えたのだ。
  
       太田道灌(道灌蓑を借るの図に題す) 作者不詳
  
  孤鞍雨を衝いて 茅茨(ぼうし)を叩く 少女為遣る(おくる)花一枝

  少女言わず花は語らず  英雄の心緒乱れて糸の如し


通訳・・・ 太田道潅はただ一騎狩りへ出たが、折からの雨に、とある「あばら屋」

に立ち寄って蓑(みの)を乞うた。出てきた少女は黙って一枝の山吹を差し出すばかり

さすがの英雄も古歌を知らず、なぞを解きかねて心乱れるばかり。

歌読む道を諭された道潅はその後歌人しても名を残す文武に長けた人となった。

太田道潅・・・室町中期の歌人、上杉定正の家臣、築城・兵馬の法に長じ、

       学問・文事を好んだ。


2022/2/24  焦心録後に題す 高杉晋作  漢詩

高杉晋作は吉田松陰門下で長州藩で奇兵隊を組織し維新回転に活躍をした志士だ。

1839年から1867年の28年の短い生涯を熱く生きた日本人好みの高杉晋作が

幕末の志士に向けて発した檄文があの熱き思いを記した「焦心録後に題す」が今注目される

  焦心録後に題す 高杉晋作

内憂外患 吾州に迫る 正に是れ 存亡危急の秋

唯邦君の為家国の為 焦心砕骨 又何ぞ愁えん


詩の心・・幕府が政権に固執し、尊皇攘夷派の中にも内紛・分裂が生じて国内は混乱、

外国からは軍艦でもって威嚇されるなど、内憂外患が噴出し、

まさに危急存亡の時に当って、志のある者は身分を問わず、

心を一にして事に対処せよ、若い藩士たちに、 「焦心録」 を書いて激励した。



長崎から上海に遊学の経験を積んだ高杉晋作は、

世界観を備えた数少ない幕末の志士だったが、

病に倒れ維新を見ることがなかったが、この人が維新政府に入っていたなら

歴史は又変わっていたかもしれない。

中が晋作、右側が伊藤博文

2022/2/20  寒梅(新島襄)  漢詩

雨の週末で、おまけに気温も低く、家で過ごす週末ですが

近所の昭和の森公園の梅林は五,六分に開いており、

今日は梅まつりが予定されていたが、生憎の天気で残念なことですね。

詩吟の教室も、まん延防止の期間中は自粛して休会ですが、

新島襄の「寒梅」を詠って梅の季節に浸ろう。

新島襄

  寒梅  新島襄

庭上の一寒梅 笑って風雪を侵して開く

争わず又力(つと)めず 自ずから百花の魁(さきがけ)を占む




*詩の心・・・新島襄は1664年(元治元年)、米艦べりソン号に投じて密航し

アメリカに渡り、アメリカの大学を卒業した最初の日本人です。

彼の教学方針は自由、博愛のキリスト教精神に有りましたが、

彼が成功したコツは寒梅の精神、全てに先駆けて咲く寒梅の精神でした。

こうした詩文を通して知る新島襄が、何年か前の大河ドラマ「八重の桜」では、

米国留学から10年ぶりに日本に戻って、同志社英学校の設立へ向けて動き出し、

突然に八重さんにプロポーズをし、新居を校舎内に設けて、

台所の窓を開けると、其処に植えてあった梅の木が寒さの中に蕾を膨らませ

花を開き始めていた。

寒中に百花に魁て咲く寒梅に、勇気と希望を貰い、情熱を燃やしていったのだ。

年々梅に惹かれて行くが、この新島襄の寒梅に詩に惹かれていたことも一因だろうね。






2022/1/23  梅に雪  漢詩

早咲きの梅が大分開き始めた時に降る雪、これは風情が有りますね。

本当に風情のあるのは「百花に先駆けてひっそり咲く梅に小雪が舞う風景」ですが

小雪が舞うには気温が5度以下に下がってこないと降りませんので、

日中が10度前後の日は、このようなチャンスが有りませんが、何度かは

関東でも白梅に小雪が舞う日が過去にはありました。

先日、の5日に昭和の森公園の梅林を散策した時に紅梅が咲き始めていましたが

翌日の6日には関東に降った雪が結構積り、紅梅にも雪が降り積もったようです。

なかなかに風情のあるものですね。


 
(写真は5日の昭和の森公園の紅梅)

中国の南宋の時代(鎌倉時代頃)の詩人「方岳」は「雪梅」と題する詩を

作り、梅と雪と詩が出来て、春を最も感じさせるものと言っている。

  雪梅  方岳

 梅有りて雪無ければ 精神ならず

 雪有り詩無ければ 人を俗了す

 薄暮詩成って 天又雪ふる

 梅と併せて 十分の春を為す


詩意 梅が咲いていても雪が降っていないと風景が生き生きとしたものにはならない。

雪が有っても詩心が起きないようでは、せっかくの風景も平凡なものになってしまう。

夕暮れ時、詩が出来上がり、雪が降ってきた。梅と雪と詩を合わせて春の情趣を

十分に味わえるものである

           

(写真は上野公園の東照宮牡丹園に雪の降った数年前のものです)

2022/1/19  捲土重来(けんどちょうらい)  漢詩




項羽が烏江で自害した紀元前200年から1000年以上の後、この地を訪れた

杜牧が次のような詩を残した。


烏江亭に題す  杜牧

勝敗は兵家も事期せず

羞を包み恥を忍ぶは 是れ男児

江東の子弟 才俊多し

捲土重来 未だ知るべからず


口語訳

勝敗は兵法家でさえも予測はつかないものだ。

羞を包み、恥を忍ぶ、これでこそ男子といえる。

江東の若者には、すぐれた人物が多い。

捲土重来していたら、結果はどうなっていたか分からない。

註:

江東(=江南地方)は項羽の出身地

卷=捲、したがって、「捲土重来」=「卷土重来」

「重来」(ちょうらい)・・・砂塵を巻き起こす勢い
         
          

杜牧:晩唐の詩人、八○三年(貞元十九年)〜八五二年(大中六年)。字は牧之。

京兆萬年(現・陝西省西安)の人。進士になった後、中書舍人となる。

杜甫を「老杜」と呼び,杜牧を「小杜」ともいう。



最近は項羽の没した烏江の地で作詞した杜牧の「烏江亭に題す」

好んで吟じている。

「捲土重来」はこの「烏江亭に題す」よりの語源と言われているようです。

2021/10/19  重陽の節句  漢詩

九月九日は重陽の節句で平安時代から貴族が邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、

菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていたそうですが、

最近は五節句の最後を飾る「重陽の節句」が季節感のズレからやや廃れて来たようです。

ところで五節句をご存知ですか?

知っているようで上げてみてと言われると…なんだったっけ・・。

1月7日が人日の節句(七草粥)、3月3日が桃の節句、5月5日が端午の節句、

7月7日が七夕、そして9月9日が重陽の節句・・・・ウン判った・・。



でも重陽の節句は明治以降だんだん廃れて、やはり馴染みが少ない。

古来中国では、奇数は良いことを表す陽数、偶数は悪いことを示す陰数と考え、

その奇数が連なる日をお祝いしたのが五節句の始まり。

その中でも一番大きな陽数(9)が重なる9月9日を、陽が重なると書いて「重陽の節句」と

定め、不老長寿や繁栄を願ってお祝いをしてきました。

芭蕉の句にも重陽を詠んだ句が↓

草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒

山中や 菊はたおらぬ 湯の匂 
(奥の細道より)



決して物知りではないが、詩吟や俳句をやっているお陰で、

詩文や季語から紐解き学ぶことが多いのですが、

詩吟の第一歩の菅原道真の「九月十日」の副題が「重陽後一日」となっており、

重陽を良く知った次第なのですが・・・。

陰暦の九月十日は今年は十月十五日に相当していたようです・・今頃ですね。

   九月十日「重陽後一日」 菅原道真

去年の今夜清涼に待す 秋思の詩編独り断腸
 
恩賜の御衣今此に在あり 捧持して毎日余香を拝す




今日は幕張本郷で詩吟教室があり、9巻の祝婚歌、石を煮て、母を想う(頼山陽)などを

仲間と高らかに、吟じる。

感染予防のために窓を開けてやるが、北風が冷たく、気温は低く震えるような日だった。

2021/5/27  西郷南洲(書懐)  漢詩

何年か前のNHK大河ドラマで「せごどん」をやってましたが、

大網教室では西郷南洲の胸のうちを述べた七言の律詩・・・「書懐」の後編

「一葦纔かに西にすれば」を皆で吟ず

   書懐  西郷南洲

一葦纔かに西にすれば大陸に通ず 鴨緑送る処崑崙迎う

秋草漸く老いて馬晨に嘶き 天際雲無く地茫々

嗚呼予二将にまさ に一生の半ばを終らんとす

肺肝其れ能く何れの処にか傾かけん感じ来って睥睨す長風の外ほか

月は東洋より西洋を照らす 月は東洋より西洋を照らす




後編の詩の大意・・・西郷南洲は27歳の時、藩主島津斉彬に取り立てられ、

江戸屋敷ののお庭番となり、以後大西郷としての明治維新の歴史を刻むのですが

西郷は27歳の時に既に世界に目を見開いていた。

秋に月は中天に昇って晧々と輝き、東洋から西洋へと照らしている。

この月の明るいごとく、小国といえども日本の国威を列国に示すべきであると、

東洋経論をの抱負を述べたのだ。

あの当時は人生50年といわれた時代でしたが、人生の半ばを過ぎる昨今は

40歳頃であろうか、あの大西郷のスケールの大きさがこの詩文からも伝わってきます。


2021/5/27  西郷南洲(書懐)  漢詩

何年か前のNHK大河ドラマで「せごどん」をやってましたが、

大網教室では西郷南洲の胸のうちを述べた七言の律詩・・・「書懐」の後編

「一葦纔かに西にすれば」を皆で吟ず

   書懐  西郷南洲

一葦纔かに西にすれば大陸に通ず 鴨緑送る処崑崙迎う

秋草漸く老いて馬晨に嘶き 天際雲無く地茫々

嗚呼予二将にまさ に一生の半ばを終らんとす

肺肝其れ能く何れの処にか傾かけん感じ来って睥睨す長風の外ほか

月は東洋より西洋を照らす 月は東洋より西洋を照らす




後編の詩の大意・・・西郷南洲は27歳の時、藩主島津斉彬に取り立てられ、

江戸屋敷ののお庭番となり、以後大西郷としての明治維新の歴史を刻むのですが

西郷は27歳の時に既に世界に目を見開いていた。

秋に月は中天に昇って晧々と輝き、東洋から西洋へと照らしている。

この月の明るいごとく、小国といえども日本の国威を列国に示すべきであると、

東洋経論をの抱負を述べたのだ。

あの当時は人生50年といわれた時代でしたが、人生の半ばを過ぎる昨今は

40歳頃であろうか、あの大西郷のスケールの大きさがこの詩文からも伝わってきます。


2021/5/27  西郷南洲(書懐)  漢詩

何年か前のNHK大河ドラマで「せごどん」をやってましたが、

大網教室では西郷南洲の胸のうちを述べた七言の律詩・・・「書懐」の後編

「一葦纔かに西にすれば」を皆で吟ず

   書懐  西郷南洲

一葦纔かに西にすれば大陸に通ず 鴨緑送る処崑崙迎う

秋草漸く老いて馬晨に嘶き 天際雲無く地茫々

嗚呼予二将にまさ に一生の半ばを終らんとす

肺肝其れ能く何れの処にか傾かけん感じ来って睥睨す長風の外ほか

月は東洋より西洋を照らす 月は東洋より西洋を照らす




後編の詩の大意・・・西郷南洲は27歳の時、藩主島津斉彬に取り立てられ、

江戸屋敷ののお庭番となり、以後大西郷としての明治維新の歴史を刻むのですが

西郷は27歳の時に既に世界に目を見開いていた。

秋に月は中天に昇って晧々と輝き、東洋から西洋へと照らしている。

この月の明るいごとく、小国といえども日本の国威を列国に示すべきであると、

東洋経論をの抱負を述べたのだ。

あの当時は人生50年といわれた時代でしたが、人生の半ばを過ぎる昨今は

40歳頃であろうか、あの大西郷のスケールの大きさがこの詩文からも伝わってきます。


2021/5/27  西郷南洲(書懐)  漢詩

何年か前のNHK大河ドラマで「せごどん」をやってましたが、

大網教室では西郷南洲の胸のうちを述べた七言の律詩・・・「書懐」の後編

「一葦纔かに西にすれば」を皆で吟ず

   書懐  西郷南洲

一葦纔かに西にすれば大陸に通ず 鴨緑送る処崑崙迎う

秋草漸く老いて馬晨に嘶き 天際雲無く地茫々

嗚呼予二将にまさ に一生の半ばを終らんとす

肺肝其れ能く何れの処にか傾かけん感じ来って睥睨す長風の外ほか

月は東洋より西洋を照らす 月は東洋より西洋を照らす




後編の詩の大意・・・西郷南洲は27歳の時、藩主島津斉彬に取り立てられ、

江戸屋敷ののお庭番となり、以後大西郷としての明治維新の歴史を刻むのですが

西郷は27歳の時に既に世界に目を見開いていた。

秋に月は中天に昇って晧々と輝き、東洋から西洋へと照らしている。

この月の明るいごとく、小国といえども日本の国威を列国に示すべきであると、

東洋経論をの抱負を述べたのだ。

あの当時は人生50年といわれた時代でしたが、人生の半ばを過ぎる昨今は

40歳頃であろうか、あの大西郷のスケールの大きさがこの詩文からも伝わってきます。


2021/5/27  西郷南洲(書懐)  漢詩

何年か前のNHK大河ドラマで「せごどん」をやってましたが、

大網教室では西郷南洲の胸のうちを述べた七言の律詩・・・「書懐」の後編

「一葦纔かに西にすれば」を皆で吟ず

   書懐  西郷南洲

一葦纔かに西にすれば大陸に通ず 鴨緑送る処崑崙迎う

秋草漸く老いて馬晨に嘶き 天際雲無く地茫々

嗚呼予二将にまさ に一生の半ばを終らんとす

肺肝其れ能く何れの処にか傾かけん感じ来って睥睨す長風の外ほか

月は東洋より西洋を照らす 月は東洋より西洋を照らす




後編の詩の大意・・・西郷南洲は27歳の時、藩主島津斉彬に取り立てられ、

江戸屋敷ののお庭番となり、以後大西郷としての明治維新の歴史を刻むのですが

西郷は27歳の時に既に世界に目を見開いていた。

秋に月は中天に昇って晧々と輝き、東洋から西洋へと照らしている。

この月の明るいごとく、小国といえども日本の国威を列国に示すべきであると、

東洋経論をの抱負を述べたのだ。

あの当時は人生50年といわれた時代でしたが、人生の半ばを過ぎる昨今は

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2021/5/27  西郷南洲(書懐)  漢詩

何年か前のNHK大河ドラマで「せごどん」をやってましたが、

大網教室では西郷南洲の胸のうちを述べた七言の律詩・・・「書懐」の後編

「一葦纔かに西にすれば」を皆で吟ず

   書懐  西郷南洲

一葦纔かに西にすれば大陸に通ず 鴨緑送る処崑崙迎う

秋草漸く老いて馬晨に嘶き 天際雲無く地茫々

嗚呼予二将にまさ に一生の半ばを終らんとす

肺肝其れ能く何れの処にか傾かけん感じ来って睥睨す長風の外ほか

月は東洋より西洋を照らす 月は東洋より西洋を照らす




後編の詩の大意・・・西郷南洲は27歳の時、藩主島津斉彬に取り立てられ、

江戸屋敷ののお庭番となり、以後大西郷としての明治維新の歴史を刻むのですが

西郷は27歳の時に既に世界に目を見開いていた。

秋に月は中天に昇って晧々と輝き、東洋から西洋へと照らしている。

この月の明るいごとく、小国といえども日本の国威を列国に示すべきであると、

東洋経論をの抱負を述べたのだ。

あの当時は人生50年といわれた時代でしたが、人生の半ばを過ぎる昨今は

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2021/5/27  西郷南洲(書懐)  漢詩

何年か前のNHK大河ドラマで「せごどん」をやってましたが、

大網教室では西郷南洲の胸のうちを述べた七言の律詩・・・「書懐」の後編

「一葦纔かに西にすれば」を皆で吟ず

   書懐  西郷南洲

一葦纔かに西にすれば大陸に通ず 鴨緑送る処崑崙迎う

秋草漸く老いて馬晨に嘶き 天際雲無く地茫々

嗚呼予二将にまさ に一生の半ばを終らんとす

肺肝其れ能く何れの処にか傾かけん感じ来って睥睨す長風の外ほか

月は東洋より西洋を照らす 月は東洋より西洋を照らす


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後編の詩の大意・・・西郷南洲は27歳の時、藩主島津斉彬に取り立てられ、

江戸屋敷ののお庭番となり、以後大西郷としての明治維新の歴史を刻むのですが

西郷は27歳の時に既に世界に目を見開いていた。

秋に月は中天に昇って晧々と輝き、東洋から西洋へと照らしている。

この月の明るいごとく、小国といえども日本の国威を列国に示すべきであると、

東洋経論をの抱負を述べたのだ。

あの当時は人生50年といわれた時代でしたが、人生の半ばを過ぎる昨今は

40歳頃であろうか、あの大西郷のスケールの大きさがこの詩文からも伝わってきます。

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